ご昭和ください

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昭和の 約束2

2025年11月30日

今週は「昭和の約束 PART2」で30分。

今日も、ご昭和リスナーの皆様から多くのネタが寄せられました。

 

≪昭和42年生まれのリスナーさん≫

約束と言えば、「マラソン大会の最後まで一緒に走ろう約束」です。

私は運動が苦手でマラソン大会もいつも最後の方を走っていました。マラソン大会当日は、日頃そんなに仲良くないけど走るのが苦手なクラスメイトと距離が近くなり、「私達どうせ最後の方だから、ゆっくり一緒に走ろうね」と約束します。

でも、大体どちらかが本気になって遅いながらもスパートをかけて、約束通りのゴールにはなりませんでした。だからと言って、約束を破ったとか、破ってごめんと言う事もなかったです。

運動が苦手な私達にとっては、憂鬱な行事が終わった喜びの方が大きかったです。

 

≪昭和38年生まれのリスナーさん≫

約束と聞いて、しょうもない事を思い出しました。

小学生の時、お袋が、クリスマスケーキを買って来て、ケーキの上に乗っていたチョコレートで出来たクリスマスと書かれた小さなボードを兄貴が「今回は自分がもらって食べるから、来年はおまえにやる」と約束しました。

しかし、次の年のケーキに乗っていたボードは、ホワイトチョコで、兄貴は「去年はホワイトチョコじゃなかったから今回はじゃんけんで決めよう」と言ってきたのでブチギレて大喧嘩になりました。

 

≪昭和29年生まれのリスナーさん≫

昭和の約束といえば、駅の伝言板を思い出します。当時は移動は今みたいにクルマではなく、列車など公共交通機関が多かったです。

駅の伝言板に約束の時間に相手が来なかったりしたら「先に行く」とか色々書いてありました。当時は携帯電話もなく連絡方法によく利用していたように思います。私は利用したことがなかったですが、駅に行った時はよく読んでいました。

 

 

≪昭和43年生まれのリスナーさん≫

小学生の頃、同じ団地に住んでいた年下の女の子がいました。その家族が家を建てて、離れた地域に引越す事になりました。何度か手紙でやりとりをしていたのですが、どうしても遊びに行きたくなり「今度は絶対に会おうね!」「さもないと・・・」と脅しのような文章を書いて送りました。すると、相手が恐れたのか、約束どおりその子の家に遊びに行くことができました。今も忘れられない怖い事をしたなぁと反省しています。

 

≪昭和40年生まれのリスナーさん≫

約50年前、私が小学校の高学年の頃の話です。ある日、父親が「親指と人差し指をくっつけた状態で、片手でこの一升瓶を持ち上げたら一万円を上げる」と言いました。父親は「絶対にできない」と思ったのでしょうね。ところがどっこい、私は一升瓶を持ち上げることができました。そして約束通り、一万円を父親からもらいました。

一万円。今でも大金ですが、50年前の一万円。父親はどんな気持ちだったのかと思うと少し複雑です。

 

≪昭和35年生まれのリスナーさん≫

小学生5年くらいだったか、半ドンの土曜日に「昼から遊ぼう」と、AくんBくんと約束しました。

Aくんちの途中にBくんちがあるんで、Bくんには「僕が迎えに行くから」と言って帰りました。が

近所で親戚付き合いをしていた一回り上のお姉さんが「Aくんちの近くを通るから乗せてってあげる」

と言われ車で送ってもらいました。

そうです、Bくんのことをすっかり忘れていました。Aくんちで「Bくん、遅いね」なんて話してたんですが、翌週、学校に行った時は、特に問題なく遊んでたと思うんだけど、Bくんの気持ちはどうだったんでしょうね。

 

さて、次週12/7は新しいテーマ「昭和の図鑑」で行きましょう。子供の頃買って貰えなくて友達の家が羨ましかった、花や動物図鑑よりも「ライダー図鑑」ばかり読み込んでいたetc昭和の頃の図鑑にまつわる思い出・エピソードをお待ちしています!

なお、次週は防府読売マラソン実況中継のため、夕方4時半からの放送です!マラソンもご昭和もどうぞお楽しみください。

 

そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日に更新しています!

https://www.youtube.com/watch?v=PpDseHDFnWo 

テーマは「昭和の車内販売」

本編入る前のマウとミウのマラソンPRがオモロイですよ!

昭和の 約束

2025年11月23日

今週は「昭和の 歌を歌った」で30分。

今日も、ご昭和リスナーの皆様から多くのネタが寄せられました。

 

≪昭和41年生まれのリスナーさん≫

テーマを聞いて、高校1年の時に友達と交わした約束を思い出しました。40年以上前のことです。当時、私には仲のいい女友達が3人いました。お弁当をいつも一緒に食べながら、前の日に見たテレビ番組や好きなアイドルの話をしていました。その頃、お菓子のCMで、友達同士がそれぞれ結婚して家族ができてからファミリーデートをするというのがあり、「私らあも絶対、ファミリーデートしようや」と約束したのです。どんな人と結婚して、どんな子供ができるんかねと、盛り上がったものです。

が、いつの間にか疎遠になり、連絡先もわからない今、約束が果たされることはないと思います。でも、あの頃を思い出して、気持ちが少し若返りました。

 

≪昭和34年生まれのリスナーさん≫

昭和の約束で思い出すのは、巨人の星の話の中で、甲子園大会の決勝戦、星飛雄馬が負傷を隠して血染めのボールを投げていた事を、世間には秘密にして欲しいと花形満と交わした約束を、巨人の川上監督にあっさりバラした事です。

昭和の約束は守れないことが常ですが、逆にそれが良い結果になりましたね。

 

≪昭和40年生まれのリスナーさん≫

昭和の約束。あれは、小倉に住んでいた時なので、小学2年から6年の間です。

小倉の井筒屋に母と行きました。

入ったすぐのところに、特別に宝石を展示してあったのです。真珠のネックレスがあって母と一緒に見て私が

「大きくなったら、私が買ってあげるね。」

と、約束したのでした。

それから、50年近くなりますがその約束は果たしておりません。

母はそんな約束は覚えてなかったでのですが、反対に、大人になって、「真珠は冠婚葬祭、なんにでも使えるから」と母からネックレスとイヤリングをかってもらいました。

 

≪昭和43年生まれのリスナーさん≫

20歳の頃、とある店舗の受付をしている年上の知り合いの女性から「お客が来ない日がヒマなので、漫画を貸して」と頼まれました。読んだら返す約束で、当時集めていた「パタリロ」を、50巻くらい貸したのですが。それを持ったまま「寿退社」をしてしまいました。当時は、携帯電話が無い時代ですし、只の知り合いだったので、諦めました。

 

≪昭和38年生まれのリスナーさん≫

小さい頃に当時流行っていたボーリングのおもちゃを買ってくれると騙されて歯医者に連れて行かれました

買ってもらったかどうだかは藪のなかです。

 

≪昭和40年生まれのリスナーさん≫

小学生のとき、「ゼロテスターの人工島のおもちゃを買ってくれたら勉強する」と、母と約束をしました。母は「本当じゃね?」と言って、

僕は「うん、絶対!!」と言って買ってもらいました。

いざ、物を手にしたらそんな約束など知らんぷり。

やはり、勉強より、遊びに夢中でした。

自ら勉強し始めたのは高校生からでした。

 

さて、次週11/30も「昭和の約束」で行きましょう。〇〇したらおもちゃを買ってもらえるという定番話から、学生時代に約束した結婚話、いつか譲ってくれると言っていた鑑定団に出せそうな絵画etc

昭和の頃の約束にまつわる思い出・エピソードをお待ちしています!

 

そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日に更新しています!

https://www.youtube.com/watch?v=V2f86iQNOpk

テーマは「昭和の無駄②」

山根さんはFAXでネタを送ってくれる方に「お金がかかるのに有難う」と毎回感謝されます。

昭和の 歌を歌った2

2025年11月16日

今週は「昭和の 歌を歌った」で30分。

今日も、ご昭和リスナーの皆様から多くのネタが寄せられました。

 

≪昭和28年生まれのリスナーさん≫

昭和41年6月、私は中学1年の途中で、山口市から広島市に転校しました。1学年11クラスのマンモス校でしたが、びっくりしたのは担任の先生。美術が専門で柔道部の顧問でしたが、午後のホームルームで生徒に歌謡曲を合唱させるのです。各班が当番でB4の藁半紙にガリ版で8曲位を印刷し、1日1曲必ず歌うのです。他のクラスのことはお構いなしで、3年の時も担任でしたが全く変わっていませんでした。私が当番の時は、柳ヶ瀬ブルースやいとしのマックスを選曲して印刷し、大声で歌ったことを覚えています。

 

≪昭和38年生まれのリスナーさん≫

高校の修学旅行は関東方面でした。

ひかり号の旅なのですが、学校から徳山駅までは観光バスでの移動でした。わずか40分位の移動なのに、くじ引きで1曲歌う羽目になりました。

八神純子さんの「ポーラースター」を歌詞本を見ながら歌いました。出発前からテンションがだだ下がりです。

そして、時は流れて2012年7月。

周南市文化会館で行われた八神純子さんのコンサートに行きました。

終演後、握手会に並びました。

「今日の歌の中で、印象に残ってる曲は?」

握手しながら質問されました。

「ポーラースターです。」そう答え、修学旅行の事を話しました。

凄く喜んで頂き、話しが弾みました。

帰り際、ハグもしてもらいました。

あの時、歌って良かったです。

 

≪50代、女性リスナーさん≫

「昭和の歌を歌った」というと、小学生の頃の"お楽しみ会"です。クラスごとに、席の近い人で班になり、班ごとに、"楽しい発表"をするというものでした。

私達の班は、「勝手にしやがれ」を歌いました。他のメンバーは、親の帽子でカッコ良かったのですが、私は、麦わら帽子を投げました。クラスみんなで、歌って、盛り上がりました。

 

≪昭和40年生まれのリスナーさん≫

3才の時、よく母に連れられ、近所の商店に行き、

一切れ10円のカステラを買ってもらっていました。

その店のおばちゃんが木の台を持って来て、私に「この上で何か歌って」と言ってきました。

私は、当時耳にしていた「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌いました。店のおばちゃんが褒めてくれて、カステラをもう一個くれました。

 

≪昭和52年生まれのリスナーさん≫

私が小学校3年生の秋に、歌手の立川澄登さんが来校されての特別授業が行われ、そこで「四季の歌」、そして「六甲おろし」を歌ったのを思い出しました。

「四季の歌」は当初から皆で歌う予定に入っていて、音楽の時間だけでなく帰りの回(ホームルーム)の時にも練習していたのですが、「六甲おろし」は、特別授業の中で急遽サプライズ的に歌うことに。

というのも、私が小学校3年生の年は1985年。

そう、阪神タイガースが日本一になったシーズン。テレビ等で耳にしてはいましたが、いざ歌うとなっても、歌詞もよく分かりません。

それでも、一番の歌詞がかかれたプリントが配られ、立川さんがあの重厚感のある声でのお手本と、優しくユーモラスな説明でレクチャーしてくれたお陰で、ぶっつけ本番ながらも楽しく歌う事ができたのを覚えています。

 

≪昭和37年生まれのリスナーさん≫

中学3年の時、県内の宿泊訓練に行くバスの中の出来事です。1時間もかからない距離の中、なぜかバスガイドさんが付いてくれていまして、短時間だから短い時間で盛り上がる事をやろうとされていて、当時中学生で流行っていた「伊東四朗の電線マン音頭をみんなで歌いましょう!」と言われました。

しかしガイドさんの気持ちとはウラハラ。うちの中学は県内でもトップの進学校でして、電線マンを誰も知らないので静かになってしまい、ガイドさんは困っていました。ただ、僕だけは知っていたので最後はガイドさんと僕の2人だけで歌いました。

全然受けなかったけど、目的地に到着してバスから降りる僕に小声で「ありがとうね,」と言われたことを思い出しました。

 

さて、次週11/23は新テーマ「昭和の約束」で行きましょう。友達と遊ぶ約束をしたまますっぽかしてしまった、昭和の頃交わした約束をまだ実現できていない、デートの約束をしたがお相手が来なかったetc昭和の頃の約束にまつわる思い出・エピソードをお待ちしています!

 

そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日に更新しています!

https://www.youtube.com/watch?v=u6k_hVWAmN8

テーマは「昭和の無駄」

山根さんが昭和の頃からずっと思っている無駄。「ファックスを送ったから届いているか見てくれますかという電話」中には、内容まで電話で伝えてくるヤツもいるそうな。。。

昭和の 歌を歌った

2025年11月09日

今週は「昭和の 歌を歌った」で30分。

今日も、ご昭和リスナーの皆様から多くのネタが寄せられました。

 

≪昭和35年生まれのリスナーさん≫

40年くらい前に町内会の夏祭りでカラオケ大会がありました。主人と出場することになり、私はその頃に流行った『もしかしてPart2』を歌いたかったのですが、主人は「よーわからん」というので仕方なく『銀座の恋の物語』を歌いました。

当日、主人はリズムが合わずどんどん遅くなって行くので仕方なく途中から背中をトントンしてリズムを合わせようとしたのですが無駄でした。それ以来、主人とは人前でデュエットを歌うことはありません。

 

≪昭和33年生まれのリスナーさん≫

昭和のバス旅行では、行く先々ではバスガイドさんがご当地ソングを歌ってくれました。そのうちにマイクを渡し、前側に座っている乗客も歌わされます。マイクを差し込む穴はバスの中央にもついているため、後の方に座っていても逃げることはできず、半ば強制的に歌わされます。

町内会で年一回の日帰り旅行があった時、私も当時流行っていた「ドリフのズンドコ節」を歌ったことを覚えています。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

「昭和の 歌を歌った」で思い出したのは、中学の修学旅行のバスの中です。

修学旅行前に修学旅行実行委員会から

「バスの中で歌を歌う時間を設けたいと思います。歌う曲のカセットテープを委員会の方で準備するので、3年生全員からリクエストを募ります。」との発信がありました。

ところが、ふざけた男子達の組織票が効いてしまい

・1位:(北島三郎)与作

・2位:(渥美二郎)夢追い酒

・3位:(円広志)夢想花 の結果に。

まさか修学旅行のバスの中で何度も演歌を聞くことになるとは思いませんでした。

≪男性リスナーさん≫

社会人野球の応援で地方遠征に行き、ホテルでのカラオケ大会でジャンル縛りをしようとなりアニメを歌うことになりました。

私は水島新司さんが好きなので気持ち良くがんばれドカベンを歌いました。

 

≪昭和40年生まれのリスナーさん≫

高校入学して、バレー部の新入部員の自己紹介の時に「歌を歌え」と言われたのを思い出しました。歌った曲は、「帰ってこいよ」でした。体育館で先輩達が見守る中、ステージで歌いましたよ。

それから、だんなと付き合うきっかけは、「今夜は離さない」を、デュエットしたのがきっかけでした。

ビアガーデンにいった後、スナックで歌いました。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

昭和57年、高校卒業前に、先生が、

“お前ら、社会人になって会社で飲みに行って余興の一つでもやれ~と言われて困らんように。”

という事で、授業の2時間を利用して、音楽室で、一人ずつ歌を歌うことになりました。

出席番号順から、私は2番目。歌う歌は、ちょうどラジオで流れていた“阿呆鳥(あほうどり)”というグループの『物語』を歌ったのですが、先生曰く、

“よ~知らんけど、まぁ~ええわ。”と微妙に言われたことを思い出します。

友達たちは、“時には娼婦のように”とか“後ろから前からどうぞ”とか、派手にやりすぎて、大騒ぎになり、隣の教室の先生からクレームが入ったことは言うまでもありません。“社会人枠”で採用された先生、おもしろかったで~す。

 

さて、次週11/16も「昭和の歌を歌った」で行きましょう。修学旅行で遠足で、親戚の集まりで、自治会の宴会で、友人の披露宴でetc昭和の頃に歌った思い出・エピソードをお待ちしております!

 

そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日に更新しています!

https://www.youtube.com/watch?v=rESA4unohYg

テーマは「昭和の透明②」

山根さんが透明なプラスチックケース下敷きに入れていたのはスティーブ・マックイーンだったそうな。

昭和の車内販売 PART2

2025年11月02日

今週は「昭和の車内販売 PART2」で30分。

今日も、ご昭和リスナーの皆様から多くのネタが寄せられました。

 

≪昭和43年生まれのリスナーさん≫

我が家の階段の壁には、家族が旅行に行った時に買ってきたペナントが貼ってあります。

そのきっかけになった一番最初のペナントは、関門大橋のペナントです。

日付が書いてありますが、買ったのは昭和52年の3月21日。当時住んでいた静岡県から、母親の実家のある山口県へ帰省する時、大阪から新門司港まで乗ったフェリーの船内で買ったペナントです。

昔のペナントは、日付を書く欄が最初から用意されてました。以来、行く所、行く所でペナントを買いました〜。復活されたら面白いと思います、ペナント。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

昭和56年、高校2年、修学旅行東京行の新幹線で、“初”の車内販売の売り子のお姉さんに遭遇しました。岡山と神戸付近では、通路の出入り口で特産品の紹介をされ、その車両に陣取っていた私たちに、笑顔で“買ってくださいねぇ!”(多分ご愛敬)

と言われ何人か殺到したり、ずうずうしく“彼氏いるの?”とか話しかけたり、そこには私を含め“昭和の熱き男子高校生”がおりました。

 

≪昭和29年生まれのリスナーさん≫

私が五歳の頃、母と一緒に夜行列車に乗って旅をしました。買って貰ったお茶が陶器の器に入っていました。六角形か八角形?で茶色と灰色の二段模様で針金の取っ手が付いていました。

 

≪昭和43年のリスナーさん≫

初めての新幹線の乗車は、パンダの「カンカンとらんらん」を見に「上野動物園」に行く時でした。行きか帰りかは忘れましたが「食堂車」からの良い香りを覚えています。親に食堂車での食事をお願いしましたが「お値段が高い」のでダメでした。

 

≪昭和43年生まれのリスナーさん≫

子供の頃にタコ坪の様な駅弁を食べた記憶が有ります。でも、大抵が「次に売り子の台車が来たら、買ってあげる」ではぐらかされていました。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

「昭和の車内販売」で思い出すのは昭和末期に行った海外旅行の飛行機に置いてあった通販雑誌です。高い天井についている電球を取り替えるための先端に電球を掴む部分がついている高所電球回し棒や、巨大なクモを吸い込むために掃除機につけるアタッチメント、

やっぱり海外はスケールが違うなぁと感じたことを覚えています。

 

≪昭和29年生まれのリスナーさん≫

学生の時に旅行で近鉄特急に乗りました。貧乏旅行だったけど、寮の門限を守る為に仕方なく利用しました。車内販売の人がやって来たと思ってたら、一人ずつにおしぼりを手渡してくれました。

あの日から今日まで列車の旅でおしぼりのサービスを受けた経験はありません。

 

さて、次週11/9のテーマは「昭和の歌を歌った」で行きましょう。お遊戯会で、カラオケで、村祭りで、観光バスでマイクが回ってきてetc昭和の頃に歌った思い出・エピソードをお待ちしております!

 

そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日に更新しています!

https://www.youtube.com/watch?v=2kpzVWGWnUE

テーマは「昭和の透明」

山根さんが話題に出した「ビックリハウス」の写真をブログに載せてます!

昭和の車内販売

2025年10月26日

今週は「昭和の車内販売」で30分。

今日も、ご昭和リスナーの皆様から多くのネタが寄せられました。

 

≪昭和38年生まれのリスナーさん≫

母方の爺さんは、とても旅行好きで父親が早くに亡くなった自分達を不憫に思っていたんでしょう、年に数度、兄と2人電車で旅行に連れて行ってくれてました。

いつも、爺さんは列車に乗るとすぐにワンカップの日本酒とちくわを買って一杯ひっかけ、自分達にはゆで卵と冷凍みかんを買ってくれてました。

旅の思い出は、行った先の出来事より、車内販売で買ってもらって食べた、卵とみかんの方が残ってますね。

 

≪今年29才のリスナーさん≫

小学校高学年から中学生の頃に、宇部から熊本市に居る母の妹の所へ夏休みに一人で列車に乗って行っていました。

一度、隣に座ったおじさんが車内販売でサンドイッチを買ってくれました。当時、住んでいた辺りにサンドイッチを売っているお店なんてありませんでした。紙の箱にキッチリ入っていました。

 

≪65才のリスナーさん≫

昭和51年頃だったと思いますが、新幹線での下りの弁当販売は、あの帝国ホテルが作ってた様でした。

東京から徳山まで従兄弟と帰り、社内販売の帝国ホテルの弁当を買いました。お茶は白っぽいプラスチック容器に入った、熱いお茶でした。

その少しお高い帝国ホテルの弁当をそれぞれ2人で食べました。とても美味しかった思い出があります。特にフルーツのネーブルは、とても甘くて美味かった。従兄弟は、何を間違ったか、そのネーブルを床に落としてしまいました。僕が「ネーブルが一番美味しかった」と言うと、従兄弟は、とても悔しがってました。大学生の頃の思い出です。

 

≪64才のリスナーさん≫

自分が小学校低学年の頃、両親の故郷が長野だったので、夏休みに母と姉と3人で長野に行った時、まだ新幹線が東京まで走っていなかったので、宇部から名古屋まで寝台列車を使い、名古屋経由で長野に行きました。寝台列車では車内販売は無く、翌日の中央線の特急電車では車内販売があったと思いますが、母は旅費の節約のため、前日からおにぎりをにぎり、水筒にお茶を入れ持参し、私たちに食べさせました。自分は内心、車内販売を羨ましく見てました。冷凍ミカンがとても気になりました。

 

≪昭和43年生まれのリスナーさん≫

子供の頃にタコ坪の様な駅弁を食べた記憶が有ります。でも、大抵が「次に売り子の台車が来たら、買ってあげる」ではぐらかされていました。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

昭和の車内販売で思い出すのは、高校の修学旅行ではじめて乗った新幹線の車内販売のお姉さんを思い出します。

ドアが開くとまず頭を下げて一礼。その後は「コーヒーにサンドイッチ、アイスクリームにお弁当はいかがでしょうか」と綺麗なお姉さんが台車を押してやってくる。注文の度に止まって対応される姿に見とれてました。なけなしの手持ちの小遣いから、思わずアイスクリームを買ってしまいました。「ありがとうございます。」と明るい笑顔に胸がどきどきしたのを覚えてます。

 

≪昭和40年生まれのリスナーさん≫

中学の修学旅行は 兵庫・広島・山口方面に新幹線で行きました。2両ほど貸切で女子校だったため元気な女子がぎっしり。

車内販売のお兄さん、お姉さんがとっても若くて、ちょっとカッコイイ人もいて、通る度にちょっかい出して盛り上がって、みんなで一緒に撮った写真が 良い思い出です。全然買わないのに引き止めてばかりでごめんなさい。

 

さて、次週11/2のテーマも「昭和の車内販売」で行きましょう。我慢した・買ってもらった思い出、同じ商品でも欲しくなる、定番の硬いアイスクリームetc次週もお待ちしております!

 

そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日に更新しています!

https://www.youtube.com/watch?v=_t7SdnWd92s

テーマは「昭和の迷った買い物②」

レーザーディスクを見て「わかんな~い」と言う平成生まれの野口アナをご覧ください。

昭和の無駄 PART2

2025年10月19日

今週は「昭和の無駄 PART2」で30分。

今日も、ご昭和リスナーの皆様から多くのネタが寄せられました。

 

≪昭和34年生まれのリスナーさん≫

昭和40年代初頭、カラーテレビが裕福な家庭から、じわじわと普及していました。しかし、一般家庭でカラーテレビはまだまだ高嶺の花で、カラーテレビは買えないけど「アンテナだけカラーテレビ用のアンテナを取付ける家」がありました。近所に対する完全な見栄ですが、白黒テレビにカラーテレビ用のアンテナを付けても特に効果は無いと思います。因みに我が家は、昭和42年頃に16インチのサンヨーサンカラーを16万で買ったと聞いてます。

 

≪今年77才のリスナーさん≫

中学生の頃、帰りに店によって、かき氷・竹輪等を食べる。(通い帳)に記入して帰る。数日後、親がまとめて支払う。

 

≪昭和38年生まれのリスナーさん≫

小学6年生の時、クラスに気になる女の子がいましたが、当然話かける事も出来ず、心の中で「いいなぁー」と思っているだけでした。

ですが、その子が席替えで隣になって、いつも給食で牛乳を残すので、思いきって「飲めないんなら、ワシが飲んじゃろうか?」と言ったら「いいん?飲んでくれる」と言ってくれました。それからずっと、小学生活が終わるまでその子の牛乳を飲んでました、でも、それだけで、期待する様な出来事は何一つ起こること無く、無駄な努力でした。さらに、他の牛乳が苦手な女子3名からも頼まれて、毎日5本の牛乳を飲んでました。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

「昭和の無駄」で思い出すのは、『缶切りのコルク抜き』です。そう、中央に畳まれているネジネジした部分です。

家庭によると思いますが、うちはワインなど嗜む家庭ではなく全く使うことはありませんでした。

平成になって、専用のコルクオープナーを使いましたが、専用のものでも上手く回せなかったです。

缶切りにおまけのように付いたものではきっと失敗ばかりだったと想像します。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

昭和の無駄(な買い物)で思い出したのは、

ガンプラの抱き合わせ商法で買わされたプラモデルです。

欲しくもない「モビルスーツみたいなモノ」のプラモデルを何個買わされたことか。

 

≪昭和27年生まれのリスナーさん≫

バイクや車の「暖機」。

キャブレターのチョークを引いてエンジンを掛け、バイクはシリンダーヘッドが少し暖まったら、車は水温計の針が動いたらチョークを戻し・・・と今考えるとガソリンを無駄にしていたと思います。

当時は、それ前提のエンジン設計なので仕方無いかな。

でも、私が最初の車を持った昭和四十七年の手取りが二万五千円位で、レギュラーガソリンがリッター四十五円位だったので、決して安くは有りませんでした。手取りが二十五万円で、リッター四百五十円だと考えると高いでしょ。

 

さて、次週10/26のテーマは「昭和の車内販売」で行きましょう。特急列車の中、フェリーの中、観光バスの中…、飲食・お土産、欲しいものが多かったなぁ。会社の社販じゃないですよ~。

次週もお待ちしております!

 

そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日に更新しています!

https://www.youtube.com/watch?v=39bMdcNiEHc

テーマは「昭和の迷った買い物」

山根さんのおばあさんはフエキのりの代わりにお米で貼り付けていたとか。

昭和の無駄

2025年10月12日

今週は「昭和の無駄」で30分。

今日も、ご昭和リスナーの皆様から多くのネタが寄せられました。

 

≪昭和27年生まれのリスナーさん≫

私が中学生の頃、ちょっHな本を勇気を出して初めて買ってみました、本当に見たい所は黒く塗りつぶしてあり、もしかして消せると思い、洗剤・シンナー・バター・全部、「無駄」でした。

 

≪昭和31年生まれのリスナーさん≫

産後間もない私はブクブク太っていました

そんな私に目をつけたのが、補正下着の訪問販売の女性2人組。話を聞くだけのつもりが。上手い口車に乗せられて、買ってしまいました。お腹をギューっと締めつけるボディースーツに足のたるみも締めつけるパンスト、着替えの分も入れ2着セット。占めて30万位したでしょうか?

痩せるつもりで買ったのに、着るのにひと苦労するので、数回しかつけませんでした。

残るはローンのみでした。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

スマホなどの携帯できる通信機がなかったころ、待ち合わせなどで無駄な時間を過ごすことがありました。

ちょっとしたことで待ち合わせ場所や時間を間違えたり、何かのアクシデントで約束の時間に間に合わなかったり・・ということで「待ちぼうけ」を喰らうことなど、そんなに珍しいことではありませんでした。

平成になったからポケベルが登場し、ケイタイ、スマホとなった今では、待ち合わせのすれ違いで無駄な時間を過ごすことがなくなりましたね。

 

≪昭和29年生まれのリスナーさん≫

中学生の時、英会話が上手くなりたいと雑誌で見た教材を買いました。小遣いをコツコツ貯め送られてきたのは赤い色のソノシートのレコードでした。第一巻だけテキストを読みレコードをかけて聴きましたがそれきり聴きもしませんでした。勿体ないからと嫁に持って来ましたが日の目を見ずに処分されました。

≪昭和29年生まれのリスナーさん≫

初めて食品用の「ラップ」を見たのは小3の頃です。お母さんがスーパーで働いている友達の家に行って見せてもらいました。「これは何だ?!」と驚きました。どのように使っていたのか覚えていませんが、その後、我が家に登場した時には洗って干して何度も使っていました。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

若い頃、テレビドラマで【刑事物】が流行っていました。犯人が人質をとって、立てこもり。

警察が『無駄な抵抗はやめろ!お前は完全に包囲されている。』そして、犯人のお母さんが登場して、泣き崩し作戦。お決まりのパターンでしたが、よく見ていました。

 

≪昭和38年生まれのリスナーさん≫

身体測定の座高ですね。

意味がないから今では廃止されたと聞いてます。

なのにあの頃いちばん気になるのは座高でした。

座高が高いイコール足が短い。少しでも座高を低くしようとして悪あがきをしていました。あの悲しい無駄な時間。あとから思えばいい思い出になど決してなりません。

 

≪昭和29年生まれのリスナーさん≫

我が家に初めて冷蔵庫がやってきたのは小学生の低学年の頃です。扉には鍵穴が付いていました。もちろん鍵もありました。私は鍵を使った記憶はありませんが、親はどんな時に鍵で閉めていたのでしょうか?時々、閉まっていたような気がします。

メーカーとしては勝手に開閉できないようにというつもりだったのでしょうが、いくら高級家電と言っても鍵付きは無駄だったのではないでしょうか?

 

さて、次週10/19も「昭和の無駄」で行きましょう。山根さんお望みの“ムダ遣い”、健康器具、通販でカメラ買ったのにおまけでついてきたポケットカメラetc昭和の頃のあれは無駄だったなぁと思うものをお待ちしています!

 

そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日に更新しています!

https://www.youtube.com/watch?v=4YQC8SF4v6Y

テーマは「昭和の応援 PART3」

人並みに「夏バテ」と言ってみたかった山根さんをご覧ください

昭和の透明

2025年09月28日

今週は「昭和の透明」で30分。
ちょっと書きにくいテーマかと思いきや、そこは我れがご昭和リスナーの皆様、たくさん寄せられました。

≪昭和29年生まれのリスナーさん≫
宇部の街中がとても賑やかだった頃。銀天街のアーケード横に建っていた「中央大和」(ちゅうおうだいわ)。そこには入り口横の外向けにエレベーターが設置されていまして、これが登り降りしながら外の景色が眺められる透明。まるで遊園地の乗り物に乗ったようでした。今でこそ珍しくありませんが初めて乗った時は感激しました。

≪54才のリスナーさん≫
私にとって昭和の透明は、スーパーカー消しゴムです。当時、20円のガチャで3cmぐらいのゴム製のスーパーカーが出てくるのですが、中には、透明なものも入っていて、それを引き当てただけでもテンションが上がっていました。
そして、中に“当たりの紙”が入ったカプセルを引き当てると、長さ10cmを超える特大のマツダサバンナRX-7の消しゴムがもらえました。私も一度だけ引き当ててもらったのが緑色の透明なタイプのものでみんなに自慢したのを覚えています。

≪昭和29年生まれのリスナーさん≫
小学校低学年の時、理科でヒヤシンスの水栽培をする為に球根を育てる容器を買って来なさいと言われました。ホームセンターなんて無い時代で、友達と少し離れた種物屋さんに行って、綺麗な色の青か緑色の容器を買って帰ると、その友達の親から「透明じゃないと根の観察ができないでしょ!」と言われて交換をしにいった悲しい思い出があります。

≪昭和29年生まれのリスナーさん≫
昭和の透明、それは喫茶店で飲むアイスコーヒーの中の透明な氷ですね。昔の冷蔵庫は、今みたいに自動で氷ができなくて、冷凍室で製氷皿で作っていて、水を一度沸騰させて作るといいとか、製氷皿の下に割り箸を置いとくといいとか言われたのでやってみても透明になりませんでした。

≪昭和34年生まれのリスナーさん≫
昭和の透明で思い出すのが、カセットテープの真ん中の透明な小窓です。カセットテープの出始めの頃はテープ残量がわかる最低限度の小窓でしたが、そのうちカセットの半分位が透明になり、終いにはケースが全部透明で、オープンリールテープの様なリールが丸見えのカセットテープがありました。

≪昭和44年生まれのリスナーさん≫
昭和の子供の透明と言えば、野球で遊んでいた時の「透明ランナー」です!!
小学生の頃、友達と野球をして遊んでいました。野球と言っても1チーム3人か4人ぐらい。キャッチャーは無しで盗塁も無し、守備位置は適当。野球と言うより、投手の投げた球をとにかく振る!!みたいな「野球ごっこ」でした。
そして、攻撃の時にランナーが出ると「透明ランナー」の出番でした。その後、今のは透明ランナーがアウト!とか、透明ランナーはセーフ!とか、そんな事を言い合ってました。勿論、審判など居ないので、お互い都合の良い判定。でも、真剣勝負ではなくお遊びでやっていたので、ケンカに発展するとかは無かったですね。

さて、次週10/5も「昭和の透明」で行きましょう。山根さんが言ってた「透明人間」はありゃぁ冬は寒いで~服着たら何処にいるかばれちゃうし、高橋少年は中学の頃、透明な下敷きカードケースに平凡ソングの切り抜きを入れてたetc昭和時代の「透明」にまつわるエピソードをお待ちしています!

そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日に更新しています!
https://www.youtube.com/watch?v=8r3FsKKq3jk
テーマは「昭和の応援」
高橋がお休みさせてもらった回でして、代打渡辺さんの魚肉ソーセージのビニールの見事な剥き技をご覧ください!

昭和の迷った買い物 PART2

2025年09月21日

今週は「昭和の迷った買い物 PART2」で30分。

≪昭和29年生まれのリスナーさん≫
初月給で橋幸夫さんのLPを買いました。高くて迷いましたが、家族で応援していたので思い切って買いました。嫁に持って来て、今もあります。

≪昭和44年生まれのリスナーさん≫
私が小学生の頃、父が自家用車の購入で迷っていたのを思い出します。
私の父は大工でした。それまでは2ドア車に乗っていたのですが、大工道具を入れるのに普通の車のトランクでは狭いし、家族で乗るには2ドアは不便…と言う事で、4ナンバーのバンタイプの車を買う事になりました。それまでは中古車を買っていたのですが、一念発起して新車を買うと言う事で、私も嬉しかったのを覚えています。
スターレットのバンとサニーのバンが候補。どちらにしようか迷っていたようでしたが、父は最初スターレットのほうが気に入ったらしく、家で毎日のようにスターレットのカタログを見ていました。私も一緒に見ながら、「これが次の車かぁ。」とワクワクしていました。なのでスターレットを買うのだろうと思っていたら、土壇場で父の気が変わり、サニーのバンを買う事になりました。
真っ白のサニーのバンは、エアコンも無し、AMラジオしか付いていませんでした。今では信じられない装備ですが、当時はコレが普通でしたね。快適装備など何も付いていないバン、それでも我が家初の新車で凄く嬉しかったです。
普段は仕事で、そして家族で出かける時はこの車でした。普段は父が仕事で使っているので車内はいつも木の匂いというかオガクズの匂いがして薄汚れていましたが、約10年間我が家の愛車だった白いサニーのバンは、私を育んでくれた家族の思い出の車でした。

≪昭和37年生まれのリスナーさん≫
昭和の迷った買い物。小学生の時の月刊雑誌「科学」or「学習」です。勉強熱心で裕福な家庭の子は両方取ってましたが科学だけの子が私の周りでは多かったような気がします。
僕は「どうせ読まないだろう」と言う理由で親が取らなかったけど、迷った挙句どうしても読みたい時だけ駄々をこねて親からお金をもらい直接本屋に行って買ってました。

≪昭和29年生まれのリスナーさん≫
車種は決まっていたのですが、装備で「サンルーフ付き」にするか「ノーマルルーフにするか」で迷いましたが、元々スポーツカーのオープンカーに憧れていたので「サンルーフ付き」にしました。
夏場でも窓全開とサンルーフを開けていればエアコンは必要なかったです。特に海岸沿いの道路を走るときは気持ちよかったです。

≪昭和★★年生まれのリスナーさん≫
「昭和の迷った買い物」で思い出すのは、『ステレオコンポ』です。
他のメーカーと迷って選んだメーカーは「SUNSUI」。決め手は、曲の頭出しができるレコードプレーヤーでした。3曲目とセットするとLPの3曲目に針が落ちて曲が流れる画期的な機能付き。ただ、レコード盤によっては曲間を判定できないこともあったような記憶が。最先端を攻めすぎたコンポだったのでしょうかね。

≪昭和31年生まれのリスナーさん≫
昭和で迷った買い物と言えば、
高校入試合格祝いに買って貰った『ラジオ』です。
当時、ナショナル&SONYが人気でどっちにするか迷ったもんですが、私はナショナル『ワールドボーイ』を買って貰いました。当時はナショナル派かSONY派に分かれてどちらかを手にした友達は多かったです。

≪70才のリスナーさん≫
昭和57年、下関から光へ「意に反する転勤」となりました。頭に来て「高い物を買ってやろう」と思い、徳山の電気店に行き、映画のビデオテープを購入しました。やけ買いですね。
当時はビデオテープは高く、1本2万円くらいでした。その時に、「ローマの休日」を買おうか、「実写版・鉄人28号」を買おうか迷いました。
「ローマの休日」は私にとってのベスト映画で、鉄人の方は、昭和35年製作の価値ある実写ドラマでした。ビデオコーナーで30分以上悩んで、結果、「ローマの休日」を選びました。

≪昭和38年生まれのリスナーさん≫
就職して、初めてのボーナスをもらった時に、ビデオデッキを買うことにしました。当時ビデオデッキも出始めで、大手メーカーが、VHSとベータのふたつに分かれてまして、友達もテープを借りるのに一緒じゃないと無理だから、自分が買う方に合わせて買うと言って来たんで「責任重大」となり、かなり迷いました。結局VHSを買いました。

さて、次週9/28のテーマは「昭和の透明」で行きましょう。映画「透明人間」、暗記用に引いた赤いマーカーが透明になる、金魚の水槽、マント、ビー玉、しょうゆ差し、透明ドリちゃんetc昭和時代の「透明」にまつわるエピソードをお待ちしています!

そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日に更新しています!
https://www.youtube.com/watch?v=jZewJxPi93o
テーマは「昭和の一人で遠出②」
山根さんは、友達と「なんぼ持っちょる?」と訊きながら飲んでいたそうな。


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