
ご昭和ください ブログ
昭和の水 PART2
2026年03月01日
今週は「昭和の水 PART2」で30分。今週も昭和ならではの水の思い出が出てきました。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
「水のみ鳥」です。
小学生の頃、名古屋駅地下街の「王様のアイデア」のお店で初めて見ました。とっても不思議な動く置物でした。その後、飲食店の飾り物として目にしましたが、我が家に来ることはありませんでした。
≪昭和38年生まれのリスナーさん≫
鹿野の中心部から離れたところに実家がありました。山に秘密基地を作り、田んぼではソフトボールやサッカーなど、地区の小学生や中学生が総出で遊びます。
近所にはお店も自動販売機もありません。
なので、喉が渇いたら誰か家の水を飲みます。
家の方に向かって「水、貰うねー」、そう言い、外の水道を勝手使ってました。蛇口に口を付けて、ガブ飲みです。親切な家では、プラスチックのコップが置いてありました。勿論使わせてもらいました。
小中高時代、水分補給は井戸水でした。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
「昭和の水」で思い出すのは「水に溶けるメモ」です。スパイ手帳に挟んで合ったメモです。
水に溶けるメモといっても、要するにトイレットペーパーだったわけですが小学生男子の気持ちを揺さぶるアイテムでした。ただ使い道は特に無いことと、根が貧乏性なので使わないうちに忘れられてしまったと思います。
≪昭和30年生まれのリスナーさん≫
前回のご昭和くださいの放送を聞いていると、
「クラブ活動の練習中には水を飲むな」と言われたという事でしたが、私は、ラグビー部で練習中、水を飲むなと言われた記憶はありません。
グラウンドには、散水用の水道が、地面下にあって、練習中、地面にはいつくばって、水を飲んでいました。
練習中の水と言われて思い出すことが一つあります。ラグビーの練習中、何かの事故で、頭を打って、脳震盪になり、頭から水をかけられました。
その後、寮のベッドに運ばれ、数時間後に気付いた時には、記憶喪失で、何が起こったのか分かりませんでしたが、唯一、グラウンドで頭から水をかけられたことだけは、記憶にありました。
≪昭和27年生まれのリスナーさん≫
大相撲で、なかなか勝負がつかない時、「水入」と言うルールがあります、昭和時代、よく見ましたが、最近ではあまり見かけなくなりました。行事さんが、水入り後、お相撲さんを、初め組んでいた形に、正確に戻し、相撲さんのお尻を、ポンと叩いて、勝負が再開します。
さて、次週3/8は「昭和の1万円」で行きましょう。
聖徳太子ですね~。当時の1万円はいろいろ買えました。お年玉でアルバイトでコツコツ貯めて。昭和の頃の、1万円にまつわる思い出・エピソードをお待ちしております!
そして、ご昭和くださいの「X」、#kryshowaでご覧ください。ラジオ放送の前日、毎週土曜日に翌日の放送分のちょっと良い場面を動画でUPする予定です。ぜひ、“フォロー”と“いいね”をお願いします。
昭和の 無理をしたデートPART2
2026年02月22日
今週は「昭和の無理をしたデートPART2」で30分。今週も昭和のデイト事情がたくさん出てきました。
≪昭和43年リスナーさん≫
昭和の水で、最初に思い出したのは、新幹線の中にあった給水器です。ペラッペラの折りたたんだ紙コップが備えつけられてました。
中1まで静岡に住んでいて、母親の実家のある山口県に新幹線で帰省してましたから、乗った時は、タダの水を、たらふく飲んでました。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和55年に高校に入学し、野球部で甲子園を目指しました。練習中は、『水、飲んだら、バテるぞ~!』と、水飲み禁止。トイレに行った時、内緒で、思い切り飲んだ冷水器の水は、最高に美味しかったし、生き返りました。
≪昭和44年生まれのリスナーさん≫
私ら世代で水と言えば、「運動の最中には水を飲んだらダメ!!」でしょうね。
中学二年生までハンドボール部に所属していたのですが、特に夏の練習は地獄でしたね。部活が終わると皆んな水道の蛇口に一直線に走り、水道水をゴクゴクと飲んでいました。
今でも良く覚えているのは顧問の先生の言葉。その先生は保健体育の先生だったのですが、「運動中には絶対水を飲むな!!水を飲んだら汗をダラダラかいてバテるだけなんじゃ!!」と、今では信じられない事をいつも言われていました。ちなみに当時は真夏の気温が最高でも32度や33度とかだった記憶があります。今の暑さは尋常ではありませんね。
≪昭和44年生まれのリスナーさん≫
「昭和の水」で思い出すのは「水たまりに作るダム」です。小学生の頃、小雨の朝に通学団の
集合場所にできた水たまり。その水たまりの端の少し岸の部分からゴム長靴で土を堀りダムを作っていきます。慎重に土を堀り進めていくと、水たまりの中央に向けてダムができていきます。
長いダムができると鼻高々で、学校に向かうときに
ダムを決壊させるのが子供ながら快感でした。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和の水で思い出したのは、上水道の開通です。
記憶では、住んでいた町に上水道が通ったのは昭和50年頃でした。
それまで我が家ではポンプで組み上げた地下水を使っていましたが、家の中の蛇口の1つが"有料"の上水道になりました。
配管工事費用の問題だったのか、その蛇口は台所ではなく洗面所に有り、母は「この蛇口はおんまり使うんじゃないよ!」と言ってました。
しかしながら、上水道は水圧が他の蛇口の倍くらい有り、子供ながらに「上水道って凄え!」と感動したものでした。
さて、次週3/1も「昭和の水」で行きましょう。山根さんは熱帯魚の水替えは一生懸命にやっていた、夏に冷たい井戸水でスイカを冷やす、噴水を見かけるといつも突っ込むetc次週も皆さんからの思い出・メッセージお待ちしております。
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昭和の 無理をしたデートPART2
2026年02月14日
今週は「昭和の無理をしたデートPART2」で30分。今週も昭和のデイト事情がたくさん出てきました。
≪昭和33年生まれのリスナーさん≫
知り合って間もない頃、いいところを見せようと、当時の小郡駅近くにあったフランス料理店に行きました。初めて入った本格的なフランス料理店、メニューは日本語でしたが、書いてあるものがどんな料理なのか、まるで見当がつきません。
財布の中身を考え、二番目に高いコース料理を注文しました。ナイフとフォークは外側から使うということは知っていたのですが、女の子も不慣れな様子で、私がすることを真似てぎこちなく食べ始めました。しばらくして、皿の上に見たこともない丸い巻貝が現れました。女の子が戸惑っているので、「エスカルゴという食用のカタツムリだろう。」と教えたところ、気味悪がって食べようとしません。自分は食べましたが、ニンニクが強くてとても美味しいとは思えませんでした。
≪男性リスナーさん≫
無理をしたデートと言えば、見栄を張り当時の私にとっては高いお店に行って給料の殆どを使ってしまい、次の給料日までの食事が「カップ麺1個」とか、「ご飯を炊いておにぎりのみ」となってしまった事でしょうかね。今となっては良い思い出ですけど。
≪昭和29年生まれのリスナーさん≫
6月にお見合いをして7月に初めて花火大会に行きました。張り切って浴衣を着て出かけました。夫はせっかちな性格で途中のアーケード内でもスタスタ歩き、私は慣れない下駄で付いて行っていたら下駄の歯が一本折れたのか外れてしまいした。その頃の私は恥ずかしくて言い出せず何事も無かったようにして、そのままの下駄で花火見物をして帰りました。
≪昭和41年生まれのリスナーさん≫
私の無理をしたデートは、20歳の頃に、友達カップルと、彼らに紹介された男性と私とのダブルデートです。男性とは、その日が初対面でしたが、会った瞬間に、ファッションが好みではありませんでした。多分、彼の方も私は好みのタイプではなかったと思います。ボウリングやパターゴルフをしたのですが、友達カップルはイチャイチャと楽しそうでしたが、私は早く帰りたいなあと思っていました。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
バブルの前後は「デート、イコール 車でお迎え(ドライブデート)」みたいな時代で、
そのためにソアラ、マークⅡ、プレリュード等の女子に人気の車を無理して新車で買う男が私の周りにも多勢いました。それらは当時の値段で350万は したと記憶します。
『デートの誘いは、先ずは車の購入で無理をした後で』、そんな時代でしたね。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
「昭和の無理をしたデート」で思い出すのは
「ドライブデート」です。
兄の車セリカ1600GTを借りて、ドライブに行った帰りの道、法定速度をぴったり守って走行、
後ろにズラ~と車が並んだのを覚えています。
助手席に乗っていたのは今の妻です。
さて、次週はテーマチェンジ。2/22は「昭和の水」で行きましょう。部活で水を飲ませてもらえなかった、夏休みの水やり当番をすっぽかした、水たまりに足がはまったetc次週も皆さんからの思い出・メッセージお待ちしております。
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昭和の無理をしたデート
2026年02月08日
今週は「昭和の無理をしたデート」で30分。今週も昭和のデート事情がたくさん出てきました。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和の無理をしたデートで思い出したのは、
コンサートチケットの調達です。
ユーミンやサザン等のプラチナチケットが手に入ると、デートに誘う口実にもなるので、よくプレイガイドの前に夜中から並んでました。
≪昭和27年生まれのリスナーさん≫
山口県東部の山間部、おむすび・山賊焼の、有名なお店に彼女と行く約束をしました、その当時、私はまだ車を持っていなかったので、先輩を拝み倒し、アメ車を貸してもらうことになりました。食事を終えてかっこよくアメ車に乗り込みましたが、ハンドルがない、左ハンドルに慣れてないので右側の座席に座り、格好悪かった~。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和の無理をしたデートと言えば、
「男が全て払う!」でしょう。
交通費、施設の入場料、食事代、等々、
(女性も一応は出すふりをするものの)
当たり前のように男が全て払っていました。
ワリカンなど提案しようものなら、一発アウトのケースも。
≪昭和35年生まれのリスナーさん≫
今の奥さんと付き合ってる時に、小郡にあった巨大迷路に行きまして、
その後お昼に、奮発してステーキを食べに行きました。そこまで高級店ではなかったんですが、ステーキと言うと奮発感がありますよね。
注文したあと店員さんから「焼き加減はどうされますか」と聞かれ、慌てながらも冷静を装い「よく焼いて下さい」と言ったのを覚えています。
と言った様に、昭和の皆様は様々な無理をしてなんとかデートを楽しもうとしていたんですね~。次週2/15も「昭和の無理をしたデート」で行きましょう。次週も皆さんからの思い出・メッセージお待ちしております。
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昭和の栄養 PART2
2026年02月01日
今週は「昭和の栄養 PART2」で30分。今週も昭和の栄養事情がたくさん出てきました。
≪昭和27年生まれのリスナーさん≫
昭和三十年代に小学生だった時の給食で出た「脱脂粉乳」。
その味から、配膳の時は「多い、多い」の大合唱。
代わりに、みつ豆の時は「少ない、少ない」の大合唱。豆とミカンを数えたり、量を比べて騒ぐのが当時のアルアル。
≪昭和28年生まれのリスナーさん≫
小学生4年までの私は、半ズボンがブカブカのガリガリ痩せで、夕食のおかずも平天とモヤシの炒め物という貧しい生活でした。給食も脱脂粉乳で牛乳も飲んだことがなかったのですが、母親が知り合いからヤギの乳が貰えたと言い、しばらく私に飲ませてくれました。するとブカブカだった半ズボンがピチピチになり、栄養が行き届き私はヤギの乳で育ったようなものです。
≪昭和38年生まれのリスナーさん≫
母は、ビタミンB1欠乏症だからといつも麦ご飯を炊いていました。麦が入ってない銀シャリは馴染みがなくて、結婚してからも麦ご飯です。
≪昭和41年生まれのリスナーさん≫
「昭和の栄養」と聞いて思い浮かんだのは、黒や茶色や緑色の豆です。私が中学生の頃は給食はなくお弁当だったのですが、母がやたらと「栄養があるから」と言って、お弁当の一角に煮豆を入れていました。私は豆類が大嫌いだったので、必ず残すのですが、必ず入っているのです。好きなものばかりが入っている友達のお弁当が羨ましかったです。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和の栄養で思い出したのは、子供の頃に風邪を引いて寝込んだ時のフルーツです。
我が家の場合は、主に「バナナ」。
極稀に「メロン」でした。
≪昭和34年生まれのリスナーさん≫
家の食事のメニューが、野菜のお浸しや煮っころがしのおかずでテンションやや低めの時、母は必ず「栄養があるけー食べんにゃいけん。食べんと強くなれん!」と言って残さず食べさせられました。丁度、テレビで「ポパイ」を放送している頃でしたので、ほうれん草はよく食べされられました。
ポパイは、強くなる為に缶詰のほうれん草を食べてましたが、握力だけで缶詰を潰して開けられるならほうれん草はいらんやろ?!と思ってました。
さて、次週はテーマチェンジ。「昭和の無理をしたデート」で行きましょう。リーバイスとモカシンの靴を履いて白Tシャツ、雑誌で見たファッションでデートに行くのはかなり無理していた高橋少年です。
次週も皆さんからの思い出・メッセージお待ちしております。
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昭和の栄養
2026年01月25日
今週は「昭和の栄養」で30分。やっぱりご昭和世代の皆さんは少しでも“栄養の高いものを”求めていたみたいですね~。
≪昭和35年生まれのリスナーさん≫
昭和の栄養で一番最初に思い浮かぶのは、肝油です。給食で時々出ていて、甘くて美味しかったのを覚えています。また、夏休み前には30粒入りの物が斡旋販売されていました。
≪とあるリスナーさん≫
私が小学生の頃、夏休み前に肝油ゼリーの販売が有りました。ボンタンアメのオブラートを外してカプセル状にしたような物で、1日ひと粒と言われていたのですが、当時甘いお菓子など滅多に口に入らない私は、8月に入る前に殆ど無くなって居ました。
≪とあるリスナーさん≫
我が家には柿の木があり収穫した柿を干して出来た「干し柿をおやつ」として栄養源として食べていました。甘い干し柿はめちゃくちゃ美味しくてお腹も満たされてとても幸せな気持ちになりました。
≪昭和40年生まれのリスナーさん≫
幼いころ、籠に魚の干物を入れて売りに来るおじさんがいました。玄関で母が何か選んでいるのを見ていると、おじさんが「僕、これ食べてみな」と、ちりめんじゃこを一握りつまんでくれました。
私は食べると、「おいしい」と言いました。
おじさんは、「栄養があっておやつにもええからねー」と言い、おじさんの口車にのって、母は紙袋いっぱいのちりめんじゃこを買っていました。
それから、私のおやつは当分、ちりめんじゃこ でした。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和の栄養で思い出したのは、父の言葉「魚は小骨も食べろ!」です。
漁港がある町に住んでいたこともあり、我が家の食卓には魚がよく並んでいましたが、
焼き魚、一夜干し、等々、魚は小骨まで食べるのが当たり前でした。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
「昭和の栄養」で思い出すのは
「グロ〇サン内服液」です。
ガラスのアンプルに入っているので
プラスチックのカバーをかぶせて、先端をポキっと折ります。穴にストローを差し込んで薬液をチューチュー吸います。ちょっと悪いことをしているような特別感があり、効いた気がしたものです。
さて、次週も「昭和の栄養」で行きましょう。山根さんにとっての昭和の栄養はやっぱり“肉”でしょう!高橋少年も焼肉食べ放題に家族でよく行ったもんなぁ。大工の親父からの指示は「ゆたか、肉だけ食べろ!」でした。
次週も皆さんからの思い出・メッセージお待ちしております。
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昭和の理科 PART2
2026年01月18日
今週は「昭和の理科 PART2」で30分。今回もご昭和リスナーさんからのネタがたくさん寄せられました。
≪とあるリスナーさん≫
昭和の理科といえば、うちの学校だけかもしれないけど、小さい木製の四角いイスに座ってましたね。手で触ると指にスイバリが立ちそうで怖かった思い出があります。授業では顕微鏡はハッキリ見えてないのに見えてるフリしてました笑
あと、なぜか理科の先生は小声で黒板に書く字も小さくてクセ字が強かったですね~。あのクセ字を解読するのが面白かったです。
≪とある別のリスナーさん≫
小学校のとき、教室の後ろの棚でカイコを飼いました。餌の桑の葉はみんなで集め、私も桑の葉に似たような葉を見つけカイコに与えたら食べました。ある日学校に行くと、カイコがモスラのような繭を作っていました。それからしばらくした朝、教室に行くと教室は大騒ぎ。繭から蛾が数匹出ていました。その数日後の朝、学校に行くとさらに大騒ぎ。なんと、蛾が卵を入れていた箱に産んでいました。びっしりと。そして、最後の大騒ぎはその後。朝、教室に行くと無数のカイコの幼虫が生まれており、ゾクゾクするような感じだったことを覚えています。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
色が変わるのが不思議で、いろいろな液体につけて試したと思います。 また、色の変化の覚え方として先生が教えてくれたのは「梅干し」でした。
それは「青い梅を赤紫蘇で漬けると赤くなり酸っぱい(酸性)梅干しになる」というものです。 ただ、梅干しはアルカリ性食品との情報をテレビで見たりして、少し混乱した記憶があります。
≪昭和31年生まれのリスナーさん≫
理科実験は薬品入れてリトマス試験紙で確かめたり、アルコールランプで熱したり、一番好きだったのは上皿天秤でどの重りをのせたら平行になるのかという実験。ワアキャー言いながら楽しかったのを思い出します。
≪昭和35年生まれのリスナーさん≫
小学生の理科室での授業で、たぶんデンプン関係の実験だったと思うんですが、
試験管に唾液を落として化学反応を見る、と言うのがありました。
唾液を試験管に入れるのは、各班とも女子をはじめ男子も恥ずかしくて、なかなか進まなかった中、うちの班はクラスでも優秀なエヌ君が「じゃあ僕がやる」と言って、唾液を試験管に入れてくれました。カッコ良かったです
さて、次週はテーマチェンジです。「昭和の栄養」で行きましょう。昭和の子供は、カロリーオフではなくいかに栄養をとるかでしたね。親戚のおじさんはオロナ〇ンCに生卵を入れて飲んでいた、喫茶店のコーヒーに角砂糖3つ、おかずにケチャップ・ソース・マヨネーズをやたらかけるetc次回もご昭和リスナーさんの思い出・メッセージお待ちしております。
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昭和の 理科
2026年01月11日
週は「昭和の理科」で30分。
令和8年になっても、リスナーの皆さんからの“昭和ネタは熱い!”
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和の理科で思い出したのは、小学校の授業の磁石&砂鉄の実験です。
具体的には、紙の上に砂鉄を撒いて、下から磁石を当てて、磁界の流れを見るという実験です。実験前に先生から「磁石を砂鉄に直接引っつけると、後から大変だからくれぐれもやらないように!」との注意有り。しかしながら、先生の話を全く聞いてない馬鹿なヤツが何人かいて、案の定やらかしてました。彼らは放課後居残りで、砂鉄を剥がしてました。
≪昭和48年生まれのリスナーさん≫
私の通った小学校の当時の理科室の後ろには、実習で先生、あるいは生徒が解剖した鮒や、成長過程がわかる蛙、蠍のホルマリン漬けが置かれておりました。また、当時地元企業であった日本石油からの寄贈品で様々な石油製品のサンプルも陳列してましたね。
≪昭和34年生まれのリスナーさん≫
昭和の理科で思い出すのは、理科室の奥にある「理科準備室」。色んな物が置いてあり凄く不気味な場所でした。6年生になった時、理科室、理科室準備室の掃除係になり床だけ掃除して周りを見ないように掃除していました。
≪昭和43年生まれのリスナーさん≫
私は実験が大好きでした。衝撃を受けた実験は電気分解で、水を酸素と水素に分けて最後に水素のビーカーに火の付いたマッチを近づけて「ポン!」と小さな爆発を発生させる実験でした。
さて、次週も「昭和の理科」で行きましょう。皆さんの思い出に残る実験道具、名物先生、珍問・難問etc。“リトマス試験紙”ってなぜか口に出したくなる言葉なんですよね。皆さんの“理科”にまつわる思い出、エピソードをお待ちしております!
そして、今年からご昭和くださいの動画は、YouTubeから「X」に引っ越しました!
#kryshowa
で観られます!
ラジオ放送の前日、毎週土曜日に翌日の放送分のちょっと良い場面を動画でUPする予定です。
ぜひ、チェックお願いします!
昭和の名作ドラマPART2
2026年01月04日
令和8年、最初の放送、いかがだったでしょうか。前回に続く「昭和の名作ドラマPART2」で30分。今回も山根さんの熱量の高い解説トークがございましたね~。
≪57才のリスナーさん≫
昭和の名作ドラマ」といえば、「スチュワーデス物語」です。最初、教官役の風間杜夫を「蒲田行進曲」の銀ちゃんでしか見た事がなかったので、そのギャプですっかりファンになってしまいました。
少し前に、再放送された時、最初にコンプラを意識した字幕が出て何でだろうと思いましたが、やたらと殴ったり、タバコを吸っていたり‥今は、ダメですね。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
山根さんからは、「そんなん、ドラマじゃない! 人形劇だっ」と言われるかもしれませんが・・
私が懐かしく思い出すのは、ウィークデーの夕方にやっていた『新 八犬伝』です。
悪役の網乾左母二郎(あぼし さもじろう)が名乗りを上げるときのセリフ=「さもしい浪人、あぼしさーもーじろう!」や、
これも悪役の玉梓(たまずさ)の名乗り=「われこそは、たまずさが怨霊〜!」などは今でも記憶に残ってます。ナレーションと主題歌は坂本 九さん。歌に出てくる「じ〜んぎれいち ちゅ〜しん こ〜てい」という歌詞で儒教の8つの徳目=仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌 を自然に暗記できました。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
昭和の名作ドラマといえば、『俺たちの旅』を一番に上げたいです。中村雅俊さんのジーパン&下駄姿、格好良かったぁ~。真似して30歳ぐらいまで、夏は下駄を履いてました。
≪昭和33年生まれのリスナーさん≫
昭和の名作ドラマで思い出したのは、小林亜星が主役の「寺内貫太郎一家」です。
相撲取りのような体型で怒鳴り散らし、毎回のように親子喧嘩をして障子をぶち破って投げ飛ばされる西城秀樹や、壁に貼られた巨大な沢田研二のポスターに向かって身悶えしながら「ジュリー~」と叫ぶお婆さん役の悠木千帆(その後、樹木希林と改名)はお約束でした。
ある時、本物の沢田研二がトイレを借りようと石屋を訪れたものの、お婆さんとはギリギリのすれ違いでなかなか会えず、ハラハラしたのを覚えています。
≪昭和43年生まれのリスナーさん≫
小学6年生の頃、家族で見ていたのは「ちょっとマイウェイ」です。主題歌は今でも好きでよく聴いています。オープニングアニメーションも大好きでした。
主役(なつみ)は桃井かおりさん、親友のカツ子役(母の名前と同じ役名なので笑った)が研ナオコさん。なつみの幼なじみが峰竜太さんでした。
桃井さんの実家である、潰れかけたレストランを立て直そうとする話だった記憶があります。
≪昭和48年生まれのリスナーさん≫
私が「家族揃って観ていた」という事で思い出すのは、70年代後半から80年代初頭に、日曜日の夜8時からの1時間枠で日テレ系列にて放送されていた「西遊記」「西遊記Ⅱ」です。
当時はまだ私も幼かったので「西遊記っていってもアニメじゃないのか」とあまり期待はしていなかったのですが、父や母と一緒に観てうちに、段々とその面白さに引き込まれました。
堺正章さん、夏目雅子さん、西田敏行さん、左とん平さん達による掛け合いは勿論、岸辺シローさん演じる沙悟浄の、やる気のない風貌や、口の達者さ、藤村俊二さんの演じる「玉竜」のコミカルで個性的な演技が、特に大好きでした。アクションシーンや、特撮シーンも見応えがあって、毎週の放送が本当に楽しみでした。
ゴダイゴのオープニング&エンディング曲も名曲でしたし、今思い返しても「昭和の日曜日の夜を彩った、豪華な名作」だと思っています。
さて、次週は1/11のテーマは「昭和の理科」で行きましょう。国語算数理科社会の理科です。実験道具、人体模型、名物先生、珍問・難問etc。“プレパラート”ってなぜか口に出したくなる言葉だったなぁ。皆さんの“理科”にまつわる思い出、エピソードをお待ちしております!
昭和の名作ドラマ
2025年12月28日
今年最後のご昭和くださいのテーマは「昭和の名作ドラマ」で30分。山根さんの熱い解説トークもあり、あっという間でしたね。今週もご昭和リスナーの皆様から多くのネタ提供、ありがとうございます。
≪昭和43年まれのリスナーさん≫
探偵物語。本編よりも予告編の記憶が強いドラマでした。突然、スペクトルマンが出てきた時は驚いたし、笑ったし、放送が待ちきれなかった。
確か、スペクトルマンに憧れる少年の話でした。
工藤ちゃん、カッコよくて面白かったなあ。
≪昭和44年生まれのリスナーさん≫
熱中時代が一番印象に残っています。
水谷豊さん主演の刑事編の後の先生編が好きでした。中学生の時で、水谷さんみたいな担任が良いなぁと思いながら見てました。
続編の榊原郁恵さんの熱中先生も好きで見てましたよ。
≪昭和39年生まれのリスナーさん≫
「ザ・ガードマン」
私の記憶では白黒映像。一時期、再放送を夕方見ていました。
番組構成は、「オプニング」と「エンディング」があり、一話完結。夏場の“幽霊特集”冬場の“外国ロケ”また、毎回、芥川隆行さんのナレーションとBGMは私的にも最高。さらに出演者のカット割りとエンドロールの文字では、「漢字の読み方」を勉強していた事は過言ではありません。
≪昭和34年生まれのリスナーさん≫
私の昭和の名作ドラマの一番は「傷だらけの天使」です。探偵事務所の下請けという設定の萩原健一さんが超かっこよかったですし、水谷豊さんの「あ~にぃき~」は皆、まねしてました。特にオープニングの朝食のシーンと、井上堯之バンドの曲が秀逸で印象的。是非KRYで再放送して欲しいです。
さて、次週は新年1/4の放送。次回もテーマは「昭和の名作ドラマ」で行きましょう。山根さんが「○○は来てないですか?」と連発されていますが、気にせず、ご自身が思う名作をお送りください!令和7年の今年も「ご昭和ください」をご愛顧いただきありがとうございました。
そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日に更新しています!
https://www.youtube.com/watch?v=o7Nmjvu4MLI
テーマは「昭和の約束」
子供が乳歯を抜くときに手に500円札を親から手に握らせて「もらえる約束かな?」と意識をお金に集中させている間に歯をパッと抜く。抜けた瞬間500円札は取り上げる…、山根さんのテッパンネタお聞きください!
昭和の水 PART2
2026年03月01日
昭和の 無理をしたデートPART2
2026年02月22日
昭和の 無理をしたデートPART2
2026年02月14日
昭和の無理をしたデート
2026年02月08日
昭和の栄養 PART2
2026年02月01日