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昭和の 17の夏

2024年08月18日

昭和46年生まれ53才、高橋裕です。
本日8/18は山根由紀夫さんの65才の誕生日。いやぁ、めでたいめでたい。
そんな中、今日は「昭和の“17の夏”」で30分。
 
昭和56年高校3年生の私は、部活は引退したのですが、生徒会長だったので、夏休みは「運動会」と「農高祭」の準備等で学校へ通う毎日。「生徒会室」を自由に使えたためラジカセを持って行き楽しく過ごしていました。
ただ、8月後半に、映画「ねらわれた学園(主:薬師丸ひろ子)」を観に行く約束をしていた彼女に、思いっきりフラれ、今でも『私の青春をかえせぇ~!!』と、毎年の夏、思い出します。
 
高校2年生17歳、青春真っ只中の私は、チェッカーズに夢中で、雑誌・レコードを買い、山口市民会館、徳山市民会館(当時)、広島等、コンサートに行ってました。
 
進学高に通学していたので、17歳の夏は、毎日毎日、勉強。暑い四畳半の部屋で、扇風機だけで勉強、勉強の日々でした。
が、高校に行く途中で、隣の高校の女子高校生に、人生初ラブレターをもらい、衝撃的な夏でもありました。待ち合わせの場所に行きはぐれてしまい、あとで、女子高校生に「待ってたんです、残念でした」  と、あっけなくふられてしまい、撃沈の夏でもありました。
 
17歳といえば昭和60年、夏の高校野球決勝のPL対宇部商業を思い出します。
当時は甲子園の決勝と登校日が重なることが多く、私は「お腹が痛い」と言って親に許しをもらい学校を休み、テレビ観戦をしていました。
 
自分が17才の時は昭和45年で広島市の高校2年生でした。丁度、大阪万博の年で、夏休みに父親と万博に行きました。母が紳士服の縫製工場のパートに出ていて、本社が大阪にあり従業員の家族で希望すれば社長の家(ビル)に泊めて貰えるとのことで、宿泊代&食事代は無料で泊めて貰いました。ホテルの予約が取れない中安心して見学に行けました。
 
ズバリ、大阪万博です。運のいいことに修学旅行先になりました。万博に連れて行ってもらえるような家ではなかったので、超ラッキーでした。
当時、新幹線は東京、大阪間のみ開通。万博で頭がいっぱいだったのか、列車の記憶がありません。宇部から大阪までかなりの時間をかけて乗って行ったと思います。万博会場に着いて最初に目に飛び込んできた「太陽の塔」のインパクトは今だに忘れられません。それはそれは巨大でヘンテコでした。「月の石」を見る行列に並ぶ時間なんて修学旅行生にはありません。ひたすら行列をしないで入れるパビリオンを巡りました。
 
さて、次回も「昭和の17の夏」で行きましょう。高橋少年の17の夏は、大手スーパー2階の子供服売り場の定員のアルバイト、ぐちゃぐちゃに荒らされたワゴンセールの服をせっせと畳んでました!昭和の17の夏の思い出・エピソード、お待ちしております!
 
そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日更新です!
https://www.youtube.com/watch?v=QfClsQemTe0
今回は「昭和のスプレー」
食卓に現れたハエを撃退するのに親父はスプレーを噴射、家族は新聞紙を広げて食卓を守るという連携プレーの話、よくコントで見たなぁ。


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