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ちひろとみすゞの朗読Time

6月15日にご紹介した金子みすゞの詩

『蛙』
この詩の中の蛙は、雨が降らなきゃ「なまけてる」と思われ、雨が降れば「お前のせいだ」と言われる憎まれっ子になっています。心がやさぐれてしまった蛙には、綺麗な虹さえも、自分をバカにしているように思えてくる、なんともかわいそうな詩です。でも私たちも、こういうこと、経験していると思います。気持ち次第で、綺麗なものも綺麗に見えず、例えば親切さえもバカにされているように思えてくる。気持ちって、大事ですね。自分の心がいつも自然体で、ひねくれないでいられること。それには、自分を信じる気持ち、強い平常心が大切ですね。心のバランスが乱れやすい梅雨の季節。穏やかに過ごせますように。
 
『不思議』
歌にもしている好きな詩のひとつです。子どもがいろんなことに疑問を持つ心を、大人に「あたりまえだ」と笑われてしまう残念さ。それをもこの詩では、「不思議」だと表現しています。いろんな想像が膨らむ子ども心、その「なぜ」という気持ちから、未来の専門家が生まれるかもしれない。その可能性も、周りにいる大人の影響は大きいかもしれませんね。

6月8日にご紹介した金子みすゞの詩

『世界中の王様』
何もかもを手に入れている王様は、あまりに広い御殿なので、広い広いお空を、気持ちのいいお空を知らないだろうと。そしてその素晴らしい空を知らない王様よりも、いつもこの空を見ていられる自分のほうがいいなと思っている、純粋な心のお話です。
この純粋さが、日々忙しく生きている私たちをホッとさせてくれます。忘れかけている大切な心の眼差しです。
 
『女王さま』
そして今度は自分がもしも女王様だったらという話。小さい頃の自分がさみしい思いをしている時の、そんな事がないようなお布礼を出す女王様を描いています。そんなみすゞさんの小さな願いがまた、かわいいです。でも、そんなさみしい思いも我慢していたみすゞさんだからこそ、私たちのいろんな思いを汲み取ってくれる、寄り添ってくれる詩が描けているとも言えますね。
素晴らしい作品は、明るいものだけではなく、影のさみしい部分、隠れている部分があってこそ、そこから生まれてくるものです。泥の中から蓮が咲く、それに似ているのかもしれません。

6月1日にご紹介した金子みすゞの詩

『ぬかるみ』
裏町のとおりの日かげのぬかるみ。いつまでも乾かないぬかるみ。私たちは「ぬかるみ」というとあまりいいイメージを持ちません。でも、みすゞさんの眼差しは違いました。そのぬかるみに映る青い空を見つめていました。この世の中のものには全て表面だけではなくその中に隠れているもの、裏にあるものが存在します。その見えない部分に大事なものも隠れている。みすゞさんは暗い中にも希望の光、苦しい中にも明るい未来、いつもその気持ちを忘れない人だったんだと思います。

5月25日にご紹介した金子みすゞの詩

『瀬戸の雨』
金子みすゞさんの故郷、長門市仙崎の北側、青海島を望むあたりは瀬戸といいます。今は、青海大橋で繋がっていますが、みすゞさんの頃は渡し舟で行き来していました。その海の潮どうしの会話の詩。みすゞさんの心の世界でその海を見つめると、潮が渦を巻く中に会話が聴こえてきます。トンビが飛んで、潮が流れて、いろんなドラマがその景色に映ります。みんな同じ時を、暮らしているんですね。

5月18日にご紹介した金子みすゞの詩

『お日さん、雨さん』
私たちはつい、お天気を「晴れたらいいな」「雨が降ってくれたらいいな」と自分の都合の良いように願いがちです。でも晴れの日も雨の日も両方大切なお天気です。それを、子どもたちもニッコリするような情景描写で優しく可愛く伝えてくれるみすゞさん。この詩を読んだあと、なんだか微笑んでいる自分がいます。
 
『雨のあと』
日なたの葉っぱと日かげの葉っぱ。雨の雫を涙に見立てて、日かげの葉っぱは「泣き虫」だと表現しています。「日かげの葉っぱの泣き虫に、誰かハンカチ貸してやれ」と締めくくるみすゞさんのセンス。面白いですね。みすゞさんの好きなところの一つに、優しいけれど過剰な優しさではないところ、あっさりしてるけどしっかり見ていてくれるところ、その「ちょうどいい」距離感が大好きなところです。

5月11日にご紹介した金子みすゞの詩

『御本』
日本の昔の家には「縁側」がありました。その縁側で気持ちのいい季節の5月、お父さんの難しい本をパラパラとめくり、本の中を空想の世界で楽しむ、その時間が大好きだという、なんともかわいい詩です。家の中だけど外に繋がるちょっと違う空間の縁側。その場所での1人時間は、なんとも言えないゆったりとした時間が流れます。私もみすゞさんの詩に初めて出会った時、父の本棚から詩集を取り出して、この詩と同じように父の部屋の縁側で読んでいたこともありました。
 
家の中の余白のような場所の縁側。心の余白にもつながって、なんだかとっても心地いい時間が流れます。

5月4日にご紹介した金子みすゞの詩

鯉のぼりを見かけると、この詩をすぐ思い浮かべます。大好きな詩ですが、池の鯉が空高く泳ぐ鯉のぼりの鯉をうらやましく思う気持ちを、みすゞさんが、お前もその池の中に広がる世界で悠々と泳ぐ存在なんだ、自分の世界でしっかり自信を持って生きろと言っているような、そんな力強さを感じる詩です。
 
この詩碑が、長門高校の正門近くにあるので、それがまた素敵だなと思います。みすゞさんが通っていた大津高等女学校の跡地に建っている長門高校。みすゞさんの強い思いが、未来を描く高校生たちの背中を押してくれているように感じます。

4月27日にご紹介した金子みすゞの詩

『鯨法会』
金子みすゞさんの故郷、長門市仙崎では約450年続く伝統行事があります。それが、鯨法会(鯨回向)という法要です。鯨の命は昔はとても貴重で、「鯨一頭とれれば七浦うるおす」という言葉もあるほどです。そのように大切だった命ですが、仙崎ではその命をいただく有難さを忘れてはいけない、鯨の命をちゃんと供養し、感謝する法要を今も、なお続けています。母鯨のお腹に宿ったまま陸にあがり、この世に生まれることが出来なかった子鯨は、鯨墓に葬られています。みすゞさんが小さい頃からその光景を見つめながら育まれたこと、512編のいのちをみつめる眼差しの背景には、故郷仙崎の優しさ、厳しさ、慈悲深さがあるんですね。大切に刻まれる伝統文化です。

4月20日にご紹介した金子みすゞの詩

『花のたましい』
春はいろんなお花に癒される、元気をいただく季節。みすゞさんはその中でも、咲いているお花の姿だけではなく、散ってしまったお花さえも私たちを楽しませてくれる姿を忘れません。そしてそんな優しいお花たちは全て、そんなに優しいのだから、この世の向こうでみんなみんなまた生まれると、空の向こうに想像しています。自分に優しさ振りまいてくれる、相手の救われる姿を想う心、優しさと優しさがこだましています。

4月13日にご紹介した金子みすゞの詩

『月のひかり』
この詩は512編の中で唯一、場面「一」と「二」に分かれて構成されている長編です。「一」では人間たちが賑やかな街に、誰も月に目を向けない、月のさみしさを詠っていますが、「二」ではそんなさみしい月が、もっとさみしい裏町の子どもを見つけ、優しさ溢れる月のひかりを注ぐのです。もうなんとも言えない切なさと優しさがこの詩には溢れています。まるで、金子みすゞさんそのものなのです。私はこの詩が大好きです。

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