ご昭和ください ブログ
昭和の 逃したチャンス PART2
2024年10月27日
昭和46年生まれ53才、高橋裕です。
今日は「昭和の逃したチャンス PART2」で30分。
自分は、小学一年から高校まで、運動会の徒競走は殆どビリで良くて五位でした。
それが、高校三年の学生生活最後の運動会、障害物競走に出場した自分は、最後の網をくぐり抜けた時に、なんと、トップになっていました。
しかし、ゴールまで残り10メートルの所で興奮しすぎて躓いてしまい、結局二位でした。
夫が大学3年(昭和59年)の頃、ゼミの合宿で長野県の野辺山スキー場へ行きました。
ゲレンデでアラブの白い民族衣装を着て滑っていた人が転倒し、すぐそばにいた夫がストックの持ち手の方を差し出して助けたそうです。
気がつくと、SPらしき人に囲まれ、同行していた通訳の人に英語で話しかけられ、ロッジへ移動しコーヒーをご馳走になりました。
通訳の人がアラビア語から英語だったので、たまたま英語が話せたゼミの友人に同席してもらいました。
「助けてもらって、とても感謝しています。自分はドバイの王位継承11番目で、名前はアブドゥル・ハッサンと言います。ドバイに来た時は、連絡してほしい。」と、アラビア語の名刺を渡されましたそうです。夫は全く興味がなく、行く事もないと思い、ゼミの教授に名刺をあげてしまいました。
結婚してその話を聞いた私は、ドバイに行っていたら、豪華なおもてなしと、油田の1つでも貰えたのではないかと勝手に思い、その名刺を持っておけば良かったのにと思うのです。
中学2年生の時、母と二人で徳山駅の新幹線のりばの椅子に座っていたら、
「さっき、中原理恵さんが目の前を通ったよ」と母が言いました。
私は、疲れていたのでずっと膝に手を当てて下を向いていたため、見ることができませんでした。
既に、通り過ぎた後に知らされてガッカリしました。
自動二輪(小型)の免許を取りに行った時のことです。当時、その自動車学校は女性で自動二輪を受ける者が少なかったと思います。
コースを覚える為、先生が「後ろに乗りなさい」と…。 何処を持てばいいのか戸惑っていたら「彼氏に抱きつくようにしっかり持ちさん」と私の手を持って 密着させ小柄な私なので周りから見たら子供を 乗せているようだったのではないでしょうか。年齢も親くらいだったと思います。その自動車学校で 1番カッコ良く凄くステキな先生だったので、一緒に行っていた友人(普通免許を受講)からブチうらやましがられたものです。普通車では、あんなチャンスはないんだから、もっとしっかり抱きつけばよかった。ウブな私には出来なくて、チャンスを逃して「アアーしもーたぁ」でした。
さて、次週11/3のテーマは「昭和の記念」で行きましょう。今回の放送で話に出た「高橋裕、喋り手生活30年記念…」なんて話から浮かび上がったテーマ。上司のホールインワン記念のボールペン、記念写真、記念メダル、記念ボールetc昭和の頃はやたらと「記念」が多かったと思います。
昭和の頃の記念にまつわる思い出・エピソードをお待ちしております!
そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日更新です!
今回は「昭和の 小学生の頃に欲しかったもの②」
https://www.youtube.com/watch?v=3uyGve3XO_E
再編集バージョンでご覧いただきます!
「第1回梅さくちゃんと山田くん」もお楽しみください!
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