2009年3月 アーカイブ

NO.134 プロレス

2009年3月30日 カテゴリ:ダメだコリャ

プロレス中継が、KRYの、日本テレビ系列の地上波から消える。
昨日の放送をもって地上波の放送が終了し、
日テレのCS放送「G+」での放送のみとなってしまった。
なんとも悲しい、口惜しいことだ。
 
「プロレスを実況したい」
それが僕のアナウンサーへの憧れの第一歩だった。
その夢が叶った舞台も全日本プロレス中継だった。
1996年&1998年の二度、
徳山市体育館でのTVマッチで実況。夢の舞台だった。
 
子供の頃からTVで体育館で、さまざまな夢を見て勇気を貰ってきた。
力道山から始まったプロレス中継の歴史、馬場猪木、
全日本プロレス旗揚げ、馬場の黄金時代、
マスカラスのスカイハイ、ファンクス兄弟、
天龍・ブロディ・ハンセン・鶴田による三冠統一の攻防、
ロードウォリアーズの衝撃の強さ、
二代目タイガーのマスクを脱いだ三沢、
そこから始まった超世代軍・四天王の地方でも
全く手を抜かないプロレス、鶴田の無尽蔵の強さ、
福沢アナのジャストミート!&ププププロレスニュース、
明るく楽しく激しいプロレス、
永源のつば攻撃、ラッシャーのマイク、三沢の鶴田越え、
三沢vs.川田の名勝負、小橋のムーンサルト、
東京ドーム、馬場さんの還暦プロレスと死、
ノアの方舟の新たな出発、ノア中継スタート、
GHCを巡る攻防、秋山の輝き、
絶対王者・小橋誕生、その小橋の癌からの復活、
そして期待される新たな世代交代…と、
そこには常に夢・希望・未来がある。
それが、地上波で無料で「ただで」見られなくなる。
と言う事は一般の視聴者の目に触れる機会がなくなる。
これは恐ろしいことだ。
かつて、視聴率低迷から深夜枠に移動した時。
誰にでも分かりやすい中継演出をした事と
若手レスラーの魅力も加わり、
夜中のザッピング族のリモコンの手を止め、
若い世代や女性陣に新たなファン層を開拓した経緯があった。
見たい人は『G+』で見ればいいじゃないか。
そう考えるかもしれないが、
一般の視聴者の目に触れる機会がなければ、
どんどん、マニア化してしまうのだ。
マニアの存在は当然必要だ、だが、
それ以上に一般のファンの裾野の広がりがないと
業界の発展は望めない。
 
TVで観たそのワクワク感があるから
山口に試合が組まれた時、体育館に行きたくなる。
それをマニアだけでない、
より多くの一般のファンに繋げるためにも
地上波中継は残すべきなのだ。
 
中継が深夜枠に移ってからは、
日曜日の深夜「日テレドキュメント」の後の放送だった。
遅い時は深夜2時を回ることもあるが、
僕はその遅い時間帯で見るのが楽しかった。
レスラーたちの心底熱い戦い、生き方を見て勇気を元気を貰い
「あぁ、また明日からも一週間頑張ろう」と
月曜日を迎えていたからだった。
 
その地上波がKRYから日テレ系列から消える。
一度消えたものを元に戻すのは並大抵のことでは難しいと思う。
でも、悲観してばかりではいけない。
昨日の地上波ラストの放送でも、
次代のエース候補・潮崎豪の未来が語られていた。
今もプロレスそのものの迫力、魅力、期待感は変わっていない。
 
地上波で観られないなら、もっと体育館に足を運ぶ。
そして、雑誌、DVD、そして『G+』…
あらゆるものから勇気を貰おうと思う。
再び、地上波に復活する日を夢見て。

NO.133 ピンチヒッター

2009年3月17日 カテゴリ:ダメだコリャ

3日前の土曜日に行われた山口きららマウントGの交流戦。
ちょっと気温は低目だったが熱戦が展開され、
防府市スポーツセンター野球場は大歓声に包まれた。
総監督を務める我らが山本譲二さんの熱唱はもちろんのこと、
特別ゲストの松村邦洋さんとの絡みも楽しかった。
 
そして、この日のハイライト。マウントG最後の攻撃。
 
『ピンチヒッター、松村邦洋』と場内アナウンス。
 
川藤幸三のものまねをしながら
ベンチから松村さんが飛び出してきた。
譲二さんに促され取材カメラの前で素振りを三回
『ブン、ブン、ブン』速いヘッドスピード。
でも、自分で『ブンブン』言っているところがかわいい。
さぁ、いよいよバッターボックス。
何でも田布施農業高校軟式野球部時代の
打撃成績は4年間で猛打賞…
つまり4年間でヒット3本しか打っていないとのこと。
2ストライクと追い込まれてからファールで粘る、粘る。
そのたびに「おおぉぉ」と大歓声。
だんだんタイミングが合ってきた。
そして、次の投球をピッチャーが投げた…打った!!
真で捉えた打球は速いライナーで二遊間へ、抜けたぁぁ…。
懸命に一塁に走る松村選手。果たしてその結果は!?
この続きは今日の熱血テレビでお楽しみに!!
 
いやぁ、それにしてもいい当たりだった。
打席の後、自らのバッティングを
掛布さんで解説していたのもオモロかったなぁぁ。

NO.132 ブルトレが紡ぐ縁

2009年3月13日 カテゴリ:ダメだコリャ

JRの寝台特急ブルートレインが今日の出発を最後に引退となる。
僕はマニアではないがこの寝台特急はよく乗った。
山口~東京までは10時間以上、新幹線とは
くらべものにならないくらい時間がかかるが、
その時間が楽しいのだ。ビール片手に
新聞・雑誌・本を読み、時折車窓を眺め「ぼーっ」とする。
このゆったりした時間の流れがたまらなく好きだった。
 
今から16年前。
はじめて徳山に来たのは大学4年のアナウンサー試験の時。
寝台列車で行った。B寝台に乗り込んですぐ、
車掌さんに“翌朝起こしてもらえるよう”頼んでいた所、
隣の座席のおじ様が
『徳山の手前で降りるから起こしましょう』と声を掛けてくれた。
笑顔のやさしい紳士だった。
それがきっかけでビールをご馳走になり、
寝るまでいろんな話をした。
東京出身の事、アナウンサー試験の事、山口のこと。
おじ様は関東に勤めていて、定年直前の数年間、
地元山口で働くための段取りをしに光に向かう出張だった。
翌朝別れ際に、もしアナウンサーになって
山口に住むことになったら連絡を…と名刺をいただいた。
入社が決まり山口に引越して来た僕は、
その連絡先にハガキを出した。
 
しばらくして――。
入社3ヶ月、研修期間が過ぎ、
テレビニュースの初鳴きを終えた頃だった。
そのおじ様からウィスキーが届いた。
『デビューおめでとう。観ていますよ』というカードとともに…。
それは新入社員の僕には買えないような高級酒。
嬉しかった。少しずつちびりちびり飲んだ。
以来、おじ様との賀状のやりとりは、今も続いている。
これもブルトレが紡いだ縁である。

NO.131 一緒に笑える瞬間

2009年3月 4日 カテゴリ:ダメだコリャ

昨日3月3日は民放ラジオの日。
 
10年ほど前のラジオの思い出。
車に乗って交差点の先頭で信号待ちをしていた時のこと。
ルームミラー越しに後ろの車の運転席にいる
40才くらいのオジサンを見ていたら、
なんと僕と同じタイミングで笑うのだ。
次のボケでも同時に笑った。
どうやら、僕はオジサンと同じラジオ番組を聴いているらしい。
 
土曜午後4時、独占娯楽の時間
「Swing Saturdayねぎって行こう!」だった。
番組冒頭から鈴木クミさんのボケが連発しまくり、
すべて後ろのオジサンと同時に笑っていた。
やはり雪彦さんとのボケ&ツッコミは神業レベルだ。
次々と重なるボケにやられた僕は涙を流し腹もよじれた。
後ろのオジサンの体も大揺れ、相当やられたようだ。
5発目のボケが炸裂した所で信号が青に変わり2台の車は別れたが、
あの信号待ちの時間はなんとも心地よく、不思議な連帯感を覚えた。
この誰かと繋がっている感覚はラジオの大きな魅力・武器だと思う。
 
携帯音楽プレーヤー全盛の今、この番組を通じて繋がる感覚を、
ひとりでも多くの山口の人たちに知ってもらいたい。
特に10代の若い人たちがこの感覚を体感する機会が増えれば、
ラジオの未来はどんどん開けて行けると思う。
 
あれ以来、僕は信号待ちで止まると
いつも後ろのドライバーの表情を伺って、
一緒に笑える瞬間を探している。

NO.130 我らが熱血ファミリー

2009年3月 3日 カテゴリ:ダメだコリャ

昨日の熱血テレビのゲスト、あさみちゆきさん。
新曲をスタジオで弾き語りで熱唱してくれた。
前日のルネッサ長門でのコンサートも大盛況、
来年のルネッサでの開催もすでに決定したと言う。
歌はもちろんのこと、トークもはずみ楽しい1時間になった。
 
ちゆきさんがゲストの日は、いつもメイク室に
ちゆきさんの歌声が隣の楽屋から流れてくる。
そう、ちゆきさんは、いつも本番直前まで
楽屋でギター弾きながら発声しているのだ。
その日唄う歌はもちろん彼女の持ち歌を大音量で歌い、
歌声とギターの調整をしている。
隣のメイク室にいる僕たちにとっては、さながら特等席な気分。
リハーサルが終わった後も続く。全く手を抜かないのだ。
 
先月ゲスト出演した我らが山本譲二さんからいただいたアドバイス。
熱血テレビは毎日放送があるけど、
高橋君は毎日毎日全力で勝負しているか!?
自分はどのステージでも全力で勝負している。
常にお客さんに感謝し、楽しんでいただかないと。
慣れちゃいけない。惰性になっていないか自問自答するんだ。
 
「手を抜かない」「全力で勝負する」
2人の姿勢を常に心掛けていきたい。
 
ちゆきさんの新曲は父娘の絆、譲二さんの新曲は夫婦の絆がテーマ。
どちらも心に深く染み入ります。いい曲です。
我らが熱血ファミリー(勝手にメンバーにしちゃっているけど)
の2人の新曲の応援をよろしくお願いします!!