
ご昭和ください ブログ
昭和の間に合わなかった PART2
2026年10月18日
今週は「昭和の間に合わなかった PART2」で30分。
今日は♪NINJIN娘からスタート。俊ちゃん、カッコ良いなぁ、昔も今も。
≪昭和35年生まれのリスナーさん≫
高校生の頃、山口市から柳井に半年ほど通学しました。朝5:30の列車で柳井に着くのは8:20。一本送れたら大変でした。ある朝、目が覚めたら5:50分。当然、山口線は間に合わないので、自転車で現新山口、当時の小郡駅までぶっ飛ばして行きました。いつもの列車には間に合わなかったけど、次の列車で学校に柳井が確か8:40分着。駅から走って学校へ。学校に着くまで2度の猛ダッシュ。その日はまともに学業専念出来なかったのは言うまでも無かったです。
≪萩の女性リスナーさん≫
昭和48年頃の思い出です。土曜日に高校から下校する時、防府駅近くの踏切で貨車が石炭を積んで行ったり来たり。乗る予定の電車の発車時刻を過ぎると次の電車は2時間半も待たなければならず、遮断機が上がると皆、全速力で駅に向かいました。下校の時間と踏切の閉まる時間と乗る予定の電車の時刻がギリギリで、私はいつも間に合いませんでした。次の電車までする事もなく、友達がいっしょであれば天満宮へお参りしたり洋服店を覗いてみたりしました。
≪昭和??年生まれのリスナーさん≫
昭和の間に合わなかったですが、父親とプロ野球観戦に行く際、初めて一人でバスに乗り球場へ向かいました。しかし乗ったバスが目的地とは反対方向だったため間に合わず観戦出来ませんでした。
≪昭和38年生まれのリスナーさん≫
小学生の夏休みには、朝早くラジオ体操がありました。
参加するとカードに証明のスタンプが押してもらえたんですが、ある一日だけ、数分遅刻し、間に合いませんでした。
途中から参加して体操が終わり、スタンプの列に並んで押してもらおうとしたら、上級生の兄ちゃんから「遅れて来たからダメ!」と言われ、その日だけカードに空白が出来て、夏休み最後に皆勤賞でもらえる鉛筆がもらえず凄く悔しかったのを憶えてます。
≪昭和42年生まれのリスナーさん≫
高校生の時、《ザ・ベストテン》に 田原俊彦さんの【NinJin娘】にリクエストハガキを出す決心をしました。ハガキと言えど私にとっては一大事。オレンジと緑のラッションペンを使ってハガキの周りに小さな人参と、住所と名前を書いた 渾身の1枚を仕上げ、友達に、「トシちゃんにリクエスト出す!」と宣言しました。しかし 私は無精なところがあり、ハガキを出しに行かなかった。すると、その週は「今週 にんじん娘にリクエストくれた人の名簿を作ったので、この中から一人、田原さんに電話してもらいます」となり、知らない女の子にかかって女の子は大はしゃぎしていました。翌日、学校に行くと友達が、「あなたの名字《イ》から始まって名簿の上の方だから、電話かかってくるんじゃないかってドキドキしたよ」と言われたけど、「ゴメン、出してない」と答え、翌週出したけど、後の祭でした。
さて、次回のテーマは「昭和の買えなかったので作った」で行きましょう。超合金を買ってもらえなかったのでボール紙で作った、変身ベルトも手作り、大工の親父は木のゴーカート作ってくれたなぁetc次週は、昭和の頃の「買えなかったので作った」思い出・エピソードをお待ちしています!
昭和の間に合わなかった
2026年10月11日
今週は「昭和の間に合わなかった」で30分。
リクエストちあきなおみさんの♪喝采を聴きながらスタート。当時は汽車が動き始めても飛び乗っていたんですね。
今では考えられませんが。
≪昭和40年生まれのリスナーさん≫
私が小学生の頃、「岩徳線」の扉は、手動で開けていました。
徳山から帰る際、時間に間に合わずに乗り遅れて、
列車が動き始めても、乗ることができました。
今では考えられない事が普通に出来ていた時代でした。
≪昭和29年生まれのリスナーさん≫
短大の2年間は女子寮に住んでいました。門限は8時半。当時、ダンパ(ダンスパーティー)が流行ってて途中でやめて大急ぎで帰ったのに間に合わなかったら、鉄製の大きな門が閉められていました。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
間に合わなかったのは『格闘技世界一決定戦 A猪木VSモハメド・アリ TV中継』です。
中一の頃の話。その日は土曜日。待ちに待ったTV中継。ただ、その日は学校があり、昼前からの中継予定と聞いていたので、少し遅れてもと思っていたのですが、私の中間テストの結果が悪く、居残り。時計が進むにつれ、お腹は空くし、先生の声も入らず、終わったのはだいぶたってのこと。当時は学校の近くの寄宿舎に住んでいたので、部屋にカバンを放り投げて食堂へ一目散。プロレス好きの寮母さんと、食堂のおばさんたちと、用意された「ばら寿司」を食べながら、熱く観戦したことを思い出します。少し間に合わなかったけれど、寮母さんたちが、途中、途中、私がみていないラゥンドの様子を細かく教えてくれたのが、余計にうれしかったです。猪木のローキックはすごかった!!
≪昭和38年生まれのリスナーさん≫
幼い頃、焼き芋屋さんはリヤカーで来ていました。それがいつの間にかトラックになっていました。短大時代、懐かしい焼き芋の売り声を聞いて、外に出ましたが姿も形もありません。次に聞いたときは、自転車で追いかけました。やはり、いませんでした。
≪昭和34年生まれのリスナーさん≫
園内で砂遊びの最中、急に「大」をもよおしました。でも我慢。流石に耐えきれずトイレへ駆け込みました。ドアを開け、金隠しを見た瞬間…間に合いませんでした(涙)。園長先生がご自宅から持って来られたトランクスパンツをお借りしましたが、大人サイズです。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
「昭和の間に合わなかった」で思い出すのはテレビ番組「底抜け脱線ゲーム」です。ゲームの一つに「新幹線に風船割らせないゲーム」がありました。先頭に針がついているゼロ系新幹線の模型が円周状の線路を回ります。線路の途中に風船がセットされています。線路から離れた場所で決められた作業をしながら、針が風船を割るタイミングで風船を持ち上げに戻ります。作業の途中であわてて風船を持ち上げようと戻るのですが、ギリギリで割れてゲームセット。「あぁ~間に合わなかった!!」と観ていました。
さて、次回のテーマも「昭和の間に合わなかった」で行きましょう。電車、寝坊、荷造り、点呼、内職の造花etc次週も、昭和の頃の「間に合わなかった」思い出・エピソードをお待ちしています!
そして、ご昭和くださいの「X」、#kryshowaでご覧ください。ラジオ放送の前日、毎週土曜日に翌日の放送の聴きどころUPする予定です。ぜひ、“フォロー”と“いいね”をお願いします。
昭和の蓋(ふた)PART2
2026年10月04日
今週は「昭和の蓋(ふた)PART2」で30分。
番組途中、こんなメールもご紹介しました。「毎週日曜日は県内各地で開催されるフリマや骨董市に出かけ、車内で妻の手作りのサンドイッチを食べながら聞いてます。」嬉しいですね~。
≪昭和41年生まれのリスナーさん≫
嘉門達夫の「小市民」という唄の歌詞に「家族の誰もが開けられなかった『ごはんですよ』のフタを開けると得意がる」ってフレーズがある程、昭和の瓶のフタは、一度開けるとあまりの密閉度で、子どもや女性のチカラではびくともせず、
大概はチカラ技で一番強い、父親か上のアニキの出番でしたが、中学生の頃、TVCMで、フタの直径に合わせた溝が多数付いているシリコン製の商品にフタを差し込むと、おばあちゃんでもイッパツで開けてしまう、というCMを見て、なんて画期的な商品が誕生したんだ!と子供ながらに感動したのを覚えています。
≪昭和56年生まれ岩手県のリスナーさん≫
とび職をしている私のおじさんは空手も習っていたこともあり、とにかく力が強い。飲み会の席では、いつもビール瓶のふたを片手で折り曲げてはみんなに自慢気に見せていました。普通の人じゃなかなか出来ることじゃないですよねー。80歳近いと思いますが、いまだに現役で仕事をしています。
≪昭和43年生まれのリスナーさん≫
子供の頃、広島県にある親の実家は、フタを踏んで入るタイプの五右衛門風呂でした。「1人で入るのは危ない」からと10歳上の「いとこの、お姉さん」と一緒に入った事を、先週の放送を聴いて思い出しました。
≪昭和31年生まれのリスナーさん≫
子供の頃、ミカンとかモモの缶詰めの蓋を開ける時、用心しないと中のシロップがあふれるので、ちょっとお行儀は悪いのですが、最初に小さく開けた部分のシロップをすすり、それから本開けしてたと思います。もちろん、誰も見てない と思ってのことです。そして、弟のより私の分を少し多めにつぎ分けてました。
≪昭和29年生まれのリスナーさん≫
私の学校は、中1の途中で給食になるまではお弁当持参でした。当時は水筒を持って行ってなかったので、昼食時は弁当箱の蓋(弁当箱はアルマイト)にヤカンからお茶を入れてもらってました。飲む時は蓋の角に口を付けて飲んでました。
≪昭和42年生まれのリスナーさん≫
小学1年の時、図工の授業で振り子時計を作る事になり、各自「四角い空き箱」と「振り子部分に使う牛乳瓶のフタ」を持ってくるように言われたのですが、一人、丸いフタではなくフィルムの方を持って来た人がいて、先生は苦笑してました。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
「昭和の蓋」で思い出すのは「ステンレスの落し蓋」です。扇形の板7枚位をずらし重ねて円形にして、中心で留めてありました。中心をずらして調整すると、直径が変化して落とす鍋の大きさに合わせることができるという優れものでした。
さて、次回のテーマも「昭和の間に合わなかった」で行きましょう。締め切り、宿題提出、見送り、石焼き芋の車、ドラマの時間までに帰るetc次週は、昭和の頃の「間に合わなかった」思い出をお待ちしています!
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昭和の蓋(ふた)
2026年09月27日
今週は「昭和の蓋(ふた)」で30分。
牛乳、コーラ、風呂、鍋蓋etcいろんな蓋話が出てきました。
≪昭和35年生まれのリスナーさん≫
私が小学生の頃、父や叔父さんが、瓶ビールを開けるのに、栓抜きを使わずに歯で開けたり、瓶の口のあたりを握り、
割り箸や車のキーなどを、握った親指あたりに引っ掛けて、テコの原理で開けているのを見て、かっこいいなと思っていました。
≪昭和34年生まれのリスナーさん≫
昭和の蓋で思い出すのが、昭和40年頃、私の父が仕事で年数回東京出張に行き、土産に買ってきてくれた、「榮太樓飴」の缶の蓋です。開けるのに付属の金具を使って、真空状態の缶を「プシューッ」と開けるのが何だか楽しくてドキドキしたのを覚えています。黄色、赤色、緑色の缶がありましたね。
≪昭和35年生まれのリスナーさん≫
これもフタと言っていいか分からないけど、瓶コーラとかの王冠、
あの王冠の裏側のゴムのようなのを取ると、王冠の裏側に「当たり」とか書いてありましたよね。
≪昭和42年生まれのリスナーさん≫
昭和50年代小学生だった世代としては、ジュースの蓋、「王冠」が心に残ると思います。昭和51、2年頃ですが瓶のコカ・コーラ製品の王冠は、裏面の裏ブタを剥がせば、「スーパーカー」のイラストがデザインされており、友達間ではちょっとしたブームでした。カウンタックなどのメジャー車もあれば、こんな車もあったんだというような知らない車もあり、ジュースを飲んで王冠の裏ブタをめくるのが楽しみでした。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
独楽回しと鬼ごっこを合わせた遊びです。鬼も子も独楽が回ってる間しか動けません。その独楽を回すところは、浅田飴の缶の蓋です。独楽に紐をかけて、回し投げてタイミングよく蓋にのせます。今思うと器用だったなぁと思います。
でももっと上手い子は浅田飴より小さいアリナミンの蓋にも、のせていました。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和55年頃、部活帰りに、友達のお店で、ビンジュ-スを飲むのが、流行っていました。それは、王冠の裏のスターウオ-ズの当たりくじをみんなで当て、もう一本を回し飲みをする事でした。王冠の裏のねずみ色のプラスチックを千枚通しで開けて、大騒ぎした思い出です。
≪昭和42年生まれのリスナーさん≫
なんと言っても牛乳のフタ。小学生の頃は、このフタをメンコみたいにして遊んでましたが、よそで手に入れた物など、珍しいのは別にコレクションしてました⤴
≪昭和43年生まれのリスナーさん≫
子供の頃のフタと言えば、「牛乳などのフタ」です。フタをメンコ代わりにして遊んでいました。やはり、給食などの牛乳瓶のフタは人気が無く、滅多に手に入らない飲み物のフタが人気でした。普通の牛乳瓶のフタより、少し大きなフタでズルをするヤツが居たのを覚えています。
≪昭和35年生まれのリスナーさん≫
私が小学生の頃、自宅のお風呂は五右衛門風呂でした。そしてお風呂の蓋は木製の丸い蓋でした。新品のうちは良いのですが、古くなると湯気で蓋の一部が朽ちてきて、木くずがお風呂に浮かぶように。そうなると、蓋を替える目安になってました。踏み板も木だったので、ダブルで木くずがお風呂に浮かぶことも有りました。
さて、次回のテーマも「昭和の蓋(ふた)」で行きましょう。牛乳瓶の蓋でメンコをしたという話がたくさん来ましたが、高橋少年の小学校では一回り大きいヨーグルト瓶の蓋のメンコも流行ってました。次週も、昭和の頃の蓋(ふた)の思い出をお待ちしています!
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昭和の魚肉ソーセージ PART2
2026年09月20日
今週は「昭和の魚肉ソーセージ PART2」で30分。
こだわりの開け方、懐かしい食べ方など盛りだくさんでした。
≪昭和38年生まれのリスナーさん≫
親父は外袋から取り出した魚肉ソーセージを横に持ち、雑巾縛りをして二つにします。それを引きちぎり、一つをくれます。片方は明日のオヤツだと言い、冷蔵庫に仕舞います。まだ小学低学年の自分には、それが出来ませんでしたが、ソーセージはそうやって開けるものだと信じていました。でもお袋は外袋ごと包丁で真っ二つ。一つは料理に、残りは一度袋から取り出し向きを変えて袋に戻し、輪ゴムを掛けて冷蔵庫に。袋がラップ替わりでした。
≪昭和30年生まれのリスナーさん≫
叔母は若い頃大阪にいて、マルハだか丸大食品だかに勤めていました。当時職場でソーセージの内装フィルムを使って首飾りを作るのが流行っていたそうで、山口へ里帰りのときにばーちゃんのお土産として持って帰りました。ばーちゃんはそれを首にかけられて恥ずかしそうでしたがうれしそうにしていました。
当分は壁にかけられていたのですが、そのうちゴミになりました。
≪昭和43年生まれのリスナーさん≫
魚肉ソーセージは、父のお酒のつまみで斜めに切ってマヨネーズをかけたり、お腹が空いた時はそのまま噛っていました。お弁当にも必ず入っていました。あと、庭の池に金魚を飼っていたので小さくちぎって投げ入れたり、魚釣りに行く時に、おやつ+魚の餌にもしていました。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
「昭和の魚肉ソーセージ」で思い出すのは「ケチャップソース」です。ケチャップとウスターソースを1:1で混ぜ合わせれば完成。ケチャップの甘み・酸味とウスターソースの香りがうまい具合に一体化して美味しい調味料になります。
これを魚肉ソーセージにかけて食べた思い出があります。
≪72才のリスナーさん≫
動物性タンパク質に飢えていた子供の頃のご馳走は魚肉ソーセージが入った揚げパンです。
今のように豊富な調理パンが無い頃の味が忘れられずに未だに見つけたら買ってしまいます。
≪昭和42年生まれのリスナーさん≫
前回の放送で「山根さんの下松ショッピングセンターのアメリカンドッグのお話」懐かしく思いました。当時、父、姉と3人でセンターに出かけて、アメリカンドッグを注文し、センター内にあったレコード店のジュークボックスで山口百恵さんや西城秀樹さんの歌を聴きながらアメリカンドッグを食べた記憶が甦りました。
さぁ、次回はテーマチェンジです。「昭和の蓋(ふた)」で行きましょう。なかなか開かないビンの蓋、駅弁のお茶は蓋で飲む、囲炉裏にかけた鍋の蓋で防御、牛乳瓶の蓋でメンコetc次週は、昭和の頃の蓋(ふた)の思い出をお待ちしています!
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昭和の魚肉ソーセージ
2026年09月13日
今週は「昭和の魚肉ソーセージ」で30分。
歯でフィルムを剥いた思い出はやっぱり定番ですよね~。
≪昭和26年生まれのリスナーさん≫
私が中学生の頃は下関ご当地メーカーのソーセージが当たり前のようにお弁当に入っていました。
ある日、ふと、隣の男の子のお弁当を見ると、今でいうウインナーが入っており、とても美味しそうに見えました。
今のようなスーパーマーケットは少なく、お肉屋さんで買わなければならず、お弁当に入れてもらう事がなかったように思いました。
≪昭和42年生まれのリスナーさん≫
魚肉ソーセージは、太いのですか細いのですか?勿論、どちらも味は同じですが、太い方がなじみがあります。
弁当には、輪切りにして少し炙ったのが入ってましたし、焼き飯には、刻んだのが入ってました。スライスしたきゅうりと一緒に、マヨネーズで和えたサラダにも美味しい、魚肉ソーセージの話でした。
≪昭和38年生まれのリスナーさん≫
子供の頃、おじさんが仕事用におばさんが作った弁当の角には、必ず卵焼きと塩っぺ、そして切った魚肉ソーセージが5切れぐらい入ってました。美味しそうに見えましたが、今も思いますが、薄いアルミの弁当箱、よくあれだけの量で腹が持っていたなと思います。
≪39年生まれ才のリスナーさん≫
昭和57年、屋台のアルバイトをしてました。市民プールの前の屋台で担当したメニューは「フレンチドッグ」。
プールで冷えた体が温かいものを欲しがるのを狙ってたんでしょうね。
作るのは簡単で、魚肉ソーセージに割り箸を刺し、ホットケーキミックスの衣で揚げるだけ。
ほんのり甘くて、蛋白も炭水化物も脂質も入ってます。結構人気で売上も好調だったと記憶しています。
≪昭和52年生まれのリスナーさん≫
魚肉ソーセージと言えば、オレンジ色のフィルムに覆われた形が思い浮かびますが、昔はその両端を留めているのが輪っか状のねじった形の金属でしたよね。
小学生の頃、その金属部分を奥歯で噛んで固定し、本体をねじって力ずくで開けて食べていましたが、ある日それをやってる最中に鼻がムズムズ。奥歯の力が緩み、口の中で回転した金属が私の上の前歯に直撃!
ちょうど乳歯から永久歯に生え変わるタイミングでぐらついていた歯は、その金属の留め具が直撃した衝撃でポロッと取れてしまいました。当然痛かったですし、その抜けた場所からは真っ赤な血が。
後日、友人が爪楊枝をその金属の下の部分に刺してねじって、フィルムを剥く開け方を見せてくれた時は、「お前天才か!」と、すごく感心したものです。
≪昭和38年生まれのリスナーさん≫
私にとっての魚肉ソーセージは、細長くて、左右に取りにくいアレがついた奴です。
歯で囓って裂くのですが、いつも負けた気がしてました
さぁ、次回も「昭和の魚肉ソーセージ」で行きましょう。ライダー、ウルトラマン、戦隊モノとコラボしていたソーセージ。おまけのシールも欲しかったけど買ってもらえなかったなぁ。
次週も、昭和の頃の魚肉ソーセージの思い出をお待ちしています!
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昭和のあ~ぁ、損した PART2
2026年09月06日
今週は「昭和のあ~ぁ、損した PART2」で30分。
金銭的にも労力的にも「あ~ぁ」って思う事ありますよね~。
≪昭和42年生まれのリスナーさん≫
昔、ラムネかバナナ味のアイスキャンデーに2本の棒が付いて 二つに分けられる商品がありましたよね。小4の時 友達がバナナ味のアイスを買って二つに分けたら、きれいに割れず6:4の大きさになり、友達は悪そうな顔しながら 小さい方を私にくれました。おごってもらったんだから文句は言えないけど、なーんか損した気分でしたねー
≪昭和38年生まれのリスナーさん≫
中学生くらいのときに、母の誕生日プレゼントに手作りのアートをあげました。箱みたいなものに綺麗な紙を貼っただけのものです。実はこの箱は「貯金箱」になっていて、私は千円貯まるとその箱に入れていました。ある程度貯まったら「実はね」と種明かしをして母を驚かそうと思っていました。
しかし、ある日その箱が消えていました。母は「もうだいぶ古くなっていたから捨てちゃった」と事もなげに言いました。
いくらくらい貯まっていたのかはわかりません。
≪70台のリスナーさん≫
20歳頃の話です。友人の車で2人で海へ。いざ帰る時に車が砂浜にハマって身動きが取れなくなりました。どうにかならないか?思案していると、砂浜の端っこに建設工事のプレハブがあり、友達はスコップを借りに行きました。私は、その間、手で砂を掘っていると若い職人さんらしき男性陣が4~5人、向こうから走ってくるではありませんか?!すると途中で走るのを止め、「なんや!男か?!走って損したわい?」
私のヘアスタイルは肩から10cm 以上も長く、白いジーパンに赤いトレーナー姿。
職人さんたちは「女性にいいところを見せよう」と思って走ってきたわけです
≪昭和38年生まれのリスナーさん≫
中学二年生の時の席替えで、気に入った女の子が隣になって、顔には出せませんでしたが、内心「やったでー!」とガッツポーズしてました。しかし、数日後。クラスの友達が転校する事になり、そいつの空いた席を後ろから詰める事になり、気に入っていた女の子がひとつ前に行ってしまいました。僕の隣は、やかましい男の山下が来ました。
≪昭和27年生まれのリスナーさん≫
私は30歳迄タバコを吸っていました。細い事は置いといて、外国製も含め色々な種類を試し、辿りついたのが両切りピースです。通称はショートピースと呼ばれ、吸う為に事前の儀式が必要で、味は何と言っても旨く、アルコールが入っていたら最高。見た目も魅力的で、殆どのタバコは紙の外装で10本か20本入りなのに、これは缶入りの50本タイプが有ったのです。名前は「缶ピー」。湿気での劣化を防ぐ為に完全密封してあり、アルミシールを開封した時の香りは悶絶級でした。持ち歩いてテーブルに置くと、それに気づいた人が「恵んでぇー」とか「お情けお情け」と集られても、なにせ本数が多いのでホイホイあげ「旨い旨い」と言い合っていたんですよね。今考えると、お調子者で損してたなぁ。
≪昭和27年生まれのリスナーさん≫
大昔、何回か通っていたお気に入りだったキャバレーの女の子に、下心見え見えで、金のブレスレットをプレゼントしました。「なんか困ったら、生活費の足しにしんさい」。二度と会う事は、ありませんでした。
さぁ、次回はテーマチェンジ。次回は「昭和の 魚肉ソーセージ」で行きましょう。昔も今も好きでしょ。あの独特の色と味わい。オレンジのビニールを歯で向いて、マヨネーズちょっとつけてパクッと。家にストックしていたら“幸せ”。皆さんからも昭和の魚肉ソーセージの思い出、エピソードをお待ちしています!
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昭和のあ~ぁ、損した
2026年08月30日
今週は「昭和のあ~ぁ、損した」で30分。
ちょっとしたことなんですが、損した記憶っていつまでも覚えているんですよね~。
≪昭和35年生まれのリスナーさん≫
小学生から中学校の頃少女マンガに夢中でした。 当時一冊70円ほどの雑誌を7人で10円ずつ出し合って1週間かけて回し読みしていました(今ではありえない)。私が参加していたのはマーガレットでした。その漫画はベルサイユのばらとエースをねらえという2大人気作品がありました 私は特にベルばらに夢中でした。なんとか遣り繰りして単行本を全て初版本で揃えました(奇跡です)。それを結婚を期に手放してしまいました(友達に譲ったのですが)、「あー損した」と今でも忘れられない思い出です。
≪昭和30年生まれのリスナーさん≫
昭和52年、初めて仕事で外国から飛行機で帰国する時のことです。ドバイから飛行機に乗り、大阪に帰るのですが、途中、インドのニューデリーで乗り換えがあり、ホテルで一泊することになっていました。ニューデリーの空港で降りて「ホテルはどこだろう」とウロウロしていたら、中学生ぐらいの子供が声をかけてきて、「どこのホテルに行くのか」と聞いてきました。ホテルの名前を言うと、「すぐそこでバスが待っているから案内する」と言って、荷物を持ってバスに連れて行ってくれました。ありがとうと言って荷物を受け取ると、子供が「five」と言ったので、迷わず、米ドルで5ドル支払いました。
しかし、あとで人に聞くと、それは、5ドルではなく、インドの通貨で、5ルピーだろうという事でした。
当時のレートで、1ドルは、200円、1ルピーは、3円。15円でいいところを、1000円払ったという事でした。あーー損した、でした。
≪昭和38年生まれのリスナーさん≫
通っていた高校は、自宅から5キロ、自転車で約20分かかります。1年生のある日、起きると雪が積もっていました。20センチ位はあったと思います。
30分早く家を出ました。途中何回か転びながらもギリギリ到着、汗ダラダラでした。徳山から生徒を乗せたバスの遅れや遅刻者続出で、校内の人影はまばらでした。
結局、2時限目まで自習となり、遅刻者は遅刻扱いにならない措置となりました。
のんびり登校したら良かった。
≪37年生まれ才のリスナーさん≫
小学4年の時、駄菓子屋で1等賞が「スパイ用具セット」という1枚50円のくじがありました。
クジ券が残り10枚ぐらい
賞品が残り10枚ぐらい
50円を払っては1枚、2枚とクジを引いても当たらない。
残り5枚のクジが残って賞品が6個ある!
何か嫌な予感がしたけど1枚、また1枚とクジを引いては外れて…5枚全部引いたけど全部外れ。
結局、クジのなかには1枚も1等賞がありませんでした。損した気持ちとSHOCKで駄菓子のオバチャンと交渉したら1等賞のスパイ用具セットを別売りで特別800円で泣く泣く売って貰いました。
≪昭和43年生まれのリスナーさん≫
20歳の頃にゲームセンターで「ストリートファイター2」が大流行。当時の私は「下手くそ」で対面式のゲームで「昇竜拳」が上手く出せずに負け続け、100円玉を沢山、投資した記憶が有ります。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
とあるチョコのお菓子。箱のくちばし部分に印刷された銀のエンゼル・金のエンゼルを送ると「おもちゃの缶詰」が貰えました。金のエンゼルなら1枚で貰えるのですが、銀のエンゼルは5枚集めないと貰えません。
小学生の男の子は集めたものを保管する能力が欠けています。3枚集まっているはずなのに、4枚目が出た時に貯めていた3枚を探したけど無くしている。そこでまた1枚からスタート、通算すれば、おもちゃの缶詰は2缶くらい貰えたはずなのに「あーぁ、損した」です。
さぁ、次回も「昭和の あ~ぁ、損した」で行きましょう。高橋少年も中2の冬、大雪で、一駅分歩いて塾に行ったのに休校だったことがありましたね~。損したというよりも残念でたまらなく、帰りの雪道、涙が出た記憶が。。。
皆さんからも昭和の“あ~ぁ、損した”話、お待ちしています!
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昭和のウルトラマンPART3
2026年08月23日
今週は久々の3週連続同テーマ「昭和のウルトラマン」。PART3も時間が足りない!
≪昭和36年生まれのリスナーさん≫
昭和50年代だかフェルナンデスがウルトラ怪獣をデザインしたギターピックを販売してた。デザインされた怪獣はキングジョー、エレキング、ブースカなど。徳山のポップス川上で何枚か購入したが現存するのはブースカのみで車のダッシュボードに両面テープで貼り付けてます。
≪昭和52年生まれのリスナーさん≫
昭和のウルトラ怪獣のソフビ人形が家にあります。叔母が亡くなり、部屋の片付けをして見つけたのですが、何十年もの間、いとこが持っていたおもちゃを捨てずにいた事に驚きました。我が家の子どもたちはウルトラヒーローが大好きなので、形見として頂きました。
≪昭和38年生まれのリスナーさん≫
2週に渡ってデザインの成田亨さんの話題が出てきてうれしいです。
昨年の夏、広島の美術館で「青森県立美術館 所蔵品展」があり、ウルトラマンや怪獣の図案が出展していました。細い線で描かれたそれは、日本画的な美しさがありました。
ここから本題です、自分のウルトラマンと言うと、「ある特定のモノを食べる怪獣」です。
石油を食べる「ペスター」、金を食べる「ゴルドン」。
ペスターは、明らかに中に横にならんで入っているだろう、唯一無二の造形。
ゴルドンは、この回限定で登場の、ドリルメカ。
それぞれ印象に残っています。
≪65才のリスナーさん≫
ウルトラマンとは直接、関係無いかもしれませんが、特捜隊のハヤタ隊員役の黒部進さんがウルトラマン終了後からしばらくして、水戸黄門の悪代官役で出演されたのを見た時は、たいそう驚いた事を思い出しました。現在は、フルハシ隊員役の毒蝮さんが元気に、ラジオやテレビで活躍されている姿を拝見し、感心しています。
≪昭和35年生まれのリスナーさん≫
私がウルトラマンで印象に残っている怪獣は
"ダダ"です。
何と、私のおばあさんにそっくりだったんです。なので、あっけに取られ、その回のストーリーが全く頭に入って来ませんでした。今でも、"ダダ"がどこから来たのか、どんな悪い事をしたのか、どう倒されたのか全く記憶にありません。
さぁ、次回はテーマチェンジです!次回のテーマは「昭和の あ~ぁ、損した」です。若い頃、子供の頃、ありませんでしたかぁ。高橋少年は小1の頃がインベーダーブーム。当時の100円はそりゃ高い。思い切って100円玉入れてインベーダーを始めても一列も倒せずゲームオーバー。あ~ぁ、損した。
皆さんからも昭和の“あ~ぁ、損した”話、お待ちしています!
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昭和のウルトラマンPART2
2026年08月16日
今週は♪特捜隊の歌からスタート。昭和のウルトラマンPART2で30分。
≪昭和34年生まれのリスナーさん≫
ウルトラマンの本放送は日曜の朝KRYだったので良く観ていました。しかし、ある週の日曜、私は学校に行かなければならなくなったのです。ポリオのワクチンを受けるためでした。ワクチン自体はスプーン一杯のゼリー状の物を飲むだけで嫌では無かったのですが、ウルトラマンを観られないのは一大事!私は帰ってきてから8歳年上の兄に、「今日のウルトラマンに出た怪獣の絵を描いてくれ」と頼みました。兄はそうとう絵が上手かったのです。兄が描いてくれた怪獣は、フジツボとサッカーボールを足して2で割ったような「4次元怪獣ブルトン」でした。
≪昭和43年生まれのリスナーさん≫
先週の放送を運転中に聞いて、確か実家にウルトラマンショーの写真があったと思い、探しました。徳山の近鉄松下百貨店の屋上に来たショーの写真だと思います。多分3歳くらいと思います。当時の記憶はほとんどありませんが、子供ながらに「なぜウルトラマンは大きくないのか?」と母に聞いたような気がします。
≪昭和54年生まれのリスナーさん≫
私は世代的に、初代ウルトラマンは幼少期に再放送で見たのですが、今回は「中学の修学旅行」での話をいたします。
私の班は職場見学の抽選で、見事TBSを引き当てたのですが、見学地は、当時落成したばかりのビッグハットではなく旧社屋の方で、班のメンバーたちはガッカリ。
見学当日、当然TBS社屋には初めて足を踏み入れたはずなのですが、なぜかどこを見渡しても、どこかデジャヴ感が。
その時は理由が分からず、後にDVDでウルトラマンを見返した時にようやく判明しました。
あのTBS旧社屋は、ウルトラマンのロケ地に使われていた場所らしく、バルタン星人が分身した廊下や、科特隊と銃撃戦を繰り広げた階段を、気付かないままに聖地巡礼していたのでした。
≪昭和34年生まれのリスナーさん≫
超重たい怪獣スカイドンの登場のときに、ベータカプセルと間違えて直前まで食べていたカレーライスのスプーンをかざす…なんて大ボケをかますシーンがあったのを覚えています。スプーンを投げ捨てていた気がします。緊急時だから仕方ないですね。
超有名な怪獣ではないけれど、怪獣らしいフォルムのゴモラ 昔からあるビールのラベルの生き物に似たドドンゴ なんか印象に残っています。
≪昭和31年生まれのリスナーさん≫
日曜日の夜7時からの放送で、毎週ホントに楽しみでした。反面、次の日が月曜日という、なんとも切ない思いもあったように思います。あの頃は、テレビ番組の放送日と時間をちゃんと記憶していて、 それを基準に宿題とかをやっていたんじゃないかなぁ。
さぁ、次回もウルトラマンでやりますよ~。「昭和のウルトラマンPART3」で行きましょう。久々に3週に渡ってお送りするロングテーマ。ウルトラマンなら当然でしょう。今週も送っていただきましたが、ウルトラマンショーの写真もお待ちしています。
そして、ご昭和くださいの「X」、#kryshowaでご覧ください。ラジオ放送の前日、毎週土曜日に翌日の放送分のちょっと良い場面を動画でUPする予定です。ぜひ、“フォロー”と“いいね”をお願いします。
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