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昭和の測定 PART2

2026年04月17日

今週は「昭和の測定 PART2」で30分。“はかるもの”っていろいろあるんですね~。

 

≪昭和43生まれのリスナーさん≫

小学生時代に「クラス対抗体力測定大会」がありました。いろいろな競技があり、100m走や、1000m走にリレー、走り幅跳びに走り高跳び等、順位で点数をつけ、クラス順位を争うものでした。

自分はソフトボール投げにエントリー。出る人は、当然、少年野球をやってる人間ばかり。自分なんかは、野球は遊び程度しかしてませんでした。でも、結果は野球経験者相手に2位になりました。

 

≪昭和38年生まれのリスナーさん≫

「牛が居なくなった牛舎兼倉庫を建て替える」と親父が言い出したのが中学1年の時でした。

二階には勉強部屋ができる計画。どこかの建築会社に頼んだのかと思ったら、休日や仕事から帰宅後に、親父が1人で作業を始めました。家の土台を作る時、手伝わされたのが「水盛り」と言う作業。水を充填した細い透明のビニールホースで水平な位置に鉛筆で印をつけていきました。

「基礎が一番大事」と言ってました。

完成した勉強部屋で中高生時代を過ごし、熊本県の測量の専門学校に進学しました。

レベルと呼ばれる望遠鏡のような器械で測ると水平が解ると言う事を学びました。

 

≪昭和43年生まれのリスナーさん≫

昭和の測定と言えば水泳部での「100M平泳ぎ」。

自分が中学生の時は、1分30秒を切るとインターハイに出場が出来たんですが、自分のタイムは、1分30秒から1分31秒の間でした。先生から「0.5秒くらいだしどうにかしてやろうか?」と、温かい申し出が有りました。しかし、当時の私は、「大きな大会で、ビリを泳ぐのはイヤ」と断った記憶が有ります。今、思えば出ておけば、良かったかな?と、思っています。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

「昭和の測定」で思い出すのは「スピードガン」です。中日スタジアムで球速表示が始まった昭和55年、中日ドラゴンズの小松辰雄投手が150km/hを連発し「スピードガンの申し子」と呼ばれていました。

その年の夏休みに、近くのショッピングセンターで

「スピードガン球速測定イベント」が行われ友達と参加しました。帰宅部の高校一年生の全力投球は90km/hが精一杯だったと記憶しています。

 

≪昭和27年生まれのリスナーさん≫

私の中学時代は、学校の規則で男子はみんな、丸刈りでした。月に一回、頭髪の検査があり、先生が手のひらを頭に乗せ、指の間から髪の毛が伸びていたらアウト!すぐさま先生がバリカンで10センチぐらい5厘カットに。一部分だけで恥ずかしいので散髪して登校しました。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

小学校では体力測定とスポーツテストがありました。握力測定で思い出すのが測る時に測る手を脚とか身体に押し付けると力以上の数値が出るので、いかさまをするやつが中にいましたよ。

 

≪昭和55年生まれのリスナーさん≫

ファミコン世代ど真ん中の私にとって、かつて絶対に負けられない「測定」がありました。

それは「連射」です!ただひたすらに10秒間、誰よりも多くボタンを叩いた者が一番偉い。そんな単純明快な遊びに、私たちはあの手この手で興じたものでした。

我が家には、“シュウォッチ”という連射測定のためだけに生まれたおもちゃが今も残っています。

ある日、8歳の息子が押し入れからそれを見つけ出し、無心にボタンを叩いている姿を目撃しました。かつての自分を見るようなその光景に、私は思わず目を細め、微笑ましい気持ちになりました。

しかし、ふと画面に表示された彼の記録を見ると、かつての「猛者」としてのプライドが騒ぎます。おぼつかない手つきで必死に挑む息子を横目に、私は心の中で静かに呟きました。

「悪いな。その程度なら、まだ父さんの勝ちだ」

いつか追い越されるその日まで、この小さなボタンの上の記録だけは、全力で守り抜こうと思っています。

さて、次週4/26は新テーマ、「昭和の新品」で行きましょう。おNEWです。お下がりでなく新品。新品の靴のマジックテープはよくくっつく。山根さんは“新車の匂い”がお好み。昭和の頃、新品を手に入れてワクワクした思い出、エピソードをお待ちしています。

 

 

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昭和の測定

2026年04月12日

今週は「昭和の測定」で30分。やはり「座高」の話が多かったですね~

 

≪昭和34生まれのリスナーさん≫

昭和の測定」と言えば、やはり学校での身体測定です。特に思春期では座高測定を気にしてました。なぜなら胴長短足度がわかるからです。

 

≪女性リスナーさん≫

昭和63年春。私は小学6年生でした。

その春の身体測定で座高を測った時に発覚しました。「クラスの女子の中で1番座高が高い!」背は真ん中ぐらいなのに。

自慢にもなりませんよね。座高No.1女子なんて。

でも、私はお尻が大きかったので上半身が長いというよりは、お尻の肉が厚いってことにもなりますよね。決して足が短いわけでは無いはず。

 

≪昭和42年生まれのリスナーさん≫

私の母は中学を卒業するとすぐ、宇部港近くの計量所に勤め始めました。事務所の前には工業鉄くずを積んだトラックごと重さが計れる 大きな鉄板のはかりがあり、近所の子供たちがローラースケートをしに来てました。また、計量器の問屋もしていたので、我が家には、分銅や棒天秤、料理はかり、温度計などが残ってます。

 

≪昭和37年生まれのリスナーさん≫

昭和50年4月、中1の時、入学式の翌日、1年生全員の体力測定がありました。

1学年4クラスで半分以上は知らない人。勿論、誰がどのくらい体力があるのか、みんな関心を持って測定していたと思います。

肺活量の検査では、Mさん(女子)が男女合わせて学年トップの測定結果でした。どんな女子なのか?別のクラスからゾロゾロと大勢Mさんを見に来てました。

 

≪昭和34年生まれのリスナーさん≫

昭和の測定で思い出すのは、「巨人の星」で星飛雄馬の巨人軍の入団テスト。第二テストの「遠投」で投げたボールが、115メートルのフェンスにダイレクトに当たって挟まり、測定不能に。しかも、遠投でやや上向きに投げたのではなく、ピッチャーがバッターに投げる様な球筋でした。なんちゅう強肩なんじゃと思いました。合格は85メートル以上だったと思います。因みに第一テストは100メートル走で11秒台迄が合格でした。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

「昭和の測定」で思い出すのは「反復横跳び」です。小学校のスポーツテストの一つでした。

20秒間で何回2本のラインを左右にまたぎ飛べるかというテストです。

あわてて、足を滑らせる子、半ズボンのお尻の部分が破けちゃう子、そんな子を見て学習できたのでしょう。着実にリズム良く飛べて一番だった記憶があります。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

昭和48年頃だったと思います。両親が家を建てました。父が土地、家屋の測定を自分で作成すると言って200坪以上あった土地の測定を手伝わされました。メジャーを持たされてアチコチ測定しました。それを父は和紙のような紙に書き込み完成させていました。それが正式な登記の書類だったかは、よくわかりませんが何かの費用の節約の為だったと思います。

 

さて、次週4/19も「昭和の測定」で行きましょう。

山根さんは東京のジーンズショップで股下を測ってもらったのが印象的と。山根さん足長い、裾を切ったことがないって。昭和の測定にまつわる思い出・エピソードをお待ちしています!

 

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昭和の食べ過ぎ

2026年04月05日

今週は「昭和の食べ過ぎ」で30分。昭和の頃はめったにない経験よね、食べ過ぎ。

 

≪昭和34生まれのリスナーさん≫

昭和の食べ過ぎたと言えば、ロブスターを思い出す。と言うのも、

遠洋練習航海で北米、南米に行った時、カナダ、アメリカでロブスターの値1尾が当時40ドル(レート¥250)位の高過ぎで断念。南米のベネズエラ、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイのロブスターは共に10ドル前後で、上陸の度に昼と晩で2尾は食べていた。

 

≪昭和43年生まれのリスナーさん≫

S43年生まれの私が1番食べ過ぎたのは、岩国に回転寿司が出来た時です。オープン日だけ「食べ放題」だった記憶が有ります。30皿あたりでギブアップ。ズボンのチャックが閉まらなくなりました。

 

≪昭和29年生まれのリスナーさん≫

就職して2年目頃に先輩の家にお呼ばれしてお昼ご飯をご馳走になりました。先輩の家は鮮魚店で先輩のお母さんが山盛りの料理を出してくれました。見たこともないくらいの量のエビフライや巻き寿司、お刺身、果物。私にしては滅多に食べられない高級食材ばっかり。これ以上食べられないくらい食べて、夜、具合が悪くなりました。

 

≪昭和38年生まれのリスナーさん≫

自分は子供のころから人一倍、食が太くて、それを内心自慢にしてました。まわりから、「凄く食べるんですね」と言われるのが嬉しくて、無理をして食べている事も多々ありました。

そんな噂が会社でも広まっている時に、同僚から「ウチの女房が食事に連れて来てくれと言ってるんだ」と言われました。まだ独身だった自分は「是非行かせてもらおう」と2つ返事で了承、その週末の晩、同僚の家に伺いました。

すると、自分が大食いと言う情報を知っていた奥さんは、「焼肉を2キロ」と「ご飯を3合炊いて」迎えてくれてました。せっかくの奥さんのご厚意を無駄にしては申し訳ないと必死になって食べましたが、さすがに全部はたべきれませんでした。

 

≪昭和27年生まれのリスナーさん≫

その昔、島根県益田市にある小さな漁村に、仕事仲間4、5人で、漁師さんに船を出してもらい、イカ釣りに行きました。ヤリイカが、たくさん釣れました。イカを持ち帰って、焼いたり、刺身を作ったり、みんなで、イカパーティ。夜、なぜか「私だけ」胃の調子が悪くなり、激痛が走りました。すぐ病院に行き、診断によると、寄生虫による腹痛でした。4、5日入院したと思います。

 

さて、次週4/11のテーマは「昭和の測定」で行きましょう。

身体測定、体力測定、血圧測定。健康優良児だった高橋少年はいつもローレル指数が高かった。座高を測る時、クラスのみんなが高橋少年に注目「やっぱり短足~!」などなど、昭和の測定にまつわる思い出・エピソードをお待ちしています!

 

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昭和の屋台

2026年03月29日

今週は「昭和の屋台」で30分。チャルメラの音色からスタートしました。

 

≪昭和34生まれのリスナーさん≫

広島県呉市の屋台。呉の船に13年間、乗っていたので上陸し呉の街に飲みに行き、よく〆で中華そば等を食べに行っていた。定番の中華そばにおでんに大好きなガンス。因みに呉の屋台は世襲制と公募の2本立てなんと。

 

≪昭和42年生まれのリスナーさん≫

昭和40年末、宇部市松山町1丁目の交差点にリヤカーに小窓とヒサシを付けたたこ焼き屋さんが来て女の方が売っていました。黄土色の紙袋に入って爪楊枝が刺さって二個50円だったかな?祖母とスーパーに行く時は、このたこ焼きか三角パックのコーヒー牛乳どちらかを買ってもらうのが楽しみでした。    

 

≪昭和29年生まれのリスナーさん≫

小学生のころ、即席ラーメン「チャルメラ」のパッケージそのままの雰囲気の屋台が家の近くにやって来ていました。外食なんて数えるほどしか連れて行ってもらってなかったけど、父がラーメンだけは食べさせてくれました。出来上がるまで見ていると、おじさんが木でできた引き出しから麺を取り出していたのを覚えています。もちろん車じゃなくてチャルメラを鳴らしながら屋台を引っ張っていました。

 

≪昭和38年生まれのリスナーさん≫

自分が若い時には徳山駅の駅前の勧銀の近くに、バナナを売る屋台がありました。

物凄くデカくて、いっぱい房の付いたバナナを、人が集まるとおじさんが、あのみんなが知っている叩き売りの口上をリズムに乗せて売ってました。

自分は本当にバナナが欲しかったので、値段を下げる前に買おうとしたら、おじさんが「兄ちゃん、ここからがおじさんとの駆け引きなんだ、すんなり買ってもらっちゃあ、おじさんこまるのよ」と言われたのを覚えてます。

 

≪昭和46年生まれのリスナーさん≫

中学2年の頃、ドラマ「毎度お騒がせします」を放送していた毎週火曜日の夜9時ごろに「宝来軒」という屋台が、夜11時頃に青いワゴン車の「流しのチャルメラ」屋さんが来ていました。私はラーメンが好きなので、丼を持って買ったラーメンを食べながら聴くチャルメラの音が好きでした。

 

≪昭和38年生まれのリスナーさん≫

敢えてここではおでん推しです。

ビニールで覆った中に、熱々のおでんとむさいおじさんたち。酒が進みましたね。

私は酒飲みの母と大体三軒はしごでした。

いい時代でした。

 

さて、次週4/5のテーマは「昭和の食べ過ぎ」で行きましょう。

お呼ばれしたお宅で“あれも食べてこれも食べて”、食べ放題で食べ過ぎたけど満腹幸せetc昭和の頃の食べ過ぎにまつわる思い出・エピソードをお待ちしています。

 

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昭和の 庭 PART2

2026年03月22日

今週は「昭和の 庭 PART2」で30分。昭和時代の庭エピソードは多種多様ですね~。

 

≪昭和38生まれのリスナーさん≫

自分の母方の爺さんは、大工では無かったんですが、住んでいた家も自分で建てて、ひとんがたも建てに行くぐらい器用な人でした。

その母方の家の庭には、爺さんが作った池があり、池の後ろには高さ2メートルぐらいのセメントで作った富士山があったのを記憶してます。

母親が話してましたが「けっして家族からは好かれていなかった」「自由気ままな」爺さんでした。

でも、自分は父親が早くに亡くなってましたので、父親の様な存在で、大好きな爺さんでした。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

昭和の庭で思い出したのは、「縁側」です。

庭の有るお家には大抵、庭に面した所に板張りの通路がありました。

庭付き一戸建てに住んでいても、庭に向かって腰掛けて、お菓子を食べる、お酒を飲む、等々の話は、今では殆ど聞きませんね。

 

≪昭和43年生まれのリスナーさん≫

当時、中学1年の頃、父の転勤で仙台市から福岡市に引っ越しました。その時の住まい(もちろん賃貸です)は、平屋で庭もテラスがあり、かなり広かったのを覚えてます。そして、この庭には、柿の木があり「柿が食べる事が出来る!」と期待したんですが、父から「後日に、大家さんが来て、柿を収穫するから、勝手に取らないように」とくぎを刺され、がっかりしました。

よく考えたら、そこに約5年半住んでましたが、1回もそこの柿をもらう事もなかったので、母も「大家さん、ケチだったね」と言ったのは、言うまでもありません。

 

≪昭和38年生まれのリスナーさん≫

子供の頃、実家は兼業農家でした。ご近所もほとんどがそうでした。南に向いた家、門田(かどた)と呼ばれる田んぼ。その間に、細長い庭がありました。春には田植え前の苗を育て、秋には収穫した稲を庭で脱穀します。

摘んだお茶の葉や椎茸をゴザに広げての天日干し、家族総出で行う、家中の畳干しも庭でやっていました。ほとんど作業場でした。

 

≪昭和43年生まれのリスナーさん≫

昭和の庭と聴いて、3歳(S46年夏)の時の場面が思い浮かびます。

両親共に花好きで、日除けの為、竹を組んでヘチマを育てていました。実は枯れた後、タワシにして身体を洗っていました。それと手作りの池もあり、お祭りで取った金魚を入れて飼っていました。猫に取られないように金網をかけていました。

 

さて、次週3/29のテーマは「昭和の屋台」で行きましょう。

今ならキッチンカーなんでしょうが、おでん、ラーメン、焼き鳥、リヤカー、あたりに漂う独特な匂い、チャルメラの音、真っ赤な提灯etc昭和の頃に体験した屋台にまつわる思い出・エピソードをお待ちしています!

 

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昭和の 庭

2026年03月15日

今週は「昭和の 庭」で30分。今週も昭和時代の庭エピソードがたくさん来ました。

 

≪昭和39生まれのリスナーさん≫

小学校2年の同級生の女の子の家には廊下に囲まれた"中庭"があり、その中に"鯉"を飼っている池がありました。家の廊下から餌をまくと観たこともない大きい鯉が"バシャバシャ"跳ねて驚きました。また、"ししおどし"も初めて生で見て、"カタン~"とテレビと同じ音がして、彼女曰く、

「お父さん、庭師なの!」と言われ、みんなで、

「庭師っちゃなんじゃあ?」と言ったことを思い出します。

 

≪昭和28年生まれのリスナーさん≫

私が幼稚園の時に、父親が何を思ったか借家住まいから山口市の龍福寺前の30坪にある平屋のボロ家を買いました。父は空いた所に池が欲しいと休みの日に自分で穴を掘り、セメントを練って瓢箪形の池を造り緋ブナを飼いました。しかし、いつの間にかセメントにヒビが入ったのか、水も緋ブナも無くなりました。その家は中学1年の時に広島に転校する時売りましたが、今は駐車場になっていました。

 

≪昭和34年生まれのリスナーさん≫

私が子供の頃に住んでいた家は、家の周りが田んぼだったので、庭というよりも空きスペースが少しあったのみでした。が、私にとっては貴重な遊び場で、そこで、写真のように走ったり、コマ回しをしたり、ブリキのおもちゃで遊んだりしていました。それから、節目節目に家族写真を撮ったのも良い思い出です。

 

≪昭和41年生まれのリスナーさん≫

庭と聞いて私が思い出したのは日本三名園です。私は、短大の卒業旅行で「金沢の兼六園」に行き、その年の盆休みの旅行で「岡山の後楽園」に行きました。

庭というより庭園ですが、美しく整備された自然の中を歩くのが好きだったのです。ちなみに水戸の偕楽園にはまだ行けていないので、死ぬまでには行きたいと思っています。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

「昭和の庭」で思い出すのは「流しの庭石販売トラック」です。

昭和53年頃、当時住んでいた愛知県北部には

流しのクレーンつき庭石販売トラックが回って来ていました。ある日、父親が呼び止めて、購入する話しがまとまり、積んでいた1メートルちょっとある庭石1つと小ぶりの石2つを庭に配置してもらいました。父親は小さい庭ながら風情が出たと一人悦に入っていたようです。

 

さて、次週3/22も「昭和の庭」で行きましょう。

高橋家の細長い庭には端っこに小さな池があって、猫避けで金網をかぶせていました。でも、ちょっと隙間が開いているとうまく避けられて魚を捕られていたなぁ。昭和の庭にまつわる思い出・エピソードをお待ちしています!

 

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昭和の 1万円

2026年03月08日

今週は「昭和の 1万円」で30分。やっぱり昭和の頃は1万円ってかなりの価値があったんですね。

 

≪昭和35生まれのリスナーさん≫

私が高卒で入った会社はお給料は課長からの手渡しでした。色々と引かれて手取りは7万円はなかったと思います。それでもトイレにこっそり行って給料袋に聖徳太子の一万円札が六枚あるか確認していました。

 

≪昭和34年生まれのリスナーさん≫

我が家はお小遣いは必要時の申請方式で、毎月決まった金額はありませんでした。高校生になると、春の田植え、秋の稲刈、脱穀、臼挽きを手伝うと、年末に父がお年玉一万円をくれました。もちろん、聖徳太子の一万円です。昭和50年頃の一万円は、今の3万円位じゃないでしょうか。年に一度の楽しみでした。

 

≪昭和44年生まれのリスナーさん≫

小学5年生の時、少年向けの本に載っていた「Nゲージ」と呼ばれる1/150スケールの鉄道模型に憧れた事を思い出します。まるで本物の車両のようなリアルな模型、絶対買うぞと決意しました。

Nゲージを走らせるには、モーターの付いた機関車、レールに電気を流して機関車を走らせるパワーパック、敷くと運動場のトラックのような型になるエンドレスの楕円形のレールのセットが必要でした。調べてみると1番安いディーゼル機関車が3900円、パワーパックが4500円、レールのセットが2300円、合計10700円が必要でした。一応、親に聞いてはみたけど勿論ダメ!!なので、お小遣いを貯めて1万円を目標に貯金する事にしました。その間、お小遣いで駄菓子屋に行ったり友達と買い食いするのも我慢してコツコツと貯金しました。

決意して一年近く経った時、貯金箱の中身とお年玉を足すとようやく目標の1万円が貯まりました。すぐさま櫛ヶ浜にあった玩具店に行き、お目当てのモノを購入。1割引だったので、1万円で少しお釣りが来たのはさらに嬉しかったです。その時の喜びと言うか達成感は今も良く覚えています。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

先週の放送を聴きながら、家の中の片付けをしていました。亡くなった親父の遺品をゴソゴソといじっていると銀行の袋がでてきて、中を見ると聖徳太子の一万円札3枚をはじめ、五千円札が3枚、千円札が9枚、五百円札が2枚、百円札が2枚、合計5万5千2百円が入ってました。放送のタイミングとしてはちょうど次週のテーマを発表している時で、今週のテーマである「昭和の一万円」が発表されたときでした。「こりゃあ、メールせえっちゅうことじゃな」と思ってメールしています。

 

≪昭和35年生まれのリスナーさん≫

5千円札も聖徳太子でしたよね。子供の頃は、1万円札をほとんど見たことがありません。

1万円札を使ったのは中学2年生の時、貯めておいたお年玉で、3万~4万円のラジカセを買ったのが一番最初だったと思います

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

「昭和の1万円」で思い出すのは「伯父が受け取った1万円」です。新潟県出身の母親の兄=伯父さんは農業をしていて、昭和50年頃、農閑期には名古屋に出稼ぎに来ていました。

両親が出かけた日曜日に甥の私に

「何か美味しいもの食べに行こう」と言って家を出ました。ちょっと先に寄るところがあるからと、寄ったところは質屋さんでした。給料日前で手持ちが無かったのでしょう。伯父さんは腕時計を預け1万円を受け取り食事に行きました。行ったお店も何を食べたかも記憶にはありませんがあの1万円の大きさは忘れられません。

 

さて、次週3/15は「昭和の庭」で行きましょう。

山根さん家は家具店の店舗兼住宅だったので「庭はなかった~」とのこと。高橋家は狭い庭にビール瓶を逆さに埋めて植栽と歩道の境にしてたなぁ。オヤジが飲んだビール瓶。自分の庭、他人の庭、庭園etc昭和の庭にまつわる思い出・エピソードをお待ちしています!

 

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昭和の水 PART2

2026年03月01日

今週は「昭和の水 PART2」で30分。今週も昭和ならではの水の思い出が出てきました。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

「水のみ鳥」です。

小学生の頃、名古屋駅地下街の「王様のアイデア」のお店で初めて見ました。とっても不思議な動く置物でした。その後、飲食店の飾り物として目にしましたが、我が家に来ることはありませんでした。

 

≪昭和38年生まれのリスナーさん≫

鹿野の中心部から離れたところに実家がありました。山に秘密基地を作り、田んぼではソフトボールやサッカーなど、地区の小学生や中学生が総出で遊びます。

近所にはお店も自動販売機もありません。

なので、喉が渇いたら誰か家の水を飲みます。

家の方に向かって「水、貰うねー」、そう言い、外の水道を勝手使ってました。蛇口に口を付けて、ガブ飲みです。親切な家では、プラスチックのコップが置いてありました。勿論使わせてもらいました。

小中高時代、水分補給は井戸水でした。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

「昭和の水」で思い出すのは「水に溶けるメモ」です。スパイ手帳に挟んで合ったメモです。

水に溶けるメモといっても、要するにトイレットペーパーだったわけですが小学生男子の気持ちを揺さぶるアイテムでした。ただ使い道は特に無いことと、根が貧乏性なので使わないうちに忘れられてしまったと思います。

 

≪昭和30年生まれのリスナーさん≫

前回のご昭和くださいの放送を聞いていると、

「クラブ活動の練習中には水を飲むな」と言われたという事でしたが、私は、ラグビー部で練習中、水を飲むなと言われた記憶はありません。

グラウンドには、散水用の水道が、地面下にあって、練習中、地面にはいつくばって、水を飲んでいました。

練習中の水と言われて思い出すことが一つあります。ラグビーの練習中、何かの事故で、頭を打って、脳震盪になり、頭から水をかけられました。

その後、寮のベッドに運ばれ、数時間後に気付いた時には、記憶喪失で、何が起こったのか分かりませんでしたが、唯一、グラウンドで頭から水をかけられたことだけは、記憶にありました。

 

≪昭和27年生まれのリスナーさん≫

大相撲で、なかなか勝負がつかない時、「水入」と言うルールがあります、昭和時代、よく見ましたが、最近ではあまり見かけなくなりました。行事さんが、水入り後、お相撲さんを、初め組んでいた形に、正確に戻し、相撲さんのお尻を、ポンと叩いて、勝負が再開します。

 

さて、次週3/8は「昭和の1万円」で行きましょう。

聖徳太子ですね~。当時の1万円はいろいろ買えました。お年玉でアルバイトでコツコツ貯めて。昭和の頃の、1万円にまつわる思い出・エピソードをお待ちしております!

 

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昭和の 無理をしたデートPART2

2026年02月22日

今週は「昭和の無理をしたデートPART2」で30分。今週も昭和のデイト事情がたくさん出てきました。

 

≪昭和43年リスナーさん≫

昭和の水で、最初に思い出したのは、新幹線の中にあった給水器です。ペラッペラの折りたたんだ紙コップが備えつけられてました。

中1まで静岡に住んでいて、母親の実家のある山口県に新幹線で帰省してましたから、乗った時は、タダの水を、たらふく飲んでました。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

昭和55年に高校に入学し、野球部で甲子園を目指しました。練習中は、『水、飲んだら、バテるぞ~!』と、水飲み禁止。トイレに行った時、内緒で、思い切り飲んだ冷水器の水は、最高に美味しかったし、生き返りました。

 

≪昭和44年生まれのリスナーさん≫

私ら世代で水と言えば、「運動の最中には水を飲んだらダメ!!」でしょうね。

中学二年生までハンドボール部に所属していたのですが、特に夏の練習は地獄でしたね。部活が終わると皆んな水道の蛇口に一直線に走り、水道水をゴクゴクと飲んでいました。

今でも良く覚えているのは顧問の先生の言葉。その先生は保健体育の先生だったのですが、「運動中には絶対水を飲むな!!水を飲んだら汗をダラダラかいてバテるだけなんじゃ!!」と、今では信じられない事をいつも言われていました。ちなみに当時は真夏の気温が最高でも32度や33度とかだった記憶があります。今の暑さは尋常ではありませんね。

 

≪昭和44年生まれのリスナーさん≫

「昭和の水」で思い出すのは「水たまりに作るダム」です。小学生の頃、小雨の朝に通学団の

集合場所にできた水たまり。その水たまりの端の少し岸の部分からゴム長靴で土を堀りダムを作っていきます。慎重に土を堀り進めていくと、水たまりの中央に向けてダムができていきます。

長いダムができると鼻高々で、学校に向かうときに

ダムを決壊させるのが子供ながら快感でした。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

昭和の水で思い出したのは、上水道の開通です。

記憶では、住んでいた町に上水道が通ったのは昭和50年頃でした。

それまで我が家ではポンプで組み上げた地下水を使っていましたが、家の中の蛇口の1つが"有料"の上水道になりました。

配管工事費用の問題だったのか、その蛇口は台所ではなく洗面所に有り、母は「この蛇口はおんまり使うんじゃないよ!」と言ってました。

しかしながら、上水道は水圧が他の蛇口の倍くらい有り、子供ながらに「上水道って凄え!」と感動したものでした。

 

さて、次週3/1も「昭和の水」で行きましょう。山根さんは熱帯魚の水替えは一生懸命にやっていた、夏に冷たい井戸水でスイカを冷やす、噴水を見かけるといつも突っ込むetc次週も皆さんからの思い出・メッセージお待ちしております。

 

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昭和の 無理をしたデートPART2

2026年02月14日

今週は「昭和の無理をしたデートPART2」で30分。今週も昭和のデイト事情がたくさん出てきました。

 

≪昭和33年生まれのリスナーさん≫

知り合って間もない頃、いいところを見せようと、当時の小郡駅近くにあったフランス料理店に行きました。初めて入った本格的なフランス料理店、メニューは日本語でしたが、書いてあるものがどんな料理なのか、まるで見当がつきません。

財布の中身を考え、二番目に高いコース料理を注文しました。ナイフとフォークは外側から使うということは知っていたのですが、女の子も不慣れな様子で、私がすることを真似てぎこちなく食べ始めました。しばらくして、皿の上に見たこともない丸い巻貝が現れました。女の子が戸惑っているので、「エスカルゴという食用のカタツムリだろう。」と教えたところ、気味悪がって食べようとしません。自分は食べましたが、ニンニクが強くてとても美味しいとは思えませんでした。

 

≪男性リスナーさん≫

無理をしたデートと言えば、見栄を張り当時の私にとっては高いお店に行って給料の殆どを使ってしまい、次の給料日までの食事が「カップ麺1個」とか、「ご飯を炊いておにぎりのみ」となってしまった事でしょうかね。今となっては良い思い出ですけど。

 

≪昭和29年生まれのリスナーさん≫

6月にお見合いをして7月に初めて花火大会に行きました。張り切って浴衣を着て出かけました。夫はせっかちな性格で途中のアーケード内でもスタスタ歩き、私は慣れない下駄で付いて行っていたら下駄の歯が一本折れたのか外れてしまいした。その頃の私は恥ずかしくて言い出せず何事も無かったようにして、そのままの下駄で花火見物をして帰りました。

 

≪昭和41年生まれのリスナーさん≫

私の無理をしたデートは、20歳の頃に、友達カップルと、彼らに紹介された男性と私とのダブルデートです。男性とは、その日が初対面でしたが、会った瞬間に、ファッションが好みではありませんでした。多分、彼の方も私は好みのタイプではなかったと思います。ボウリングやパターゴルフをしたのですが、友達カップルはイチャイチャと楽しそうでしたが、私は早く帰りたいなあと思っていました。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

バブルの前後は「デート、イコール 車でお迎え(ドライブデート)」みたいな時代で、

そのためにソアラ、マークⅡ、プレリュード等の女子に人気の車を無理して新車で買う男が私の周りにも多勢いました。それらは当時の値段で350万は したと記憶します。 

『デートの誘いは、先ずは車の購入で無理をした後で』、そんな時代でしたね。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

「昭和の無理をしたデート」で思い出すのは

「ドライブデート」です。

兄の車セリカ1600GTを借りて、ドライブに行った帰りの道、法定速度をぴったり守って走行、

後ろにズラ~と車が並んだのを覚えています。

助手席に乗っていたのは今の妻です。

 

さて、次週はテーマチェンジ。2/22は「昭和の水」で行きましょう。部活で水を飲ませてもらえなかった、夏休みの水やり当番をすっぽかした、水たまりに足がはまったetc次週も皆さんからの思い出・メッセージお待ちしております。

 

そして、ご昭和くださいの「X」、#kryshowaでご覧ください。ラジオ放送の前日、毎週土曜日に翌日の放送分のちょっと良い場面を動画でUPする予定です。ぜひ、“フォロー”と“いいね”をお願いします。


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