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昭和の 眠れない

2023年12月03日

昭和46年生まれ52歳、高橋裕です。
 
今日は「昭和の 眠れない」で30分。
 
 
「ザ・ベストテン」が放送されていた頃、私は小学校低学年で、親からは「子供は早く寝なさい」と、9時になると2階の寝室に追いやられ番組を見せてはもらえませんでした。しかし、今週は誰のどんな曲が流れるのかを思うと、寝るに寝られません。
そんな中、ベッドに耳をピッタリと付けると、かすかに歌声が聴こえてくることを発見したのです。はっきりと歌詞が聞き取れるほどではありませんでしたが、曲調と声質から、誰の歌かということは、大体分かりました。後に、大人になってから分かったのですが、どうやらベッドのバネがマイクのような役割をしていて、下の階の音の振動を拾って、増幅していたようなのです。
それからというもの、眠れない日はベッドに耳を付けて、下の階から聞こえてくる、ザ・ベストテンの音を聞くのが楽しみとなりました。
 
昭和56年、父が定年後に山口市に建てた家はめちゃくちゃ寒くて、真冬に暖房してない部屋で寝ていると、布団から出ている頭がかき氷を食べた時のようにキーンと痛くなって寒さで目が覚めました。たぶん壁に断熱材が入ってなくて、家の中が外気と変わらぬ温度だったんだと思います。
 
昭和48年ごろは、家族と離れて豊浦町で生活していました。小5の時、つまらないことで同級生と“殴り合いのけんか”をしてしまい、私は見るも無残な「ジャガイモのような顔」になってしまいました。
それを案じた学校の先生が私の両親に連絡すると、電車で半日かけてくることになり、私は前日の夜、いろいろなことが頭をよぎり眠れなかった思い出があります。
半年ぶりにあった父は、先生と寮母さん、ケンカの相手に頭を下げ、私には「つまらんことはすんなよ。」と一言だけ言って、帰っていきました。。。。。
はじめて、父の背中が大きく見えました。
 
幼い頃、母方の祖母の家に泊まることがありました。下松の久保で周りは田んぼ、音は一切なく、一時間ごとに柱時計の音だけが響きます。町中育ちの私には眠れない夜でした。
  
「昭和の眠れない」で思い出したのは、やっぱりラジオの深夜放送です。10代後半は、オールナイトニッポンやミスDJリクエストパレードを夜中までリアルタイムで聴いていました。カセットテープに録音して、翌日に聴くのは何だか負けた気がしてました。
結構、途中で寝落ちしてましたが。
 
それはやっぱり土曜日の深夜、「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」ですね。身も心も悶々とした中高生にとって、これほどのオアシスはありませんでした。
当時の学校は週休2日制ではなく、土曜日は半ドンで日曜日だけが休み。ガッツリと深夜放送が聴けるのは土曜日だけでしたからね。
 
20歳の頃に大きな駅の近くの寮に入りました。その駅は夜中にも車両の入換をしていて、機関車の音や連結した時の音、レールがきしむ音で何度も目が覚めて睡眠不足の毎日でした。
ところが1ヶ月もすると、これらの音が全く気にならなくなって、朝まで熟睡するようになっていました。慣れって素晴らしい。
 
私のいとこが、当時光市室積のアパートに住んでいて、私は夏休みや冬休みに泊まり掛けで遊びに行ったりしてたんですけど、すぐ近くに国道188号があるために車の走る音がうるさくてなかなか眠れなかったのを覚えております。
当時、住んでた下松市の生家は山陽本線の近くで、電車の音がよく聞こえたけどその音では眠れることができたんですけどね。
 
 
さて、来週も「昭和の 眠れない」で行きましょう。
「“枕が変わって眠れねえなぁ”って言うオヤジがいたと山根さん、寝台特急で興奮して眠れない、子供の頃コーヒーを飲んでしまって目が覚めたetc.昭和時代の眠れなかった話、眠れなかったその先の話をお待ちしています!
 
 
そして、ご昭和くださいのYouTube動画。
毎週水曜日に更新してます。
https://www.youtube.com/watch?v=uArwnF8u_ng

今回は「昭和のゴジラ②」。
山根さんは面倒くさい子どもだったことがわかりました。


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