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昭和の 一人で遠出 PART2

2025年08月17日

今週は「昭和の一人で遠出 PART2」で30分。
今週もたくさん寄せられました。
 
≪昭和29年生まれのリスナーさん≫
昭和47年、短大の入学金を納める為に現金を持って一人で西宮市に行きました。金額は35万円くらいで大金でした。新幹線も東京、岡山間しか通っておらず急行で行きました。支払いと同時に、制服がある短大だったので採寸などで本人が行かねばならず、親が同行すれば旅費が要るので、私、一人。途中で何事かあってはいけないので、親がお金を下着に縫い付けた袋の中に入れてくれました。支払う時に服をまくって出さなくてはならなくて恥ずかしかったです。
 
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和59年、中型自動二輪免許を取って初めてのツーリングのこと。当時、住んでいた愛知県北西部から国道41号を愛車「RZ250」であてもなく北上するプランです。1時間ほど走ったところで、信号待ちしていると1台のオフロードバイクが並びました。ふと見ると同じバイクショップのステッカー、また、ナンバーがなんと1番違い。年が同じくらいの彼と意気投合して、彼の目的地・下呂温泉に行き、ひとっ風呂浴びました。帰りは一緒に地元に戻った不思議な出会いでした。
 
≪昭和34年生まれのリスナーさん≫
昔、父から伝え聞いた話です。
太平洋戦争末期、父の姉(私の伯母)は兄のいる山形県まで一人で会いに行ったそうです。どういう経路で、どうやって山形まで行ったのかは分かりません。兄と合流して二人で山口に戻る予定でしたが、台風か、集中豪雨の影響で最上川が氾濫し、街中が壊滅状態に。鉄道や道路は崩壊し、家族と連絡も取れず、ただ山口を目指して線路沿いを歩いたそうです。そんな時に兄に召集令状が来て、行方不明と申告するのに、「徴兵を拒んだ脱走ではないか」と大騒ぎになったそうです。そこへ二人が無事帰還。家族みんなで、ほっとしたそうです。線路沿いを歩いたので足の裏は枕木のタールでべっとりだったそうです。その後、兄は出兵し、南の島で亡くなりました。
水害も戦争もない方が良いですね。
 
≪64才のリスナーさん≫
中学2年の夏休みのこと。山陽新幹線が博多までつながったこともあり、1人で長野の祖母の家に遊びに行きました。数日、祖母の家で遊んだ後、宇部に帰る時、長野駅から「特急しなの」で名古屋駅まで戻り新幹線に乗り換えたのですが、当日、台風が近づいていた為、雨がひどく名古屋で乗り換えた新幹線が数時間停車待ちをすることになってしまいました。数時間後、新幹線が発車して新山口(旧小郡)駅に深夜に到着したのですが、当然、在来線は走っておらず、タクシーで宇部市まで帰りました。払い戻しの特急料金はタクシー代で無くなりましたが、なんとか家に帰る事が出来ました。
母親は、「夕方のニュースで自分がテレビに映ったのを見て安心した」と言っていたのを思い出しました。もちろん、名古屋駅のホームで、きしめんも食べました。
 
さて、次回8/24は「昭和の応援」で行きましょう。野球、サッカー、駅伝、運動会、受験、アイドル、応援部、メガホン、法被etc昭和時代の応援にまつわるエピソードをお待ちしています!
 
そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日に更新しています!
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テーマは「昭和の親父の趣味」
突然♪王将を歌い出す山根さんにご注目!


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