ご昭和ください

ご昭和ください ブログ

昭和の お見送り

2025年05月25日

今週は「昭和の お見送り」で30分。
いろんなパターンのお見送りの思い出が寄せられました。
 
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
思い出すのは船が出る際の見送りで投げる紙テープです。映画やテレビで見る光景を実際にやりたくて、祖母が名古屋港から苫小牧に行くフェリーに乗る時に投げました。
しっかりテープが繋がった状態から切れるまでの記憶はありませんが、一生に一度の思い出です。
 
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
自分は子供の頃、広島県の瀬戸内海の島で暮らしていました。当然、橋も架かってなく、対岸の町へ出かけるときは、フェリーや高速船を使います。
小学校の同級生が転校する時、クラスのみんなで桟橋へ見送りに行くのですが、その時に「いろんな色の紙テープ」を渡して、みんなで引っ張ります。
高速船が走り出すと、紙テープが引っ張られ、あっ!いう間になくなり、その後は、両手で思いっきり手を振りました。
すると、出港した高速船がこっちへ戻ってきて、一周して去って行きました。後から知ったのですが、特別料金を払うと一周してくれたそうです。
 
≪昭和20年生まれのリスナーさん≫
私が勤務先の横浜に戻るため新幹線ホームを歩いていた時のこと。ふと前を見ると「妙齢のお嬢様」が乗車口から2メートルぐらい手前で乗車口の方をじっと見ていました。そこを横切る際にちらっと車内を見てみると、そこには「白い制服姿の青年」が立っていました。そのまま1両先に進んだところで、後ろを振り向いて見ると、そのお嬢様から数メートルほど離れたところには御婦人が、お母様でしょうね。この一瞬の光景に映画の撮影?かと疑ったものでした。今でも、その時の「肩まで伸びた髪のお嬢様の立ち姿」が思い出されます。
 
≪昭和37年生まれのリスナーさん≫
昭和62年、広島の友人の結婚式に出席して、山口に帰る際に広島駅での見送りに付いて行きました。僕はただのお見送りでしたが、新郎の職場関係の人達が大盛り上がりで、そのうちの5人が、日曜の夕方、ごったがえしているところを、長さ10メートル近くの横断幕を持って新幹線の出発と同時に走って追いかけていました。
 
≪昭和29年生まれのリスナーさん≫
昭和52年11月に結婚式を挙げました。昭和の新婚旅行のお決まりで、夫は新山口駅のホームで見送りに来た友人達に胴上げをされました。夫は当時、体重が50キロ無かったので、かなり上まで上がっていました。
 
≪昭和40年生まれのリスナーさん≫
上京する日の夕方、寝台特急「あさかぜ」で徳山駅から出発することになっていました。
その日の朝、当時、山口にあった運転免許試験場に行って筆記試験を受けていました。
無事、合格して免許証を受け取りましたが、家に帰っていると乗り遅れてしまうため、直接、徳山駅に行きました。荷物は親に頼んで持ってきてもらいました。見送りには、家族と友達が来ました。
列車が動き始めると、友達が走って追いかけて来るというドラマの様なシーンを体験しました。
 
≪昭和31年生まれのリスナーさん≫
結婚式をあげた後の見送りは、「車の後ろに空き缶を取り付けて走らせる」というあのワンシーン。
あれが好きでした。
5才上の姉が嫁いだ時も兄達と一緒に空き缶を取りつけました。私が二十歳の時だから、昭和51年頃ですかね?
そこいらを一周して帰ってきたような気がします
 
さて、次週6/1のテーマは「昭和の私の帽子」で行きましょう。今日のトークで山根さんが「新婚旅行での新婦はみなお洒落な帽子を被っていた、そうじゃない!?」と言い出したもので、このテーマになりました。男児・女児、大人になってから、お気に入りの帽子の思い出、メッセージをお待ちしております!
 
そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日に更新しています!
https://www.youtube.com/watch?v=C2ama8hUC4I
テーマは「昭和の突然 PART2」
なんと、テーマのように、突然、山根さんが欠席!渡辺三千彦さんが代打した回です。


新着記事

昭和の お見送り

2025年05月25日

昭和の 録音

2025年04月27日

月間アーカイブ