2009年1月 アーカイブ

NO.126 引退への花道

2009年1月30日 カテゴリ:ダメだコリャ

大寒波の中行われた第72回中国山口駅伝競走大会。
宇部のスタート時から大吹雪、
山口市に入ると沿道の積雪が一気に増え雪国のような景色、
風も強くなり雪が真横に吹き付ける…
ランナーにとっては速さだけでなく
自然と闘う強さも求められた大会だった。
 
その強さを前面に見せてくれたのが
一般の部で優勝した中国電力。
2位のJFEスチールに大差をつけての2連覇だったが、
そこには感謝のタスキリレーがあった。
 
『アンカーの田中俊也の引退花道のために
               少しでもタイムを稼ぎたい』。
 
今大会7区のロードで7年間の実業団競技生活に
ピリオドを打つ田中俊也29歳。
彼は先輩からも後輩からも慕われてきた存在。
五輪や世界陸上に出場した多くの代表ランナーから
「練習パートナー」を頼まれ、その役目を実直に務めてきたと言う。
当然、チーム内競争が激しい中国電力だから、
各区間を任されたランナーはそれぞれ結果を出さなければならない。
だが、それ以上に「田中への感謝」は強かったはずと思う。
 
1区担当の新井は田中と同期入社で
高校時代から良きライバルとして凌ぎを削ってきた仲。
この中国山口駅伝98年大会、新井が報徳学園で1区を走り
高校区間新記録をマークした時、
田中も世羅のエースとして走り区間記録を更新し2位に入った。
「友である田中のために。」
今大会、新井は意地の区間1位で良い流れを作った。
 
3区担当はかつて練習パートナーを依頼した佐藤敦之。
ニューイヤー駅伝・都道府県対抗男子駅伝に続いて
今月3試合目だったが疲れも見せず、
吹雪を切り裂く驚異の走りで区間新記録の快走。
2位とのリードを一気に広げた。
 
皆それぞれの気持ちがタスキに託され、
いよいよアンカー田中俊也に渡される。
第6中継所で田中はより入念にアップを繰り返していたと、
中継所担当の渡辺アナがレース後振り返っていた。
「皆の気持ちを受けたタスキをトップでフィニッシュに運ぶ、
 何が何でもゴールテープを切る…」、
そんな気持ちの表れなのだろう。
 
いよいよアンカー田中が6区担当の尾崎からタスキを受け
7区に飛び出した。そのタスキには6人だけでなく
中国電力のメンバー全員の気持ちが託されているだろう。
2位との差は2分あまり。独走での最後のロード。
確実に一歩一歩、前に、力強く、フィニッシュへ進む。
途中、沿道から奥様と2人の子供の応援もあったという。
周南市上空はこれまでの頑張りを祝福するような青空。
その様を1号車から実況した。
そして、独走のまま大観衆が待ち構える
フィニッシュ地点・周南市役所前に現れた。
残り直線300m、声援に後押しされるように
田中のピッチがさらに上がる。
フィニッシュテープの先には中国電力の仲間が笑顔で待っている。
1区田中、3区佐藤はもちろん、
世界陸上で練習パートナーを依頼した尾方の姿もあった
(実は1ヶ月前の防府読売マラソンには油谷家族が応援に来ていた)。
仲間の姿を確認したからなのか、田中の表情が崩れ始める。
そして、胸の中国電力のロゴを握りしめ
両手でガッツポーズしながらフィニッシュ!!
勇退ロードは力強い素晴らしい走りだった。
2連覇の喜び、そして、田中への感謝の気持ち。
周南市役所には彼を胴上げする掛け声が響いていた。
 
田中俊也選手、本当にお疲れさまでした。

NO.125 それぞれの願い

2009年1月 6日 カテゴリ:ダメだコリャ

僕の初仕事は1月4日(日)。
下関市内でいろいろな方々に今年の抱負を訊いて回った。
神社、デパート、駅。
年が明けても暗いニュースばかり流れているが、
街行く人たちの表情は明るかった。
 
お孫さんを抱っこした笑顔のおじいちゃんとその大家族、
とても80才には見えない若々しいおばあちゃん、
買い物にやってきた親子3人家族、
関門海峡を眺めるカップル、
子供二人とご主人の実家に大阪から里帰りしてきたママさん、
仲良し女子中学生5人組、正月も働くタクシー運転手…。
それぞれ「健康で」「幸せに」「仲良く」
「景気が良くなるように」「勉強と部活の両立」と
笑顔で願いや抱負を答えてくれた。
 
そんな中、新下関駅で素敵な女性と出合った。
夢を目指し東京で働く20代。
スタイルもルックスも笑顔も抜群のいわゆるベッピンさん。
見送りに母と妹が来ていた。
彼女の夢はアーティスト・歌手になること。
学校卒業後、一度は就職したが夢を諦めきれず
東京に出て働きながら養成スクールに通って1年。
母親は本音を言えば心配であるし、
やはり安定した仕事に就いてほしいとも考える、
でもどうしてもかなえたい夢だから応援すると…。
娘も、一歩踏み出したからには必ず夢を掴みたいと。
希望に燃えた瞳は眩しいくらいだった。
時が経って今回のインタビュー映像が
「超お宝映像」になる日を願う。がんばれ!!