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昭和の 氷PART2

2024年08月11日

昭和46年生まれ53才、高橋裕です。
今日は「昭和の氷 PART2」で30分。
 
昭和56年、就職した会社の独身寮で先輩達と呑み会がありました。酒は先輩が、安~~~いジン等を買って来るのですが、私は氷を調達する係で、まだ、コンビニも無い時代、スーパーでカチワリ氷を買うと、一袋1000円するのでブロックの氷を500円位で買いました。酒を買った方が安いやないかい!そこで「ジン自体を凍らしたら氷は要らなくなるかな」と思い、ジンを冷凍庫に入れましたが、アルコールなので凍りません。でも、氷かけのトロトロ状になって、口当たりがよく先輩達に大好評になりました。
 
その昔、下松駅前から中市付近で土曜夜市というものが夏に行われてました。中市付近の夜市はとてもシンプルだったけど、氷の中にお花が入った氷柱花が飾られていて、歩行者が涼を求めてそれを触っていたのを覚えております。
昭和の夏の夜は涼しかったから氷柱花は結構 長い間飾られていたけど、令和の夏の夜だったら1間弱で溶けてしまいそうですね
 
私の高校3年最後の夏は審判員へお茶出し当番をしました。お茶と一緒にオシボリを出すのですが、審判員のかたがオシボリで滝のように流れ出た汗をぬぐうと、とても気持ち良さそうに「ありがとう」と言ってくれました。ヤカンのお茶を冷ます為に大きなタライに氷屋さんから運ばれてきた氷を入れて冷ましておくのですが、少し小さくなると、別のバケツに氷を入れ少しでも涼しくなってもらおうとギリギリまで氷水にオシボリを浸けていました。
 
中学生だった時に宇部にスケート場ができました。生まれて初めてスケートをしました。それはそれは大人気でした。父兄同伴じゃないといけなかったので仕方なく父に付いてきてもらっていました。
入場までは長い行列。
部活はテニス部で私は補欠だったのですがレギュラーの同級生が手すりにつかまって恐る恐る滑っていたら足だけが先に行ってしまい肩を脱臼。試合に出られなくなって顧問に叱られていました。
 
関西に住んでいた小学生の頃、駄菓子屋さんでかき氷を売っていました。お皿は、ウエハースのような物で出来ていて全部食べられるのです。早く食べないとフニャフニャになりますが、エコですよね。もう一度食べてみたいなぁ。
 
私が幼稚園の頃、家の近くの商店の前に「かき氷の自動販売機」が設置された時は衝撃的でした。
味は「イチゴ」「メロン」「レモン」の3種類だったと思います。自販機のバナーの写真も3色が凄く映えていて、胸がときめきました。
母親をねだり倒して「イチゴ味」を購入。ついでに母親は「メロン味」を購入した記憶。お金を入れると、白いカップが「ストン」と下りてきて、斜め上から氷が「シャーッ!!」と噴出され、最後に上から蜜がかかって終了。全てが「オートマチック」で行われるという事そのものに、限りない満足感を覚えました。
 
さて、次回のテーマは「昭和の17の夏」で行きましょう。私高橋は昭和63年が17の夏。ギリギリ昭和。伊豆の白浜に電車で男4人で出会いを求めて出かけて女の子の足元にビーチボール転がして「すみません、取ってください~」なんて声かけて。昭和の17の夏の思い出・エピソード、お待ちしております!
 
そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日更新です!
https://www.youtube.com/watch?v=nWe0vhJLwco
今回は「昭和のやきそば」
私高橋は休みの日でも起きたら襟付きシャツにすぐ着替える…そんな話になっています。
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