ご昭和ください ブログ
昭和の 真夜中
2025年07月20日
今週は「昭和の真夜中」で30分。
昭和時代の真夜中のお話、たくさん寄せられました。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和の真夜中で思い出したのはやっぱり「ラジオの深夜放送」ですね。
ラジコなど無い時代、リアルタイムで聴くため、
しばしば寝落ちしてましたが、洋楽に興味を持つキッカケとなったりしました。
≪昭和29年生まれのリスナーさん≫
昭和の真夜中、といえば中学高校生の頃は深夜放送ですね。中学生の頃は22時頃に一度寝て1時頃に起きて深夜放送を聴いていました。たまに目が覚めず朝まで寝ていたこともありました。当時はこちらの方にはネットされてなかったので雑音が入る中、東京の放送局を聴いていました。曜日によって3つの放送局から選んで聴いていました。
≪昭和42年生まれのリスナーさん≫
昭和50年代、宇部市の住宅街に「ナイトショップ○○」という24時間営業の店ができました。当時はまだコンビニなど無い時代で、そのお店はコンビニのような垢抜けた雰囲気ではなく、小規模なスーパーという感じでした。静かな暗い住宅街にコウコウと浮かび上がるその場所は 最初 何の店かわからず怪しげに見え、近付きがたかったです。でも、普通の店だとわかり、夏の夜10時頃、母と散歩がてら行きました。店は40歳くらいの男の人が一人でやっていて、私達はお菓子やアイスを買いました。夜中に出かけるというのはちょっとスリリングで、ウキウキしました。
≪昭和43年生まれのリスナーさん≫
自分が玖珂に引っ越しをして来た頃は、近くにコンビニが1軒も有りませんでした。夜遅くに欲しい物が有る時は、ドライブを兼ねて元々住んでいた岩国市の中心部に出かけるか、我慢した記憶があります
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
高校生の頃、土曜日の深夜1時から始まる深夜映画を一人で見るのが好きでした。暗い真夜中の静まりかえった夜に見る映画は、結構インパクトがありました。なかでも「ゾンビ」これは強烈でした。
深夜だけあって、怖いながらもストーリー展開が面白く、どういう結末になるのかドキドキしながら見ていました。
≪昭和38年生まれのリスナーさん≫
中学生の頃、年に1、2度母親が留守にする日があり、兄貴もいない1人だけの時がありました。
もう、中学生で夜中1人なんて、パラダイスですよね!当時、真夜中には、お色気番組があり、朝から期待に心は燃え上がってました。
しかし、なぜかいつも、番組が始まる数分前に、寝ているんですよね。気が付くとテレビの画面は、砂嵐になってました。
≪昭和30年生まれのリスナーさん≫
昭和46年、商船高専に入学して学生寮に入りました。寮は、1年生から3年生までの4人が同じ部屋に入り、3年生は、神様のような存在で1年生には、ほとんど自由はありませんでした。
1年生同士で部屋で話をしたりは全くできない状態でした。このような寮で、真夜中には、1年生が自由になれる場所がありました。寮では、23時に消灯になり、普通の人は寝る時間ですが、この時間に、ラグビー部の1年生は、ラグビーボールを持って、寮の屋上に集まっていました。その日に練習で使用したボールをきれいに磨いていたのです。ラグビーボールは、皮でできていて、磨けば新品のようにきれいになっていました。この時間の屋上には、ラグビー部の1年生だけで、自由に話をしたりお菓子を食べたりできる場所でした。ラグビー部1年生の真夜中の楽園でした。
さて、次回もテーマは「昭和の真夜中」で行きましょう。真夜中の電話、徹夜勉強etc昭和時代の真夜中の思い出・エピソードをお待ちしています!
なお、夏の高校野球山口大会の期間中は日曜日に実況中継があった場合は、「ご昭和くださいはお休み」となりますので、野球中継をお楽しみください!
そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日に更新しています!
https://www.youtube.com/watch?v=zkTTkHJ_MJo
テーマは「昭和の私の帽子②」
山根さんは「鉄琴」と聞くと「鉄筋コンクリート」を想像する…
また!
今回の放送から、リスナープレゼントのノベルティグッズが新しくなりました!
今回からは、ご昭和ください特製“御礼タオル”。タオルの下に企業名が印刷されている粗品タイプのタオルを作りました。これまで、てぬぐい→ふろしき→2代目てぬぐい→扇子、そして御礼タオル。
ぜひとも、貰ってやってくださいませ~。
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