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昭和の 親父の思い出

2025年02月09日

昭和46年生まれ53才、高橋裕です。
今週は「昭和の親父の思い出」で30分。
 
昭和の親父で思い出すのは、酔って帰った時に仕出しの折り詰めを持ち帰ってくれたことです。
酒好きだけど、自由になるお金がなかった親父は、地区の寄り合いや冠婚葬祭に行った時は、ここぞとばかりに酒ばかり飲んで、出された料理には手をつけず、そのまま家に持ち帰ってくれました。当時の子どもには、エビフライはたいへんなご馳走だったと記憶しています。
 
昭和の親父との思い出、父親は野球と酒好きでした。高校時代から軟式野球をしていて勤め先でもやっていました。
だから野球中心の生活でした。
昔は野球中継のテレビは夜7時からだったので、それまではラジオ中継を聞きテレビ中継が終わるとまたラジオ中継を聞いていました。
もう一つの酒好きは、まずビールそれから日本酒そして最後にウイスキーのフルコースを毎日でした。何と言っても4リットルのダルマウイスキーが2週間でなくなっていました。
 
私の父は歯でビールの栓を抜けるのが自慢でした。社宅に住んでいた頃はいつも同僚がお酒を持って集まり、飲んで騒いで笑っていたことを思い出します。酔いが回ると父が栓抜きを使わず歯で開けるのです。まだ幼かったのですが、「すごいなあ!」と覚えています。
当時父は30前後だったと思います。
 
子供の頃、月1ぐらいの割合で、父が街へ連れて行ってくれるのが楽しみでした。
午前中は美術館へ行き、お昼は蕎麦屋で天ざる。
午後は弘前公園でボートに乗り、喫茶店でケーキを食べて、本屋で好きな本を1冊買ってもらうのが定番のコースでした。
今考えると、あんまり子供が喜ぶようなコースではなかったと思うのですが、もしかすると父は、私にデートコースの手ほどきをしていたのかもしれません。
 
父はマージャンが好きで3部屋しか無い市営住宅住まいの我が家に夕方から友達を連れてきて徹夜マージャンをよくしていました。
一晩中、パイを混ぜる騒音と興奮してあげる大声とタバコの煙の中で寝たものです。
母は家でマージャンがある度に片手で食べられるように夜食のお握りや串に刺したようなオカズを作って出していました。時々、「たまにはヨソの家でやったら?」と愚痴を言っていました。
 
父は生まれも育ちも大阪で、何はともあれ笑いを取るのが信条。
地区の集会所で有った演芸会に出る時、「お父さんかお母さんのどっちが好き?」と聞かれたら、お母さんと答えるよう、お父さんに言われました。
舞台に上がると聞かれたので、言われたように「お母さん」と答えたら、お父さんが横から腕を引っ張るので何かと見ると、五十円玉を渡してくれ、思わず「お父さんです」と言うと笑いが起こりました。
 
私が子供の頃、うちの父はカラオケが大好きで、よくカセットデッキでテープに録音していました。当時のカセットテープには細川たかしさんの「こころ残り」「私馬鹿よねー。おばかさんよねー。後ろ指、後ろ指指されてもー」父の歌声と一緒に、当時の私の声も残っていて「パパバカ。パパバカバ」っと言っていました。
 
さて、次週も「昭和の親父との思い出」で行きましょう。お酒が好き、家に部下を連れてくる、祭り好き、ゴルフ・釣りで家にいない、涙もろい、一番風呂にこだわるetcまだまだ、みなさんの親父の思い出をお待ちしています!
 
そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日更新です!
https://www.youtube.com/watch?v=mKO1x_rcSBk
今回は「昭和の狭い」
ぜひ、ご覧ください~。


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