ご昭和ください ブログ
昭和のサンドウィッチ
2022年09月18日
昭和46年生まれ51歳、高橋裕です。
今日は「昭和のサンドウィッチ」で30分。
自分の小学生の頃のサンドイッチは今のとは違って3色のジャムが挟んであって、緑、赤、黄色だったと記憶しています。下松の親戚の家でも食べた記憶があるし近所の雑貨屋やスーパーマーケットでも当時は3色ジャムサンドウィッチが主流だったかと。
昭和40年、私が幼稚園児だった頃にデパ地下で売っていたサンドウィッチは、いちごジャムだけをサンドしたものがありました。今流行りのフルーツサンドの元祖と言える物かもしれませんが、当時はケーキも生クリームの物はなかったし、流通の関係で今ほど柔らかい食パンをあまり売ってなかった時代なので、
いちごジャムしか入ってなくても、薄くて柔らかい食パンに挟んであるだけで美味しく感じて、そのデパートに行くたびに母におねだりして買ってもらっていました。サンドウィッチ売り場の横にあったオレンジジュースが噴水のようになっている自販機も懐かしいです。
思い出すのは、運動会で母の作ってくれたサンドウィッチ。タマゴ、ハム、きゅうり。ハムは四角いハム、カラシバターがぬってありました。そして、切るまえに押さえるために、フキンの上に、辞書がのせてありました。そして、昭和の終わり頃出会っただんなとの初デートの時、サンドイッチを作った覚えがあります。
昭和のサンドイッチの思い出は、母が作ってくれたサンドイッチです。カツサンドとか、フルーツサンドみたいなハイカラなものは一切なく、玉子サンドとハムサンド。ハムは昭和の定番、周りが赤いプレスハム。まだ、スライスチーズが出回る前、プロセスチーズを薄く切ってスライスしたキュウリなど挟んで食べました。ある時、よく確認しないでたべたら、辛くて飛び上がったことがありました。母はパンと辛子が余ったので辛子だけのサンドイッチを作ってました。
私にとってサンドウィッチは、憧れのランチでした。スカスカのプラスチックの入れ物に入れたお弁当を見るだけでテンションが上がりました。でも小さい頃は、ハムサンドにうっすらカラシが塗ってあって、それを我慢して食べてました。
静岡育ちですが山口県は母親の実家があるのでよく新幹線で帰省をしてました。憧れは、ビュッフェ車のハムサンドでした。まず、食堂車は高嶺の花すぎて手が届かない(笑)。ビュッフェ車が憧れでした。まだ、子供でしたから、からしバターの味がちょっとキツかった記憶がありますが、大人の味で美味しかったです。白いパンに、黄色いからしバター、赤いハム、そして緑のパセリ。綺麗でしたねえ。
さて、いよいよ来週9/25は下関ゆめシティからの公開放送です!
原田かおりさんを助っ人に迎えてお送りします。
生放送は11:30から。開場は11:00。ステージ前に椅子を並べます。生放送と収録の後のお楽しみ抽選会の抽選券を先着順でお配りします。抽選券は数に限りがありますのでご注意くださいませ。
メッセージテーマ「昭和のデイト」も皆さんからお待ちしています!
会場の椅子は間隔を空けて設置いたします。マスクの着用などの感染症対策もどうぞよろしくお願いいたします。
次週はゆめシティで“ご昭和”しましょう!
そして、毎週水曜日更新のご昭和くださいのYouTube動画もどうぞご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=eu0lYTv_ETA
今回は新人・田中アナが大先輩を突撃リポートしてます。ぜひ!
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