ご昭和ください

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昭和の 毛糸

2025年01月26日

昭和46年生まれ53才、高橋裕です。
今週は「昭和の毛糸」で30分。
 
幼稚園に通っていた頃、母親が手編みで毛糸のセーターを編んでくれました。有り合わせの毛糸で編んでくれたので、いろんな色で組み合わせて、出来た、セーターでした。そのセーターを着て友達と遊んでいると、毛糸が、何かに引っかかり、ちょっとほつれてしまいました、ほつれた毛糸を面白がって、友達が引っ張り、くるくるくるくる回って遊びました。気がついたらセーターが半分なくなっていました。
 
昭和の毛糸と言えば編み物ですね。幼い頃のセーターは全部母の手作りでした。家には幅15cm、長さ1mくらいの編機がありまして、機械をじゃーじゃーと横に動かすと1段ずつ編んでいくものです。針の設定を変えると模様編みもできたと思います。その毛糸は姉たちのお下がりをほどいたものが多かったと記憶しています。束ねて直径50cmぐらいの輪っかにした毛糸を、両手を前習えのようにして広げて手を左右に動かし玉に巻くのを手伝っていました。
 
小学校時代、当時、女子が毛糸であやとりをしているのをよく見てました。ひとつ年上の女の子のことが好きで、彼女もよくひとりであやとりしてました。近くに行くたびに誘われ一緒に遊んでました。私は別にあやとりには興味がなかったのですが、彼女と話をしながら、あやとりで指と指が触れ合うことで小さな心がときめいていました。今思えば、初恋だったのかと。毛糸を見ると当時を思い出します。
 
私が小学生の頃、病院で待っている時間が長過ぎて暇だったので、母から毛糸をもらって妹の「あやとりの本」を見ながらあやとりを始めてみました。
それが、設計図を見てプラモデルを作る感じに似ていて、とても楽しくてハマってしまいました。
特に、あやとりで作る東京タワーが好きで、今でも指が覚えています。
 
私の母子手帳に私が生まれた時にいただいた出産祝いの覚え書きが母の文字で書いてありました。そのお祝い品の内10個くらいが毛糸で、それを見た時、「出産子育てで大変な時期に自分で編め?と何て厳しい時代だったんだ」と思いました。
 
まだ、私達が結婚したての頃、主人のウールのセーター(結構 良い品)をうっかり他の洗濯物と一緒に洗濯機で洗ってしまい、見事に子供のセーター位に縮んでしまい、もう笑うしかありませんでした。主人も滅多に着ないので忘れてるかと思ったら「あのセーター知らんか?」と言われた時、もう既に私は捨てていたので「知らんよー」と言ってしまいました。後にちゃんとホントのことを言いました。
あれ以来、ウールマークの製品の洗濯には神経質になりました。
 
小学生の頃のこと。ご近所のとある家の前を通ると縁側にお婆さんがいて、自分を見つけて手招きするんで、菓子でもくれるのかと思い、ヒョイヒョイとお婆さんの側に行くと、「両手を伸ばしてくれ」と頼まれました。
すると、その両手に、セーターをほどいた毛糸をくるくると巻かれました。それからまた、両手に巻かれた毛糸を上手に玉にしました。その後、手伝ったお礼にと、かき餅が貰えて喜んだ記憶があります。
 
さて、次週も、「昭和の毛糸」で行きましょう。今週もたくさん来ました!編み機、マフラー、毛糸のパンツetc果たして来週全部紹介できるのか?これを聴いて思い出したネタもお待ちしております!
 
そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日更新です!
今回は「昭和の街に出る」
https://www.youtube.com/watch?v=-POdb-L7D9E
昭和の楽しい休日の思い出話がいっぱいです。
ぜひ、ご覧ください~。


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