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昭和の 雑魚寝

2025年04月20日

昭和46年生まれ53才、高橋裕です。
今週は「昭和の雑魚寝」で30分。
 
雑魚寝と言えば、小学生の頃、夏休みで祖母の家に泊まる時はいつも蚊帳で、皆で寝ていたことを思い出します。布団を取りあいながら。すごく田舎で、家の前に田んぼがあり、のどかでいいところなんですが、蚊が多くて寝ながらかゆくて、バチバチ手で払いながら寝ていた記憶でいっぱいです。
 
高校時代文化部の女性ばかり20名くらいで合宿とは名ばかりで、室積海水浴場近くの民宿に行きました。
“話し方に癖のある年配の顧問”と“まだ若い副顧問”は二人とも男性でしたが、合宿は20畳近くある民宿で一泊二日で、海水浴を楽しんだり散策をしたりしました。
夜は先生二人はビールを飲んで、私達はジュースやお菓子でワイワイ騒ぎ、『デンセンマンの電線音頭』を得意としていた年配の顧問が振り付け通りに歌いながら踊ってくれたりして、みんなは手拍子で盛り上がりました。ゲームや雑談をした後、みんなくたびれて雑魚寝をして一夜を過ごした楽しい思い出は47年経った今でも忘れることはありません。
 
昭和40年50年、私が二十代の時は会社の独身寮に入っていました。
部屋は四階建ての南向きで、夏は西日がまともに入り、おまけに鉄コン筋コンクリート造りなので熱を持ち、まるで蒸し風呂です。
当時はエアコンどころかクーラーも無く、唯一扇風機が寮で涼を取る手段でした。
そんな部屋で寝るのは地獄なので、夏の夜は、一階に有った食堂に集まり雑魚寝です。
床は塩ビで、窓を開ければそれなりに快適だったけど、午前一時頃から寝息が聞こえ始める毎日で、睡眠時間は長ごぉなかったはずじゃが、若いちゅうのぁ凄いのー。その分、休みの日には、よく寝てましたけどね。
 
我が家は、一階がバーで、二階が居住区でした。
夏の暑い夜はクーラーのある一階で寝ました。
ソファーを寄せ集めて家族で寝ます。
壁にとまっている大きな女郎蜘蛛が今でも記憶の底に張りついています。
 
昭和57年の23歳の頃、一人暮らしのアパートに小学校の時の友達が二人市外から遊びに来ました。
畳の部屋は四畳半で押し入れが四畳半の上に出っ張ってる感じで、畳の上にベッドも置いてたのでかなりの狭さでしたが、二人は一晩泊まっていきました。
私が自分のベッドに寝て、友達は狭い畳の上に雑魚寝状態。今、思い出すと遊びに来てくれたのにひどい扱いだったと思いますが、友達といえど自分のベッドに寝かせるのはなんか抵抗があったんです。
 
「昭和の雑魚寝」で思い出すのは、フェリーの大部屋での「雑魚寝」です。
入社当時、会社の研修で伊豆大島に行きました。
竹芝桟橋を夜中に出航し、朝に伊豆大島に着くフェリーの旅でした。
そのフェリーの客室は2等の大部屋で寝る際は「雑魚寝」でした。私は大勢の中で、なかなか寝られず、デッキに出て一晩明かしました。
当然、大島での研修初日は眠たくてオリエンテーリングでは頭が回らず、人に付いていくのが精一杯でした。
 
昭和の若者の冬のレジャーはスキーでした。短大生の時に信州へ通い始めて、宇部に帰ってからは結婚するまで大山スキー場に何度も行きました。地元の会社のスキー部の人達の中に入れてもらって、年末年始に3~4泊していました。宿では大広間に男女が雑魚寝でした。
 
さて、次週はテーマチェンジ。「昭和の録音」で行きましょう。
逆探知できません、TVの前にラジカセ置いてマッチの歌を直録、録音した自分の声を聴いてびっくりetc昭和の録音の思い出・メッセージお待ちしております。
 
そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日更新です!
https://www.youtube.com/watch?v=-VUaJ1WXHQU
テーマは「昭和の地下②」
山根さんは富士山麓の「麓」が書きたくて練習したそうです。


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