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昭和の無駄 PART2

2025年10月19日

今週は「昭和の無駄 PART2」で30分。

今日も、ご昭和リスナーの皆様から多くのネタが寄せられました。

 

≪昭和34年生まれのリスナーさん≫

昭和40年代初頭、カラーテレビが裕福な家庭から、じわじわと普及していました。しかし、一般家庭でカラーテレビはまだまだ高嶺の花で、カラーテレビは買えないけど「アンテナだけカラーテレビ用のアンテナを取付ける家」がありました。近所に対する完全な見栄ですが、白黒テレビにカラーテレビ用のアンテナを付けても特に効果は無いと思います。因みに我が家は、昭和42年頃に16インチのサンヨーサンカラーを16万で買ったと聞いてます。

 

≪今年77才のリスナーさん≫

中学生の頃、帰りに店によって、かき氷・竹輪等を食べる。(通い帳)に記入して帰る。数日後、親がまとめて支払う。

 

≪昭和38年生まれのリスナーさん≫

小学6年生の時、クラスに気になる女の子がいましたが、当然話かける事も出来ず、心の中で「いいなぁー」と思っているだけでした。

ですが、その子が席替えで隣になって、いつも給食で牛乳を残すので、思いきって「飲めないんなら、ワシが飲んじゃろうか?」と言ったら「いいん?飲んでくれる」と言ってくれました。それからずっと、小学生活が終わるまでその子の牛乳を飲んでました、でも、それだけで、期待する様な出来事は何一つ起こること無く、無駄な努力でした。さらに、他の牛乳が苦手な女子3名からも頼まれて、毎日5本の牛乳を飲んでました。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

「昭和の無駄」で思い出すのは、『缶切りのコルク抜き』です。そう、中央に畳まれているネジネジした部分です。

家庭によると思いますが、うちはワインなど嗜む家庭ではなく全く使うことはありませんでした。

平成になって、専用のコルクオープナーを使いましたが、専用のものでも上手く回せなかったです。

缶切りにおまけのように付いたものではきっと失敗ばかりだったと想像します。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

昭和の無駄(な買い物)で思い出したのは、

ガンプラの抱き合わせ商法で買わされたプラモデルです。

欲しくもない「モビルスーツみたいなモノ」のプラモデルを何個買わされたことか。

 

≪昭和27年生まれのリスナーさん≫

バイクや車の「暖機」。

キャブレターのチョークを引いてエンジンを掛け、バイクはシリンダーヘッドが少し暖まったら、車は水温計の針が動いたらチョークを戻し・・・と今考えるとガソリンを無駄にしていたと思います。

当時は、それ前提のエンジン設計なので仕方無いかな。

でも、私が最初の車を持った昭和四十七年の手取りが二万五千円位で、レギュラーガソリンがリッター四十五円位だったので、決して安くは有りませんでした。手取りが二十五万円で、リッター四百五十円だと考えると高いでしょ。

 

さて、次週10/26のテーマは「昭和の車内販売」で行きましょう。特急列車の中、フェリーの中、観光バスの中…、飲食・お土産、欲しいものが多かったなぁ。会社の社販じゃないですよ~。

次週もお待ちしております!

 

そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日に更新しています!

https://www.youtube.com/watch?v=39bMdcNiEHc

テーマは「昭和の迷った買い物」

山根さんのおばあさんはフエキのりの代わりにお米で貼り付けていたとか。


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