ご昭和ください ブログ
昭和の 沢田研二PART②
2025年01月05日
昭和46年生まれ53才、高橋裕です。
令和7年もご昭和をよろしくお願いいたします!
今年1回目のテーマは、「昭和の沢田研二PART②」。
“TOKIO”を聴きながらでスタート。
今回もたくさんメッセージが寄せられました。
沢田研二さんと言えば、一人になってからヒット曲を連発した70年代後半、
高校生だった僕らの中では「沢田ジュリー」と呼んでいて、昼休みとかに水を口から吹き上げたり、
学生帽とかを投げたりと、歌マネしながらワイワイしていました。
ちなみに、沢田研二さんは我が故郷の鳥取県生まれです。
沢田研二さんの中で好きな曲は「危険な二人」です。イントロがカッコいい。
たぶん、初めて聞いた曲は、昭和49年の紅白で歌った『追憶』だったと思います。歌詞の“ニーナ”って誰?って、しつこく担任の女の先生に聞いたことがありました。たぶんしつこすぎたので回答はもらえませんでした。
自分が中学生から二十歳過ぎの音楽シーンのど真ん中で最も輝いていたのが沢田研二です。
今も、同級生とあって「俺達の時代のスターって、一人あげると誰じゃろう?」と言う話になると、完全に沢田研二、ジュリーに間違いありません。
沢田研二とは、そんな存在です。
今回のテーマ、昭和の沢田研二だそうで、せめてますね(笑)
沢田研二と言えば、樹木希林さんの「ジュリー~~」ですよね。「寺内寛太郎一家」は、見てました。
私の4つ上の姉がジュリーのファンで、下関にコンサートに来たとき、一緒に行きました。生着替えなんてものがあったのを、覚えています。
それから、新曲が出る度楽しみでしたね。
TOKIOの落下傘。カサブランカダンディーの歌う前に、ウィスキーの小瓶みたいなの(なんていうんですか?)から何かを飲んで吹くなんて、本当に色々されてました。それから、本当に綺麗でセクシーでしたよね。そして、お歌が上手でした。
この前動画を見ていたら、<ジュリーと志村けん氏が似てるからなのか?同じ服を着て、同じ動作をする鏡コント>が出てきました。
沢田研二といえば、ベストテンなどの歌番組での派手な衣装・ステージパフォーマンスが記憶に残っています。
その後、中学生から洋楽好きになり歌謡曲なんて…って感じになってました。
今回お題になって調べてみると、ザ・タイガース時代にGrand Funk Railroadのハートブレーカーをカバーしてるではないですかかっちょええ!!
今回も山根さんの“ジュリー解説“が聴き応えありでしたね~。ちょいちょい挟んでくる情報が濃い。
さて、次週、1/12のテーマですが、「昭和のりんご」で行きましょう。リンゴ木箱が勉強机、屋台のリンゴ飴、林檎殺人事件、黄色くならないように塩水につけたetc令和7年もご昭和リスナーの皆さんのお力で番組を盛り上げてください!
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