ご昭和ください ブログ
昭和の 突然
2025年04月06日
昭和46年生まれ53才、高橋裕です。
ご昭和ください、皆さまのおかげで番組開始14年目のシーズンを迎えられました。
感謝感謝~。
今週は「昭和の突然」で30分。
「昭和の突然!」で思い出すのは、
昭和59年のオールスターゲーム第3戦です。
当時、大学3年生でプールの監視員のアルバイトをしてました。
アルバイト仲間に家が新聞販売店の子がいてオールスターゲームのチケットが余ってるから急遽みんなで行こうとなりました。
しかも、大学生の悪ノリで「全員Tシャツ海パン」のまま電車に乗ってナゴヤ球場入り、試合は江川が初回から8連続三振を奪ったのが中日ファンながら記憶に残っています。
昭和43年、岡山市に住んでいた中学1年の時のこと。授業中、校舎4階の教室の窓から外を見ていると、突然、「日立キドカラー」の飛行船が現われ、ゆっくり、風に流されるように後ろ手の方へ行くのを見ました。そのどでかさとゆっくりさに度肝を抜かれました。
昭和の突然で思い出したのは、「差し込み(腹痛)」です。
今のようにコンビニなど無い時代です。
公衆トイレのある場所は限られていて、ピンチを脱出する方法は、ガソリンスタンドか、お店に入るぐらいしかありませんでした。
昭和のある日、カラオケのボックス箱を母が買ってきました。
私の家は、幼い頃3人の子どもを残し父が亡くなり母と祖母に育てられました。
本家のうちは、盆正月と親戚が帰省して、いつも賑やかに飲めや歌えの宴会がいつもの行事でした。カラオケ好きの母は、カラオケセットを購入。カセットテープに8トラって言うのか食パンに似たやつをぎょうさん一緒に。マイクは有線を3本。2つしか穴がないのにね。
しかも36回の月賦で。
それからは、宴会ないのに夜は、毎日カラオケしてました。時には、詩吟をやってた祖母が空いたマイクで吟詠してました。
島根県にいた昭和59年ぐらいの時の話です。
転職して会社を替わった次の年に、出張から下宿に戻ると、郵便受けに“赤い色の封筒2通”が届いていて、封を開けると
“税金の督促状”が届いていて、初めてのことで訳が分からず、あくる日、最寄りの役場にすっ飛んでいったことを思い出します。
当時の会社は、自分で最寄りの役場に申請に行かないといけなかったのに、出張に出てしまい、その追徴額(確か高額だった)に真っ青となり、係の人達に話をして、事なきことを得たときはホッとしました。
さて、次週も「昭和の突然」で行きましょう。放送を聴いていて、“ウチもあったあった”って思いついたでしょう。臨時収入、突然の別れ、突然の転校、親父が買ってくる、突然の出費etc昭和の頃の突然の出来事・思い出をお待ちしています!
そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日更新です!
https://www.youtube.com/watch?v=YNH8LQcAAFY
テーマは「昭和の親父の思い出③」
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