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昭和の スプレー

2024年07月07日

昭和46年生まれ52才、高橋裕です。
今日は「昭和の スプレー」で30分。
 
昭和のスプレーと言えば、やっぱり殺虫剤です。
とくに、晩御飯を食べてる最中に、どこからとなく、数匹のハエが飛んできます。手で払いますが、中々逃げてはくれません。
すると、親父が動き始めます。テレビ台の中の殺虫剤スプレーに手が伸びます。
家族はすかさず、新聞紙を数枚広げ食卓を覆うと殺虫スプレーが噴射されます。
薬が浮遊している間、食事は中断します。
5分くらいで食事が再開してました。
 
昭和のスプレーですが、やはりヘアスプレーでしょうか。
中学3年生の時に聖子ちゃんヘアーが大流行。
クラスの中でも、聖子ちゃんヘアーにしている女子がいました。校則違反にならないよう、パーマをかけずに、毎朝くるくるドライヤーでブローして、ヘアスプレーでバリバリに固めて型だけはまさに聖子ちゃん。私は毎朝時間をかける根性も、聖子ちゃんヘアーに仕上げる技量もなく、おかっぱでした。
 
昭和のスプレーといえば、髪をセットしたあとに、固めるミドリの“ケープ”でした。当時は聖子ちゃんカットが流行りで、くるくるドライヤーで外巻きにして、型崩れしないように固めるのですが、あまり近くで吹き付けると白くなってしまい失敗することも、、その後の流行りは前髪をトサカのように立ち上げ、スプレーで固める工藤静香スタイルで、女子には必需品だったと思います。
 
昭和のヘアスプレーは匂いがきつかったです。
母が髪をカーラーで巻いて、仕上げにシューッとヘアスプレーをかける時は、息を止めて他の部屋に逃げていました。
参観日にお母さん達が教室に集まると、全員の頭から漂うヘアスプレーの匂いと、よそいきの着物から漂う防虫剤の匂いが混ざりあってすごかったです。
 
私が中学生の頃、「HONDA CITY TURBO」のプラモデルを作るときに、タミヤのスプレー缶の塗料を使ってみました。初めてだったのもあり、楽しくなってジャンジャン吹き付けて、だいぶ分厚く塗ってしまったのを覚えています。そのあと、乾くのを待てずに、つい塗装面を触って指紋をつけてしまいました。
 
「昭和のスプレー」で思い出すのが、模型等に吹き付けて色を着けるスプレーです。
小学生の頃、「Uコン」が流行っており、近所の空地で飛ばしていました。
当時、兄が「Uコン」のキットを買ってきて作っていました。バルサの木で骨組みを作り、エンジンを取り付け、仕上げにテープでマスキングした部分に「スプレー」で塗料を吹きかけていました。
私は、夏休みの自由研究に、兄が作った飛行機を提出したら、市内の学校の優秀作に選ばれ、金賞を受賞してしまいました。「兄が作った飛行機なのに...」と思いながら、複雑な気持ちでした。
 
噴射式殺虫スプレーと言えば現在ではスプレー缶が当たり前ですが、私が小学生の頃は手動式のハンドスプレーでした。本体がブリキの筒状で先端に白や黄色の薬剤を入れるカップがあり、瓶に入った殺虫剤を買って来て入れピストンの取っ手を前後に動かし噴霧する物でした。
 
さて、次回も「昭和のスプレー」で行きましょう。今週まだまだ出ていないスプレーはあります。番組聴いて“あれもスプレーだったなぁ”と思い出すネタをお待ちしております。
 
なお、7月13日土曜日から夏の高校野球山口大会が開幕します。高校野球期間中は、中継がある場合はお休み、雨などで中継やらない場合は11時半から放送ございますので、ご昭和も高校野球も応援よろしくお願いします。
 
そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日更新です!
今週は「昭和のいつの間にか出来るようになっていた事」。
https://www.youtube.com/watch?v=OHJhp3PBrmo&t=430s
逆シングルを披露してくれた少年!うまいぞ!
途中から流れる「第1回 ご昭和フタオープン選手権」もお楽しみください!


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