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昭和の 小学生の頃に欲しかったもの PART2

2024年09月08日

昭和46年生まれ53才、高橋裕です。
今日は「昭和の小学生の頃に欲しかったもの PART2」で30分。
 
「昭和の小学生の頃に欲しかったもの」
それは、「フラッシャー付き自転車」です。
テールのウインカーランプが流れるように光り格好良く小学生男子の心を鷲掴みでした。
さらに、フレームのセンターにレバー式の変速機
フロントにはダブルヘッドライトが装備されていました。当時、家には動かなくなった自転車2台を組み合わせて動くようにした自転車しかなく、4万円位した新車など夢のまた夢でした。豊かな家庭の友達が得意げに乗っているのを羨ましく見ていたのを覚えています。
 
欲しかったもの…何と言っても…あの…電子フラッシャー付きの自転車。流れる電子フラッシャーによる方向指示器、コンソール型5段変速機、デュアルヘッドライト、ディスクブレーキ…あまりのかっこ良さによだれが出そうでした。しかし、買ってはもらえず、中途半端な方向指示器だけ買ってもらって後付けしましたが、満足度は低かったです。
 
小学生の時に欲しかった物。当時、流行っていたローラースルーゴーゴーです。近所の子が持ってていて欲しくてたまらなく、少しずつためていたお年玉で買いました。真っ赤なローラースルーゴーゴー、近所で得意げに乗り回していました。
 
私が欲しかった物は、友達の家にあったボードゲームです。「人生ゲーム」に「億万長者ゲーム」欲しかったです。でも、ウチでは買ってくれない。
なので、10歳の時に、丸々書き写すことにしました。友達の家の“人生ゲーム”を書き写しましたが、デカい紙がない。オカンに言ったら、くれたのはカレンダーの裏紙。デカい模造紙が欲しかったですが仕方ないです。
車型のコマは消しゴムで代用。結婚して子供が生まれると刺すピンは、マチ針で代用。
ルーレットは作れないので、サイコロで代用。しかも、「サイコロキャラメル」の空き箱でした。
涙ぐましい努力だったと思います。
が、どうにもならなかったのが、ドル紙幣。
自分の手書きは、かっこ悪くて、やっぱり全然ダメでした。ほどなく、マイ人生ゲームに飽きてしまいました。
 
私が小学生の時に欲しかったのは「自分専用のラジオ」です。
小学5年生の頃、中2の姉が試験勉強をしながらオールナイトニッポンを聴いていました。
亀渕昭信さんや高島秀武さんがパーソナリティをやってた頃で、姉のお気に入りはあまちゃんことあまいくにおさんという方でした。
昭和45年当時、うちにはラジオは一つしかなくて、私のお小遣いで買えるような安いラジオは売ってなかったと思います。
今みたいに気軽に見に行けるような電機屋さんも少なかったような。
 
小学生の時に欲しかったもの。それは、「サンダーバード秘密基地のプラモデル」です。
今井科学から発売されていたものです。当時、今井科学が倒産してしまったので幻のプラモデルだったかと思います。サンダーバード2号単体では遊んでいましたが、秘密基地のヤシの木が倒れ、発射台がせり上がって発射されるギミックにあこがれていました。友達も皆、欲しいなぁと話題になっていたプラモデルです。
 
小学校の低学年の頃の運動会で、ゴダイゴの「銀河鉄道999」の曲に合わせてダンスをしました。踊ることが大好きだった私は、家族にも踊りを見せたくてどうしてもゴダイゴのそのレコードが欲しくて欲しくて。母にねだって買ってもらいました。小学生が欲しがる曲としては、ちょっと渋すぎですね。
 
さて、次回も「昭和の小学生の頃に欲しかったもの」で行きましょう。久々の3週連続テーマ。テレビ、自家用車、おもちゃ、ラジコン、野球盤etcエピソード交えて教えてください!
 
そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日更新です!
https://www.youtube.com/watch?v=x1qkQcegn
今回は「昭和の氷④」
山根さん、高校時代、後輩の女の子を得意げにスケートに誘ったけどその子はマイスケート靴持ってるほど上手い子で逆にその子に教えてもらったとか。。。


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