ご昭和ください

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昭和の寿司 PART2

2020年12月06日

昭和46年生まれ49歳、高橋裕です。
 
今週は「昭和の寿司PART2」で30分。
 
 
今週のテーマを聞き、コレは是非投稿しなければ!と恥ずかしながら、初メールした次第です。
わたくしは今現在周南市で、寿司屋を営んでおります、現役の寿司職人でございます。父の代からお店がありますので、創業50年にはなろうかと思います。
その父に店を始めた頃の寿司一人前の値段を聞いてみたところ、220円だったそうです。巻寿司一本80円、かっぱ巻きなどの細巻き40円だったそうです。今では考えられない、値段ですね。
値段もさる事ながら、徳山が最盛期の頃は、朝の5時頃まで営業した事もざらにあったとの事です。最近では寿司折をぶらぶらぶら下げる、千鳥足のおじさんも全く見なくなりました!
古き良き昭和の時代でしたねぇ~っ!
 
昭和の寿司で思い出すのは、昭和58年高校を卒業し自衛隊に入隊する前日に、父に2人だけで寿司屋さんに連れて行ってもらったことです。
後にも先にも父と2人で寿司屋さんに行ったのはあれが最初で最後でした。父は、口数の少ない人だったので何も言いませんでしたが、「長い人生これから頑張れよ!!」のメッセージだったと思います。
その無言の激励のお陰で無事、定年まで勤め上げ在職中に父を見送ることもでき、今でも2人で行った寿司屋さんのことは良い思い出です。
 
昭和58年のこと。
東京に就職して間もない頃、配属になった部署の部長が入社祝いになんと銀座の超高級寿司屋に連れて行ってくれたんです。
お値段「2貫で5,000円」。芸能人や政治家・財界人御用達の店でした。
そんな高級寿司なんてもちろん食べたことがありません。部長に感謝しつつ私は期待値MAXで口に運びました。どんなに美味しいんだろう…。
…が、確かに美味しいのですが今ひとつ感動が無いんです。高すぎて味がわからない?いえ、そうではないんです。あとで気づいたことなのですが原因は私の舌にありました。
決して裕福ではなかった我が家では子供の頃から肉より安い魚。食卓に出てくるのは魚ばかり。しかし、そこは海の幸王国の山口県、新鮮な地元の魚ばかりを食べて育ってきたことで、私の舌はこと魚に関してだけは肥え、とても贅沢な舌になっていたのです。
部長がお祝いにと連れて行ってくれたお寿司屋さん。恐らく東京で手に入るネタとしては最高級のものだったのだと思います。しかしそれでも水揚げから時間が経っているため鮮度はどうしても落ちてしまいます。山口県で生まれたがために、魚に関しては知らず知らずのうちに「東京の高級ネタ以上のモノを日常普通に食べる」というとても贅沢な生活をしていたんですね。貧乏だったんだけどねぇ。
余談ですが、昭和の特撮モノでは「酔っ払って寿司折りをぶら下げて千鳥足で歩いているおじさん」は、もれなく怪獣・怪人・宇宙人に襲われるのがお約束でしたね。怖い怖い。
 
以前、山根さんが「東村山からのお便りを待ってもう3年」と仰っていた高橋さん。お待たせ致しました。東村山からお便り申し上げます。
「昭和の寿司」、昭和60年生まれの私に昭和の記憶は殆ど無いのですが、唯一残っているのは、先週のお話にも上がった、寿司の出前です。
当時住んでいた練馬区の大泉学園には、子供向けに新幹線(0系)を象った桶に入れてくれる寿司屋さんがありました。「出前の寿司」と「新幹線」、子供心にバシッと決まるダブルパンチでした。寿司より桶が楽しみだったのはここだけの話ですが、あのワクワク感は今でも忘れられません。
後に山口県で少年時代を過ごし、縁あってこうして東京へ戻って参りまして、その寿司屋さんを探しました。が、30年の月日はあまりに長く、随分と前に畳んでしまわれたようでした。ご健在なら「大将、あの新幹線の桶に握ってくれませんか?」とお願いしたかったなあ...
 
 
さて、次回12/13のテーマは「昭和の言い伝え、迷信、格言、家訓」で行きましょう。
「夜爪を切ると親の死に目に・・・」
「夜口笛を吹くと蛇が・・・」
「食べた後横になると牛に・・・」など、
親やじいちゃん・ばあちゃんから言われていた事は何でしたか?
高橋家の信子母ちゃんの格言「よそはよそ、うちはうち」。
 
次週は、皆さまのお家の「昭和の言い伝え、迷信、格言、家訓」でお待ちしています!