ご昭和ください ブログ
昭和の肩 PART2
2021年02月07日
昭和46年生まれ49歳、高橋裕です。
今週のテーマは「昭和の肩 PART2」で30分。
昭和の肩といえば、私は「某・国民的肩凝り塗り薬」のCMを思い出します。
モデルの若い女性が真っ裸の状態で肩に薬を塗るシーンがちょっとHで、私も目がハートになるくらい、このシーンを興味深く見ていました。
自分も髙橋さんと同じで撫で肩で、いかり肩の人間に憧れていました。いかり肩と聞いて真っ先に思い出すのが、巨人にいた髙橋一三投手です、まさにハンガーと呼ばれて絵に描いた様ないかり肩でした、投球ホームもダイナミックで剛球だったですね。
最近では余り見掛けなくなりましたが、私が小さい頃はよく父親に肩車をして貰っていました。父は背が高かったので、少し怖いくらい見晴らしが良かったです。
おまけがもう1つあり、人混みで親とはぐれた時は、慌てることなく一旦人混みから離れて見渡すと、昭和4年生まれで172センチの父は、他の人と頭一つ飛び出して目立つので、父親の方角を目指して人混みをかき分けて行くと、父の元にたどり着けていました。
お爺ちゃん、お婆ちゃんの家にいたとき、子供の私は薬袋の様な袋に入っているモグサをちぎって、1回分ずつに丸めて、お灸の準備をするのを手伝いました。
出来たら、肩や腰にあるお灸の後にモグサを置いて、線香で火をつけます。大きさがちょうど良いといいのですが、大きく作り過ぎて熱くなって、除けてと言われる時は困ります。
お爺ちゃん、お婆ちゃんは農家、そうやってお米や野菜を作ってくれたんだな~と思います。
悪い子したら、やいとするよ!と言われるのは怖かったけどね…。
肩といえば四十肩や脱臼を思い浮かべますが、父は腱板断裂(けんばんだんれつ)という怪我でした。平たく言うと、肩甲骨と上腕骨をつなぐ腱が切れてしまい、腕が上がらなくなったのです。
手術はせずに、長い間右腕を上に上げて石膏で固定していました。ちょうど、ジャイアント馬場がチョップをしようと腕を振り上げた状態で固めたようなものでした。
実は私も数年前に転んだ時に腕をつき、肩の痛みで夜眠れなくなりました。MRIで検査の結果、腱板断裂と診断され、内視鏡手術を受けました。布製のギプスを1か月間つけ、リハビリで元どおりに動かせるようになりました。
最近、腕を上げるたびに肩の中でゴリゴリと音がするようになり、また検査に行こうと思っています。
さて、次週2/14のテーマは「昭和のW(ダブル)」。昭和は「ダブル」という言葉が好きですよね~。
ウィスキーのダブル、1号2号のWライダー、Wソース、Wけんじ、ダブルプレー、ダブルバーガー、ダブルアームスープレックス、ダブルリーチetc.
ダブルフォルトをやってしまった時の胸が押しつぶされる嫌~な感覚を思い出してしまった・・・。
来週は「昭和のW(ダブル)」でお待ちしております!
さて、以前、「ZOOM」を使ってやきそばかおるさんにインタビューを受けました、雑誌テレビブロスのweb版「テレビブロスnote」のラジオ番組紹介がUPされています!
懐事情を言いますと、「ご昭和くださいはヒット数が違うの~」と編集部から言っていただきたいなぁ。皆様、YouTube動画とともに、どうぞ、ご覧くださいませ。