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昭和の スプレーPART2

2024年07月11日

昭和46年生まれ52才(7月16日で53才)、高橋裕です。
今日は「昭和のスプレー PART2」で30分。
 
前回の毒霧の話で思い出しましたが、
昭和の時代劇を見ていると、けが人が運び込まれると、医者が焼酎を口に含んで傷にプワーッとスプレー状に吹きかけて消毒するシーンがよくありました。ちょっとかっこいいのでやってみたかったですが、今思えば口の中の歯周病菌も一緒にスプレーする感じじゃないかと思うと、はたして消毒になっていたのか心配になります。
 
私の通っていた高校は、入学当時、男子は、丸坊主の決まりでした。一学期の終わり頃、髪型は、丸坊主でなくても良い、校則が、緩くなり、みんな髪型を、7・3分けにしたく、髪の毛が伸びると、無理矢理、スプレーで、ガチガチに固め、7・3分け風に、努力をしていました。ドライヤーをかけすぎで、髪の色が、赤茶色に変わっていました。
 
体育の授業が済んで着替える時、教室のアチコチで8×4をシュッとする人が出始めました。〝いかにも女子力高い〟という感じがするので 私も買って 女子力高い気分になってました。  
 
中学生の頃、制汗スプレーを買いました。レモンの香りでいい感じでした。学校には、扇風機しか無かったし、皆、下敷きで扇いだりしていました。制汗スプレーを使い出して、少しは、快適に過ごす事が出来ました。
 
私が自分用で一番最初に使ったのは、レコードのクリーニングスプレーですかね。
レコードをエンベロープから出してクリーナーを薄くスプレーし、スティックのフェルトでレコードをまんべんなく拭きプレーヤーのターンテーブルへ。ソノシートはペラペラなので、スプレーしたらターンテーブルに置いて回転させながらフェルトで拭いでました。
 
艦の検査修理でドック入りし業者がする乾舷(カンゲン、水面から上甲板の側面部分)、船底塗装で使うスプレー、あれは結構でかいし熟練工のスプレー塗装は早いし仕上がりが綺麗でさすが!
 
私が幼稚園の頃、父親と風呂に入っている時の事です。頭をシャンプーで洗いながら、髪の毛で両側に角を作り、真ん中を少し尖らせて「ウルトラマンタロウだ!」と遊んでいると、父親がおもむろに、スプレータイプのシェービングフォームを手に取り、泡を僕の口の周りに付けて「ウルトラの父じゃの♪」とデコレーションしてくれた事がありました。
私はその事がおもしろく、味をしめ、一人でお風呂に入る時には、決まって「ウルトラの父」に扮して遊んでいました。シェービングフォームが出てくる時の音とか、スプレー缶から泡が出てくる様そのものが面白くもありました。
最終的には「最近減りが早すぎる。もう、髭剃りの泡で遊んだらイケんぞ。髭もシャンプーで作れ。」とクギを刺されたので、以降、シェービングフォームの無駄使いはやめました。子供の頃の思い出です。
 
子供の頃、うちのお袋もそうでしたが、化粧台、三面鏡の前には、やたらと髪を整えるヘヤースプレーが置いてありました、友達の家に遊びに行っても、必ずそのてのスプレーがありました。
おばさんパーマ全盛期の、必需品だったんですかね(笑)
 
学生時代によく使っていたスプレーがありました。コールドスプレーです。当時、運動部で、よく先輩らが、練習の合間に使っているのをみて、自分も使ってみたい!と思い買って使ってました。
すると、ある日、何気にテレビを見ていると、新幹線を掃除するスタッフが掃除道具のアイテムに、コールドスプレーを使用しているのをみて驚きました。当時はよく、新幹線の通路にガムを捨ててあったので、そのコールドスプレーを使用してガムを取っていたのを思い出しました。
 
さて、次回は「昭和の氷」で行きましょう。かき氷はもちろん、氷まくら、ウイスキーの氷、氷の彫刻…etc昭和の頃の“氷にまつわる話”をお待ちしております!
 
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