ご昭和ください

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昭和の りんごPART2

2025年01月19日

昭和46年生まれ53才、高橋裕です。
今週は「昭和のりんごPART2」で30分。
 
今日は野口五郎さんの♪青いリンゴを聴きながらスタート。
友達に今回のテーマ「昭和のリンゴとは?」と尋ねると「そりゃあ、野口五郎の青いリンゴに決まってるじゃん」と…。当時からのファンで、少し前にコンサートにも行ったらしく、即答でした
私はというと、若い頃に勤めてた会社の憧れの先輩(西城秀樹似)が入院していて、そのお見舞いに行きリンゴを剥いたことがあったなぁ…と思い出しました。今頃では考えらない…リンゴどころか、お見舞いすら制限がありますものね。
 
先週、リンゴ箱の話がありましたが、
たぶん幼稚園とかの頃、
父がそのリンゴ箱の底に子供用のスキーを取り付けて「そり」を作ってくれました。
坂道を滑ったりすることはなかったと思うんですが、ロープを付けて引っ張って遊んでくれてたと思います。当時、境港は、雪がよく降って、積もりましたからね。
 
私の家は、代々、果樹園をやっていました。
ある日、母がいつもの通り、たっぷり蜜が入ったりんご「ふじ」をお客様に送ったところ、
「りんごが全部腐っていたので捨てた。」とクレームの電話を受けたそうです。母は、りんごはそうそう腐る物じゃないので、よく尋ねてみたら、「たっぷり入っていた蜜を腐っているもの」と勘違いしたとのことでした。それ以来、「蜜入り」というスタンプを作り、段ボール箱に押してアピールしていました。
 
自分が小さかった頃は、必ずと言っていいほど、りんごといえば「スターキング」でしたね。
実の母親がお弁当の中に、皮をむいて、うさぎさんみたく形にしてお弁当に入れてますけど、ちょっと塩辛かったです。「何でリンゴは塩辛いの」と聞いたら「茶色く変色してしまうからよ。」と言ってましたね。今となったら塩辛いりんごも懐かしい思い出です。
昭和50年頃、母が庭にリンゴの「ふじ」の苗木を植えました。すくすくと育ちましたが、一本だけでは受粉しないので、ホームセンターで花粉を買って人工受粉してました。そのうち受粉樹として「早生りんご」を植え、少し酸っぱいリンゴを食べました。しかし、数年後に弱り始め、調べてみたら、リンゴカミキリの被害で枝がことごとく枯れていったようです。
 
先週の放送を聞いて思い出しました
宮崎に住んでいた小学校高学年の頃のお話です。
青森から来たというリンゴ売りのおじさんがやって来ていました。
当時はトラックいっぱいの木箱に入ったリンゴが珍しくて、大はしゃぎで買ってもらいました。
気前のいい母は「箱買い」してくれました。たしか二箱ぐらい、国光と紅玉。
小ぶりのリンゴが箱いっぱい入っていて、学校から帰るのが楽しみでした。毎日食べていましたよ。
今、思えば、本当に青森からきたのかどうかは不明ですが、南国宮崎ではよく売れるから来ていたのかもしれませんね。
 
リンゴと言えば長野を思い出します。
50年前、勤めていた銀行の保養所が軽井沢にあるので同期会でスケートをしに行きました。
当時の軽井沢は今ほどオシャレでもなく人出も多くありませんでした。
途中の青果店でリンゴをひと山買い、夜みんなで食べてのですがその美味しかったこと!
しっかり蜜が入っていてビックリしました。帰りにお土産として買って帰ったほどです。
 
さて、次週、1/26は「昭和の毛糸」で行きましょう。セーター、手袋、帽子、まぁ、編み物ネタはたくさん来ると思いますが、座布団とかもありましたね。確か毛糸で鯛を釣るおじさんもいたなぁ。次週は「昭和の毛糸」でお待ちしております!
 
そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日更新です!
https://www.youtube.com/watch?v=HuVO8KlJQWI
今回は「昭和の周防大島」
11月にお伺いした周防大島からの公開収録の模様と、翌週の「昭和の大島PART2」の2回分で作ってます。
大島文化センターのホールからの様子もぜひご覧ください!


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