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ちひろとみすゞの朗読Time

11月16日にご紹介した金子みすゞの詩

『雀のかあさん』
コンサートでは朗読でお届けする詩もあるんですが、その1編でもあります。人間側と雀側で、同じ出来事でも全く感じ方が違うシーン。この詩は、その一つの出来事も立場が変わると状況は全く違うことになることを伝えてくれます。特にこの詩はお子さんをもつお母さんやお父さんが心寄せる詩でもあります。みすゞさんのお母さんがいつも大切にしていたのがこの眼差し「ひとつの事をいろんな角度から見つめなさい」でした。512編を味わうと、その背景にはみすゞさんのお母さん・ミチさんの姿が重なります。
『雀』
もう1編、雀の詩です。みすゞさんの詩には雀が出てくる詩は沢山あります。仙崎を歩くと雀の姿を見かけます。きっとみすゞさんは雀が大好きだったんですね。それがよく伝わってくる詩です。そして町にある‘あたりまえ’な光景がいつもあること、雀がいる町、いろんな自然界の命が共に暮らしている日常、そのあたりまえが、本当に幸せなことなんだなぁと思う詩でもあります。

11月9日にご紹介した金子みすゞの詩

『わらい』
私はこの詩を読むと、なんだか、縁側に座るみすゞさんの姿が浮かんできます。一人誰にも言えない悩みなのか、さみしさがあって、涙がポトッと落ちる。その涙が、花火のように弾ける涙が、わらいの粒だったら、どんなにきれいだろうかとみすゞさんが想う。そんな気持ちになってしまうのです。詩の題名は『わらい』 だけど、さみしさに寄り添いたくなる、そんな詩です。

11月2日にご紹介した金子みすゞの詩

『どんぐり』
どんぐりを拾って持ち帰るのが楽しくて仕方ない様子ですが、帰り道、お花が沢山咲いている野原に出ると、今度は花に夢中になる。そうするうちに、最初のどんぐりが邪魔になって、どんぐりはとうとう全部捨ててしまう。子ども心は可愛いものです。こうした心移りは、いろんな場面であるでしょう。でもその子どもの好奇心の大きな変化を、大人はしっかり受け止めてあげたいですね。自分もきっとそうだったから。
『こおろぎ』
同じ秋の詩でも、今度はとてもシビアはクールな世界です。コオロギの足が片方もげている様子を、客観的に、秋の風景の一つのシーンとして描いています。金子みすゞさんのセンスの中には、一つ一つの奥にグッと寄り添う心と、自然界の摂理や真理をそのまま受け入れる、時に残酷なことも自然界の流れとして見つめている、そこに私たち人間の在り方が伝わってきます。私たちに必要なのは、その心の柔軟さと判断力なのかもしれません。

10月26日にご紹介した金子みすゞの詩

『落葉のカルタ』
自然界で繰り広げられるカルタ取り。この詩を読むととても楽しくなります。
落葉がカルタ、それも虫食いの跡を「虫くい流」という流派にしているみすゞさんのセンス。そして読み手は鳥で、カルタを取るのは風なんです。なんて素敵なカルタ取り。私もその仲間に入れてほしいような、それを見物していたいような。
みすゞさんのまなざしは、自然界をとても楽しんでいるように映ります。

10月19日にご紹介した金子みすゞの詩

『秋のおたより』
実りの秋と言いますが、この詩を読むと気づかされます。実りがあるのは、山で、町は木々の葉っぱも枯れ、鳥もどこかへいなくなり、町の自然界はさみしくなる。山から町へのおたよりと、町から山へのおたよりで、随分秋の感じ方が違うこと。みすゞさんは私たちにいつも、日常の忘れそうなことに気づかせてくれます。

10月12日にご紹介した金子みすゞの詩

『梨の芯』
梨の芯をどう食べるのか、そう捨てるのか。人間側からすると、ちゃんとゴミ箱に捨てることが一番良いとされます。そのへんに捨てたりは、お行儀の悪いこと。
でも、蟻からしてみると、そこらへ放り投げて捨てたおかげで、自分たちの食料にありつける。そんな蟻に感謝される投げ捨てた子ども。皮肉なものです。みすゞさんはこうした目線もあって、それが面白いです。世の中は、皮肉なこともいっぱいあるんだよと、それを受け入れているみすゞさんの心の大きさ。心のゆとり。いいですね。遊び心があることって、なんだか心が穏やかになる気がします。今の時代に、とても大切なことかもしれません。

10月5日にご紹介した金子みすゞの詩

『木』の2編
金子みすゞさんの詩には、いくつか同じタイトルの詩が存在します。この『木』もそうです。みすゞさんにとって、詩のタイトルが同じだということは、さほど気にならないことなんですね。それだけ、その言葉が、その存在がシンプルに好きなんですね。同じタイトルになるからと言って、他の表現にはしたくない、そのままの響きが好きな気持ちを尊重しているのかもしれません。自分が「好きだ」という気持ちをそのまま素直に、いろんなことを気にせずストレートに表現する。気持ちの良い潔さです。
ぜひ、この2編それぞれを味わってみてください。

9月28日にご紹介した金子みすゞの詩

『空いろの花』
ニューアルバムに収録した詩のひとつですが、私にとってこの詩は自分の活動に背中を押してくれる大切な詩です。「自分の見つめてきたものを信じて、大切に思っているものを信じてそのまま、続けていきなさい」そう聞こえてくるんです。地位や名声よりも大切なものがある。本物を、本質を見つめる姿。これが金子みすゞさんの優しさと強さだと思います。

9月21日にご紹介した金子みすゞの詩

『秋日和』
初秋の日本の大好きな光景のひとつに、稲刈りされた田んぼの風景があります。金子みすゞさんもとても好きだったようです。この詩は、秋晴れの空に、刈られた稲が干され、街道を稲積んだ車が行く、そしてそこにモズが高鳴く。
なんとも素敵な日本の原風景がそこにあります。この詩を味わうと、「あぁ日本人でよかったな」そんな気持ちにもなるような世界です。モズのことを「もずきち」と呼んでいるこの愛称もまた、とても心がほっこりします。秋晴れの日、この詩を思い出してみてください。

9月14日にご紹介した金子みすゞの詩

『土』
金子みすゞさんのまなざしは、日頃私たちが忘れている存在にも、全てに同じように眼差しを向けています。耕される畑の土、道路の土、人間の営みに関係する土はみんな気にかけますが、ほったらかしの自然界の土は「要らない土」か?と問います。そしてそれは「いえいえ、それは、名のない草のお宿をするよ。」と。
なんて、素敵な優しい眼差しでしょう。私達の世界に、要らないものは何もない、みんな関係し合って生きている。その思いが広がる詩です。

『土と草』
ニューアルバムに収録した詩のひとつです。これも、土は草を育てたら自分の姿は見えなくなるのに、それでも草を育む土を詠っています。表に見える成長する姿の裏に、見えなくても支える存在がある。物事全てそのバランスがあります。大切な見つめ方、生き方、ですね。

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