ご昭和ください

ご昭和ください ブログ

昭和の 寿司

2020年11月29日

昭和46年生まれ49歳、高橋裕です。

今週は「昭和の 寿司」で30分。

 

 

昭和のおすしと言えば、やっぱり、ばら寿司ですね。
それか巻き寿司。にぎりなんて、見たことも触ったことも
ありません(笑)。家で作るものでした。
ばら寿司では、すし酢を入れたあと混ぜる時に
団扇であおぐのをよく手伝わされました。
握り寿司とはちょっと違うかも知れませんが、
形が近い「バッテラ」は母が好きでよく買っていました。
高校生くらいの頃、親戚が集まった時に、
桶に入った握り寿司を見た時は感動しました。

 

昭和の寿司と言えば…回る寿司にしか縁のなかった私。
某自動車メーカーの営業マン時代に
お取引先の大会社の社長さんとお寿司屋に行く事に。
もちろん回らないお寿司屋。
引き戸をガラガラっと開け
「へいらっしゃい」とカウンターからの掛け声。
社長さんから
「今日はわしのおごりじゃ。なんでも好きなものを頼め」
と言われましたけど、見るからに高級な寿司屋、
値段がない、メニューもない、もう私の緊張はマックスに。
結局、私は何を食べたのかさえ覚えてなく。
とにかく、もう行く事はないであろう
高級寿司屋のお話でございました。

 

昭和53年、中3だった私は受験生。当時、宇部駅の山側に
「よしべい」という寿司屋がありました。
わたしは行ったことはありませんが、毎月1回ぐらい、
夜になると父と母がそのすし屋に行っていました。
今考えると給料日だったのかもしれません。
9時過ぎに玄関の戸が開く音が聞こえると、
2階からダッシュで降りていきました。
そう、お土産の握りずしが待っていたのでした。
酢でしめた、こはだが一番のお気に入りでした。
すべてを食べ終わると、再び2階に行き、勉強をしていました。

 

自分が子供の頃は寿司と言えばチラシ寿司、
いなり寿司、良くて巻き寿司でした。
テレビドラマなんかで、酔っぱらいのおじさんが
手土産に買って帰る握り寿司なんてものは、
まったく見たことがありませんでして、
夢の食べ物、それが握り寿司でした。
社会人になって暫くしてから、徳山にも回転寿司の店が出来て、
やっと握り寿司を食べる事が叶いました。

 

私が中学2年生(昭和56年)まで、
両親は下関市の商店街で紳士服店を経営していました。
お店は毎年12月に大売出しを行っていて、
その時(だけ)は大忙しでした。
その最終日は必ず近所のお寿司屋さんで握り寿司を注文して、
お店(店舗兼住宅)まで配達してもらっていました。
一人前ずつ桶に入って豪勢な雰囲気だった記憶があります。
両親は大忙しのため、ゆっくり食べる暇もなく、
私はお店の店員さん(1名)と一緒に握り寿司を食べていました。
子供の頃は、ウニやいくらよりも断然エビが大好きで
店員さんのエビ(2種あったような記憶)と
私のウニ&いくらを交換していました。
店員さんは「いいの?」って聞いてくれていたと思いますが、
私は断然エビの方がいい!!と言っていました。
今だったら、絶対にそのような交換はしませんね。
子供時代から一貫して好きなネタはぶりです。
今も大好きです。マグロよりぶりですね。

 

小学生の4年生位だったでしょうか。
家族で沼津港付近のお寿司屋さんへ。
当時から、生魚が嫌いなオイラ、高級だろうが廻ろうが、
お寿司は苦手。食べれるものと言えば、
かっぱ巻き、しんこ巻き、シーチキン巻き、いなり位。
寿司屋に行くのが苦痛で苦痛でして。
自分がなかなか食が進まない事に気付いたおかみさんが
オイラに言った一言。
「ラーメン食べる?
隣のラーメン屋さんのラーメン食べよっか!?」って
嬉しい一言ではありますが、子供ながらにお寿司屋さんに来て、
隣のラーメンを食べるなんて失礼な事は出来ないと
頑なに断った事を今でも思い出します。
今、思うと甘えておけば良かったですかね~!?
おかみさん、ご迷惑をお掛けしました。
今は、当時より少しだけ食べられます。

 

 

さて、次回12/6のテーマも「昭和の寿司」で行きましょう。
出前で寿司を頼んで家に届くまでの時間が待ち遠しかったなぁ。
回転寿司のマグロが向こう正面から流れてきて
「よし来た」と思ったら手前の客に取られた・・・etc.
まだまだあるはず「昭和の寿司」でお待ちしています!