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昭和の 親父の思い出PART2

2025年02月16日

昭和46年生まれ53才、高橋裕です。
今週は「昭和の親父の思い出 PART2」で30分。
 
妻の父の話です。
8ミリの撮影が趣味で、行事や旅行の動画が残っています。
自分には子供の頃の動画は残っていませんが、
59歳の妻には残っていて羨ましいです。
そんな8ミリ好きの義理のお父さんですが、たまに本人も写っています。
そのポーズが日活の映画スターのように、ちょっとした高さのものに足を乗せて、片手は腰、もう片手は膝って感じでした。
「波止場のポーズ」って名付けられてるんですね…
 
短気で、寡黙な山師(林業)だった親父の楽しみは、「プロレス」観戦。
テレビ中継の日は、テレビの前に陣取り、私に"あ~だ こうだ"という事が唯一楽しみにしていて、仕事の寄り合いが入っても無視する強者でした。
ただ、生中継で、「最後までお伝え出来ません!」のアナウンスがあると、決まって。
『つまらん!! はぁ寝るぞ!!』とプリプリ。
"裸足の豊登"のドロップキックは世界一。と豪語していた父ももうすぐ命日なので、プロレス談義をしてこようと思います。
 
チャンネル権は父にあり、だいたい巨人戦とニュース。毎日晩酌するので、晩ごはんには必ずお刺身。車検の時に新車に買い替える頻度高め。
新しい家電が来ると、使用開始までの商品説明が長い。親父より、昭和のお父さんって感じの優しめではないかなと思います。
 
自分は、子供の頃は、「父ちゃん」でした。
高校生になり、父ちゃんはかっこ悪いと思い、「親父」と呼ぶようにしました。
我が家では、一番背が高いのが自分、妹、お袋、そして一番背が低いのは親父でした。
そんな親父から最後に怒られたのは、高校生の時。
なんで怒られたかは、覚えてない。
立っていた状態で怒られた。
そう、親父は、上を向いて怒る。
自分は、上から下を向いて怒られる。
すごい違和感を感じました。
たぶん、親父もそう思ったんだろうと思います。
それから、親父は、怒らなくなりました。
 
昭和の末期に夫とケンカした私は、実家に帰って両親に夫の悪口を言いまくりました。
それを聞いた母は怒って私と一緒に夫の悪口を言ってましたが、無口な父は何も言いませんでした。
鬱憤を晴らしてスッキリした私は家に帰ることにしましたが、
父が珍しく自転車のかごに私のカバンを乗せて、歩いて私を駅まで送ってくれました。
正直、無口な父と歩くのは間が持てなくて、送ってくれなくてもいいのにと思ったのですが、
駅に着いた時、父が「お前もいろいろ大変だけどしっかりやれ」と言ってくれて、父が励ましてくれたのは初めてだったので、胸がじ~んとして、
これからは親に心配をかけないように、夫の悪口を親に言うのはやめようと思いました。
 
私の親父は、まあ、あんまり喋らない父親でした。
なので、日々の出来事や相談事を話すのは、もっぱら母親。進学や就職の相談も母親で、答えてくれるのも母親でした。
だから、ウチはカカア天下だ!なんて思ってました。
が、親父の葬式の後に、そんなことを話すと、母親は、『なに言ってんの!ぜんぶお父さんに報告して、全部、お父さんが決めていたのよ!』と言われました。
知りませんでした。
無口な親父に、それを支えるオカン。いかにも、昭和の夫婦って感じです。もっと親父と話がしたかったなぁ。
 
さて、次週も「昭和の親父との思い出」で行きましょう。久々の3週連続テーマ。でも、まだまだご紹介しきれていない!短気、こだわりが強い、涙もろい、ナイターが好き、赤提灯が好き、人気者だったetcまだまだ、みなさんの親父の思い出をお待ちしています!
 
そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日更新です!
https://www.youtube.com/watch?v=d8ZTNNK11So
今回は「昭和の沢田研二」
年末年始、2週連続でジュリーの特集でした。
おもろかった。ぜひ、ご覧ください~。


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