ご昭和ください ブログ
昭和の 街に出る
2024年12月08日
昭和46年生まれ53才、高橋裕です。
今日は「昭和の街に出る」で30分。
昭和53年、中三のときの話です。
友達3人と映画を見に行くことになり、田布施駅から徳山駅へ。
映画は、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』で、みんな、初めての徳山。
"どこでごはんを食べるか?プラモ買って帰ろう!!"なんて言っていたのですが、
映画館の前からすごい人・人・人で、人ごみに慣れていない私は、初めて"人に酔って"しまい、気分が悪く、映画も観ずに寝入ってしまい残念だった思い出があります。
鹿野在住者にとって当時、街と言えば徳山。
家には車がありませんでした。なので、まずタクシーでバス停に向かいます。
「鹿野発 新南陽経由 徳山行き」のバスで終点の徳山駅前に行っていました。
降りると、空気が違います。都会の匂い。
当時、みなみ銀座商店街は凄い数の人出。
アーケードの向こうが見えません。デパートのレストランでお昼ご飯。入口のサンプルを見るだけで大興奮でした。ケチャップご飯に旗のお子様ランチを食べ、一階で「徳山饅頭」を買ってもらい、バスの時間まで、駅ビルの屋上から、海と船を眺めて大満足。
夕方、鹿野に戻ります。夕飯後、仏様にお供えした、徳山饅頭を頂いて楽しい一日が終わります。
ちなみに、鹿野から徳山へ行く事を「沖に出る」と、言います。
昭和54年。15歳、中学3年生でした。
夏休みに、彼女とシーモール下関に映画を観に行く事になりました。
下関駅のひとつ手前の幡生駅から電車で行くことにしました。当時は、自動券売機もなく、窓口で、切符を買っていました。
彼女とのデートで嬉しすぎてテンパッた私は、窓口で『下関まで、大人2枚。』と言うところを『シーモールまで大人2枚。』と言ってしまいまして、彼女は、大笑い。
駅員さんは『はい、シーモールまで大人2枚ね。』と下関までの切符を2枚出して下さいました。
「ドカベン」の劇場版を観てお好み焼きを食べて帰りました。
山口市で買い物。山口市商店街(アーケード)西門前、道場門前、米屋町、中市でした。家族と行く時は路線バス、中学生になると友達と平川から自転車をこいで遊びに行っていました。
ダイエーの屋上に遊園地があり、ゴーカートで遊んだ記憶があります。
母方の祖母に私が物心つくかつかないかの幼少期、手を引かれて下関から10分間ぐらい船に乗り、上陸した後に路面電車に乗りました。
幼い私は船も路面電車も初体験で
とにかくとてつもなく大きな街に感じて、
ビクビクしながら祖母の手をシッカリ握りしめてた事だけは今でも忘れられない九州は門司での恐怖体験です。
鳥取県境港に住んでいた昭和40年代前半、その街は当時の国鉄・境線で行く米子です。
有名百貨店がいくつもある米子、母や伯母に連れられて行ってたんですが、二人ともおめかしをしていたのを覚えています。
昭和の街へ出るで思い出したのは、「中学校の校則」です。
中学時代を過ごした町は、福井県の片田舎で生活必需品以外のモノ(レコードや楽器、スポーツ用品、等々)を売っているお店が有りませんでした。
そのため、欲しいレコード等を買いたい時は、国鉄で30分くらい掛かる隣の大きな街まで行く必要がありました。ところが、中学校の校則は「親の付き添い無く、生徒同士だけで校区外へ行っては駄目」となっていました。
さて、次週12/15も「昭和の街に出る」で行きましょう。大きな駅前、デパートの噴水式のジュース販売機、憧れのメリーゴーランド式のお菓子販売、地下街に初めて入った、高いビルに上ったetc皆さんからの街に出る話お待ちしております
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