『紙の星』
クリスマスの時期に入院をしていた子どもがいたんだな、と、病室に残るクリスマスの紙飾りの跡から想う、切ないクリスマスの残像の詩。リスナーさんから、自分が子どもの頃に入院をしていた時期の切ない思いを思い出すとメッセージをいただきました。実は私もちょうど小学5年生の12月に1ヵ月入院をしていたので、この詩は私も当時を思い出す詩です。いつも、見えないところで、知らないところで、華やかな光あふれる世界の影に、いろんな切ない場面もあることを、私たちは忘れないで、心を寄せられる人でありたいですね。光と影を両方を見つめられる心こそ、本当の温かい心の灯だと思います。
『白い帽子』
寒い季節になると思い出す、大好きな詩のひとつです。お気に入りの帽子を失くしてしまいますが、潔くあきらめるその心には、その帽子がせっかくだから、どこかの何かの役に立つ帽子であってほしいという願いがあります。自分の元を離れても、その物の幸せを、それを手にした人の幸せを願う愛情。この心根がとても素敵なのです。
『空いろの花』
今週は歌のリクエストをいただいた詩を朗読でもご紹介しました。この詩は私が初めて金子みすゞさんの詩に出会った年、最初の8編に曲をつけた中の1編です。ずっと空を見続けている女の子はいつしか空いろの花になったお話。その花にみすゞさんが話しかけます。あなたはどんなに偉い博士よりも本当の空を知っていると。有名ではなくても、本当の空を見つめている存在をちゃんと見つめて、認めてくれているみすゞさん。私はその眼差しに心を救われました。自分の音楽への思いを信じて貫いて頑張っていこうと決心することが出来ました。この詩は、自己肯定感を高めてくれる、救いの詩です。
『こだまでしょうか』
14年前の東日本大震災の直後、企業CMが自粛された時期に、一日に何度も流れたACジャパンのCM。偶然にもその時のCMが、金子みすゞさんの詩「こだまでしょうか」を朗読している作品でした。
それがきっかけでみすゞさんの詩を初めて知った、という方も少なくありませんが、あの頃特に、被災地の方々に心を寄せる全国の心の動きに、ぴったり寄り添ったのがこの詩でした。
こだまのように響き合う私たちの心と心。思いやり、優しさ、温もり、それを自分から差し出すことで、相手にも伝わり、そして相手から自分にもその眼差しが返ってくる。その人と人の心の繋がりの原点を伝えてくれる詩です。
今世界16ヶ国語に広がるみすゞさんの詩。これからも、世界中の人たちとこだまし合ってゆくことでしょう。
『お祖母様と浄瑠璃』
金子みすゞさんの実家では、子守歌がわりに浄瑠璃を聞かせていたというエピソードが残っています。この詩を味わうと、みすゞさんが浄瑠璃を懐かしく想い出している様子がとてもよく伝わってきます。
私たち一人ひとりの記憶の中には、こうした懐かしく思い出すものの中に、温かい気持ちになるものもあれば、どこか切なくなるものもありますが、この詩に溢れる切なさがまた、美しく描写されていて、切なさが美しく溶けていく様は、とても綺麗な世界に感じます。みすゞさんの心は、切なささえも美しい。でもそれが、この自然界の本当の姿かもしれませんね。
『金魚のお墓』
金魚すくいですくった金魚を飼った方も多いでしょう。亡くなった金魚が、土の中で何を思っているかという内容なんですが、懐かしい池ののどかな様子を目にうかべ、そして土の中で、魂は土の上に降るしぐれの音を聞いていて、そして、最後には金魚屋さんでいっしょにいた、むかしの友達を想っていると。なんとも、美しく切ない詩でしょうか。金子みすゞさんの詩に触れると、日頃の雑雑とした空気がすーっと綺麗に浄化されるような、そんな気持ちになります。
『雀のかあさん』
コンサートでは朗読でお届けする詩もあるんですが、その1編でもあります。人間側と雀側で、同じ出来事でも全く感じ方が違うシーン。この詩は、その一つの出来事も立場が変わると状況は全く違うことになることを伝えてくれます。特にこの詩はお子さんをもつお母さんやお父さんが心寄せる詩でもあります。みすゞさんのお母さんがいつも大切にしていたのがこの眼差し「ひとつの事をいろんな角度から見つめなさい」でした。512編を味わうと、その背景にはみすゞさんのお母さん・ミチさんの姿が重なります。
『雀』
もう1編、雀の詩です。みすゞさんの詩には雀が出てくる詩は沢山あります。仙崎を歩くと雀の姿を見かけます。きっとみすゞさんは雀が大好きだったんですね。それがよく伝わってくる詩です。そして町にある‘あたりまえ’な光景がいつもあること、雀がいる町、いろんな自然界の命が共に暮らしている日常、そのあたりまえが、本当に幸せなことなんだなぁと思う詩でもあります。
『わらい』
私はこの詩を読むと、なんだか、縁側に座るみすゞさんの姿が浮かんできます。一人誰にも言えない悩みなのか、さみしさがあって、涙がポトッと落ちる。その涙が、花火のように弾ける涙が、わらいの粒だったら、どんなにきれいだろうかとみすゞさんが想う。そんな気持ちになってしまうのです。詩の題名は『わらい』 だけど、さみしさに寄り添いたくなる、そんな詩です。
『どんぐり』
どんぐりを拾って持ち帰るのが楽しくて仕方ない様子ですが、帰り道、お花が沢山咲いている野原に出ると、今度は花に夢中になる。そうするうちに、最初のどんぐりが邪魔になって、どんぐりはとうとう全部捨ててしまう。子ども心は可愛いものです。こうした心移りは、いろんな場面であるでしょう。でもその子どもの好奇心の大きな変化を、大人はしっかり受け止めてあげたいですね。自分もきっとそうだったから。
『こおろぎ』
同じ秋の詩でも、今度はとてもシビアはクールな世界です。コオロギの足が片方もげている様子を、客観的に、秋の風景の一つのシーンとして描いています。金子みすゞさんのセンスの中には、一つ一つの奥にグッと寄り添う心と、自然界の摂理や真理をそのまま受け入れる、時に残酷なことも自然界の流れとして見つめている、そこに私たち人間の在り方が伝わってきます。私たちに必要なのは、その心の柔軟さと判断力なのかもしれません。
『落葉のカルタ』
自然界で繰り広げられるカルタ取り。この詩を読むととても楽しくなります。
落葉がカルタ、それも虫食いの跡を「虫くい流」という流派にしているみすゞさんのセンス。そして読み手は鳥で、カルタを取るのは風なんです。なんて素敵なカルタ取り。私もその仲間に入れてほしいような、それを見物していたいような。
みすゞさんのまなざしは、自然界をとても楽しんでいるように映ります。