ご昭和ください ブログ
昭和の りんご
2025年01月12日
昭和46年生まれ53才、高橋裕です。
今週は「昭和のりんご」で30分。
幼少期の頃、風邪をひくと、おばあちゃんが(薬を飲むより、これが効く!)と言って1個まるごとのリンゴを大根おろしのおろし器でおわんイッパイに剃って食べさせてくれました。
最初の数口は美味しいですが、その後飽きて時間がたつと茶色に変色、見た目も悪くて、ほとんど食べないまま、おばあちゃんにわからないように母から薬をもらって飲んでいました。
何の病気になっていたか記憶に無いのですが、病気の時だけ母がリンゴをすりおろして食べさせてくれていました。皮のままだったように覚えています。余程、具合が悪かった時だったのでしょう、すりおろしたリンゴをガーゼで絞った物を飲んだこともありました。昭30年前半頃です。
子どの頃は宇部に住んでいました。両親が長野生まれだったので、秋になると、長野からりんごが宇部新川駅に手荷物符票で届き、父親と一緒に荷物を新川駅まで取りに行きました。木箱を開けると緩衝材がわりの籾殻の中に赤いりんごが入っていました。当時は運搬条件が悪かったのか、一部は傷んでいた物もありました。りんごも今と違い甘くなく、酸っぱいりんごの方が多かった印象が残っています。
小学校で包丁の使い方を覚えてから『りんごの皮むき大会』がありました。早剥きではなく、リンゴの皮の長さ対決ですね。切れずに剥くのって、とても難しかったです。途中で切れましたが、割りと上位にランクインしていたと思います。
昭和のりんごと言えば、小学5~6年生の家庭科で包丁の使い方を学ぶ為か覚えてませんが、りんごの皮むきのテストがありました。調理師免許を持った母から鍛えられて、りんごの皮むきをしました。りんごを4つに切ってから芯と皮をのける方法と、りんごを切らずに丸ごと、皮を薄く細く長く剥く方法もやりました。初めは皮が分厚くなったり、指を切りそうになりましたが、何個も何個も毎日練習したおかげで上手に出来るようになりました。
父親の知人が長野にいたので長野産のりんごが送られてきました。木箱はテレビでしか見たことがなかったので珍しく、しばらくは置いていましたが、邪魔になって、当時、五右衛門風呂だったので燃やしちゃいました。
さて、次週、1/19も「昭和のりんご」で行きましょう。昔の林檎はそんなに甘くなかった。山根さんのお母さんは「リンゴに蜜が入っている」のを自慢げに見せびらかしていたetc次週も「昭和のリンゴ」でお待ちしております!
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