『はつ秋』 2編
金子みすゞさんの512編には、いくつか同じタイトルの詩があります。タイトルは同じでも内容や観点が違って、それを味わうのも、とても面白いものです。
ご紹介した『はつ秋』は、田舎の秋と都会の秋。長門市仙崎の秋と、みすゞさんが暮していた当時、西日本最大級の都市のひとつでもあった下関市の秋、だと思われます。
住む環境によって、同じ季節にもこんなに感じ方が違うのか…気が付かないうちに、周りの影響を大きく受けて生きているのだなと感じます。
みすゞさんの詩を、いろんな角度から味わう。
これから深まっていく秋に、実りの多い時間になると思います。
『花火』
夏の風物詩といえば、花火。各地の代表的な花火大会が終わると、「あぁ、夏が終わるんだなぁ」と感じている方も多いのではないでしょうか。
8月は「お盆」があって、9月には「お彼岸」がやってきます。私たちは、見えないけれども大切にしている「繋がり」を、こうして偲びます。みすゞさんの詩・『花火』は、空の彼方に繋がっていて、私たちが見ている花火が消えた時、「空のむこうの見えない国の花として咲くんだよ」と、素敵な世界を描いています。
この世で消えた綺麗なものは、見えない国で生まれ変わる…儚さの中に、美しさを見つめているみすゞさんの素敵な詩です。
『舟の唄』
金子みすゞさんの故郷、長門市仙崎からは昔、青海島への連絡船が行き来していました。その舟が主人公の詩です。年老いた舟が、自分の昔の勇ましさを懐かしく想う心のうち。みすゞさんは、岸でゆったりゆったり波に浮かんでいるその舟を見て、こんなに素敵な物語を想像する・・・なんて優しい人なんだろうと、この詩をとおしてみすゞさんの心根の温かさが感じられます。
私達のまわりの‘物’たちにも、いろんな想いがあるとしたら・・・大切に使っている物やずっと私たちの日々に寄り添ってくれている物も、みすゞさんの眼差しで見つめてみると、心が豊かに広がるのを覚えます。
『お坊さま』
お盆の光景のひとつには、法事で大忙しのお坊さまの姿がありますね。この猛暑の中での大移動は本当に大変な毎日のことと、お坊さまに暑中お見舞い申し上げたい気持ちいっぱいになりますが。この詩は、みすゞさんが小さい頃の思い出なのでしょうか。3歳になる直前に父親を亡くしたみすゞさんの、ちょっと切ない思いが綴られています。
どこかの知らない旅のお坊様は、自分のお父さんじゃなかったのかしら・・・と、そう思いたい気持ちが伝わってきます。遠い昔の思い出が、最後に綴られているたんぽぽ色の、今にも消えそうな昼のお月さまと、一緒に溶けていくような、そんな余韻が残ります。
『昼の花火』
子どもの頃、花火で遊ぶのがどんなに楽しみだったか。この詩はその子ども心がとても伝わってくる詩です。あまりに楽しみで、昼間一人でだまって線香花火で遊んでしまった・・・。そのあとのなんとも寂しい思い。
楽しいことは、みんなで一緒に味わうのが一番ですね。ちゃんと待つことの大切さも、いろんな経験、失敗から分かることも沢山です。この夏休みも、いろんなご家族にいろんなドラマがあることでしょう。一つひとつ、大人になっていく子どもたちの経験、体験、優しく見守ってあげたいものです。
『波』
夏休みは海水浴を楽しむ中で、海を眺めるひととき、海辺を歩くひとときも楽しいものです。みすゞさんは、波の様子を、あるときは『子ども』、またあるときは『消しゴム』、そして『兵士』とまで表現し、最後には『忘れんぼ』だと表現します。 詩人の目線、眼差しはこんなにも美しく優しく可愛い世界を見つめているのかと、読む側の心が優しくなる、そんな素敵な世界が広がります。暑い夏にこそゆったりと、金子みすゞの詩の世界を味わうのも、とても気持ちがいいものです。
『七夕のころ』
もうすぐ七夕。みすゞさんはそのロマンチックな七夕を、人間だけではなく、自然界も、その七夕を味わっている光景を詩にしています。笹薮の笹のささやき、美しい天の川をみつめている海のなげき・・・その描写がまた、美しい七夕を、切ない七夕を彩っています。
『ひろいお空』
町で見上げる空の端は、建物の影に隠れます。町に住む子の思いは、天の川が一目に見える、海の果てまで続く天の川を見てみたい、そんな夢を描いている。私は、コンサートでいろんな県外の町から山口に帰って来たときに見上げる夜空が大好きです。ひろいお空、深い夜。きらきら瞬く星の美しさが、心を癒してくれます。
『赤土山』
山口県の山々の景色にも、削られている山を見かけますが、町へ売られる赤土と、赤土山で生きてきた赤松の悲しい別れの物語です。みすゞさんの心のフィルターにかかると、人間以外の世界にも様々なドラマがあります。私たちの生活に欠かせない土や石たち、そしてそこから栄養をいただき育つ植物たち。私たちが普通に使っていたり、何気なく見つめているものが、とても愛おしくなってきます。
『石ころ』
自分では動かない石、動けない石。この詩は、道を通る人や馬たちをつまずかせる石ころが、けろっととぼけている表情が夕暮れの空に溶けてゆくような、そんな描写です。小学校でのコンサートでよく歌う詩ですが、子どもたちの感想文には、この石ころの「自分では動けない切なさ」を感じてくれていた言葉もありました。もしかすると、動けないから、つまずかせて、「自分はここにいるよ」と話しかけているのかもしれません。
『山の子、浜の子』
町へと出かけた、山に住む子どもと浜に住む子ども。同じ町のはずなのに、「町には何がありました?」という問いに、山の子と浜の子の答えは全く違うものでした。
山の子は山で見慣れた茱萸(ぐみ)の実が道に落ちている風景、浜の子はいつも眺めている空が、道の水たまりに映っている光景です。
私たちの‘視点’は、暮らしている環境に大きな影響を受けて、初めて見る町の印象も、全く違うものになるんですね。ということは、自分が見ていないものを、誰かに「どうだった?」と尋ねても、それがそのまま自分が感じ取るものではないかもしれないんですね。だから、自分で見て感じることと、他人が見て感じることの両方を受け止めること、とても大切だなと思います。
金子みすゞさんの詩の‘視点’には、いろんな人間の立場の視点が描かれています。金子みすゞ記念館館長・矢崎節夫さんの著書「童謡詩人 金子みすゞの生涯」に記されている、母親ミチさんがよく言っていたとされる「物事をいろんな角度から見つめてごらん」という眼差し。その影響が、この詩にも見え隠れしています。
『燕の母さん』
金子みすゞさんの実家跡に建てられた、金子みすゞ記念館。実はその記念館の通路には、毎年燕が巣をつくり、子育てで忙しいお母さん燕が行き来する光景がとても微笑ましいのですが、この詩を詠んだみすゞさんが、当時暮していた頃にも、同じような光景があったことが、なんとも嬉しい気持ちになる詩です。
ぜひ多くの方々に、当時の面影が今も残る仙崎のまちを、みすゞさんが愛した故郷・仙崎を、いろんな詩を思い浮かべながら散策していただきたいです。