ご昭和ください

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昭和のパン

2020年06月07日

昭和46年生まれ48歳の高橋裕です。

今週は「昭和のパン」で30分。

 

生粋の農家の家に当然パンはありません!
巡り合うのは給食のコッペパン。
付け合わせは、銀紙に包まれたマーガリンと
相場が決まっています。
食べる前にコッペパンの周りの焦げた固い部分を先にはいで、
そして、中にマーガリンを挟むのですが、だいたい固まって、
マーガリンがあるところと無いところに分かれて、
最後は味気なく終了します。
イチゴジャムの時は大変興奮しました!!
そして、余ったパンを白い給食袋に入れて持ち帰り。
気がついた頃には、カチンコチンで歯が立たなかった事は
多かったですね!!そんな時は、牛乳に浸して食べる。
パンに飢えていた少年時代でしたね。

私が小学校の時の給食で出たパンの中では
「揚げパン」がいちばん人気でした。
コッペパンをカラッと揚げ、ザラッとした砂糖が
たっぷりまぶしてある揚げパンを頬張ると、
口のまわりが砂糖だらけになってしまいましたが、
みんなお構いなく嬉しそうに食べていました。
砂糖だけをまぶしたノーマルなタイプ、
たまに、砂糖+きな粉をまぶしたレアなタイプ、
ごくたまに、砂糖+うぐいす豆のきな粉をまぶした
超レアなタイプと3種類の揚げパンがありました。
私は、給食に揚げパンが出る日は朝からウキウキし、
テンションが高かったことを思い出します。
砂糖がたっぷりの揚げパンは、大人になった今でも大好物です。

今では考えられませんが、
私が小学校に入学した昭和40年代は
「給食は絶対残してはならない」というのが
ごく当たり前のルールでした。
給食で嫌いなものが出るときは、
給食当番に盛り付けを加減してもらったものです。
でも、パンは1人に1つ必ず配られておりました。
パンが嫌いな子はあまりいませんでしたが、
同級生のS君は年に数回出てくるブドウパンが、大の苦手でした。
ブドウパンの日は、給食時間内に食べきることが出来ずに
食後の自由時間、午後の授業の5時限、6時限、ホームルーム、
掃除の時間になっても教室の隅のオルガンのところで
ブドウパンと格闘していました。
傍で見ていてかわいそうでした。
でも、こういった教育のおかげで、
S君はブドウパンが食べられる様になり、
おまけに他の偏食もなくなり、今では
「当時の担任の先生に感謝している」と話していました。
S君は現在、立派な教育者(大学教授)になっています。
今も、ブドウパンを見るとなぜか、
S君と小学校のオルガンを思い出します。

私にとってのパンといえば、やっぱり耳パンでしょう。
母親が近くのスーパーの中にあるパン屋で、
よくタダでもらってきたのを、
育ち盛りの兄弟4人でよく食べてました。
時には細長いビニール袋いっぱいの耳パンが手に入ることも。
揚げて砂糖かけておやつ代わりになんて…お家も
あるようでしたが、我が家では、やわらかい内は生で、
硬くなってくるとだるまストーブで焼いて
何もつけずに食べてました。
今でもたまにスーパーで見かけますが、
最近のは身が厚いですよね。当時の耳パンは、
だいたい真ん中に穴が開いててぺらっぺらでした。
けど、おいしかったなあ。

 

さて、次週6/14も「昭和のパン」で行きましょう。
休みの子のパンをプリントと一緒に届けてあげる、机や
ランドセルの中に入れっぱなしのパンはカビるわ堅くなるわ、
ボロボロに砕けたら散乱するわ。
焼きすぎたトーストの焦げもフォークでそぎ落として食べるetc.
次週も昭和のパン話、お待ちしております!


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