NO.149 スパルタンXとともに…

2009年6月15日 カテゴリ:ダメだコリャ

三沢が帰らぬ人となってから二日たった。
昨日今朝と三沢の突然の死を伝えるテレビ新聞を
いくら見ても信じられない。あまりにも突然すぎる。
なぜ。嘘だろ。
 
団体のために二代目タイガーのマスクを脱ぎ、
鶴田超えしていく様に僕は惚れた。
いつでもどこでも全力で戦う生き方に勇気を貰ってきた。
そして、三沢時代を伝える若林・福沢氏の実況に胸を熱くし
自分もプロレスを喋りたいと思った。
 
マスクを脱いだ三沢は強く、激しく、かっこ良い。
かつて福沢氏が表現したようにまさに「飛べるヘビー級」。
地方会場でもどこでも手を抜かない
明るく激しいプロレスで新しいプロレスを作った。
超世代軍、エルボー、タイガースープレックス、ダイビングエルボー、
タイガードライバー、フェースロック、そして鶴田超え。
三冠王座、ノア設立、エメラルドフロージョン。
馬場イズムを継承しながら新しいプロレス・ノアを作った男。
その旗手がこの世を去った。
 
入社2年目の6月、三沢さんに初めて合った。
三沢さん33才の誕生日直前だった。
KRY4階第2スタジオでラジオインタビュー。
めちゃくちゃ嬉しかった。嬉しすぎた。
三冠戦の激闘で目を傷めていた。でも、笑顔。
僕はポケットマネーでケーキを用意した。
そのケーキには「33と輝けファイヤー!!」とチョコの文字。
照れながらも喜んで食べてくれた。
ファ○コンの全日本プロレスゲームで
三沢さんが操る三沢対僕が操るハンセンを実況し、
それを放送した。思わず僕が勝ってしまった。
でも、三沢さんは笑顔だった。
めちゃくちゃ楽しかった。
 
以来、取材マイクを向ける度に
「高橋君、また来たの!?」と笑顔で答えてくれた。
98年サマーアクションシリーズ徳山大会で、
三沢さんの試合を実況。
高山と初対決の6人タッグマッチ。夢のまた夢だった。
試合前、緊張ガチガチの僕に
「それじゃぁ喋れないよ、肩の力抜けよ」と
変わらぬ笑顔で声をかけてくれた。その人柄も大好きだった。
 
相手の技を受けきり、相手の魅力をすべて引き出した上で
自分の決め技で勝つのが三沢光晴の戦い方。
 
受身・・・。
 
かつて三沢さんは放送外でこんなことを話してくれていた。
「技っていうのは受身が進化しないと技も進化していかないんだよ。
 だから初めてくらう技はとても怖い。
 一度喰らえばその受身が進化していく。
 さらに、大技というのはこいつなら出しても大丈夫、
 出すしか勝つ術はないという
 ある意味信頼感がないと出せない、出さないんだ」と。
 
その受身の天才・三沢が技を喰らって、
そのまま帰らぬ人となってしまった。
なぜ。しかも、基本中の基本であるバックドロップで。
それほど激しい技だったのか。
それとも、ダメージの蓄積があったのか・・・。
来てくれるファンのために無理をしての出場だったのか。
考えても考えても答えは出ない。
 
試合会場に行って、スパルタンXの曲が流れ始めると胸がトキメキ、
リズムに合わせて「みさわみさわ」と叫ぶと勇気が沸いた。
タイガースープレックスにしびれた。
怒りの炎のエルボーに本当の怖さを覚えた。
 
その夜も、小橋建太、高山善廣と、それぞれ癌、脳梗塞を克服して
僕達に勇気を与えてくれているレスラーが戦っていた。
二人は本当に生死の狭間からリングに帰って来た男だ。
だから、三沢も大丈夫、絶対そんなことはないと信じていたのだが…。
 
見に来てくれるお客さんがいるから--。いつでも全力。
靭帯が切れるとか膝が壊れるなら試合をやめられただろう。
でも、首や頭の変調だと無理をしてしまう。
4月で日テレ系の地上波での中継が打ち切りとなり、
試合でなんとか盛り上げなければ…という意識もあったのであろう。
 
信じたくない。
目をつぶる。
スパルタンXとともに三沢が武道館のリングに入ってくる…。颯爽と…。
 
三沢さん、ゆっくり休んで下さい。
本当にありがとう。