ご昭和ください ブログ
昭和の ボール
2020年11月15日
昭和46年生まれ49歳、高橋裕です。
今週は「昭和の ボール」で30分。
小学生の頃は、遊びといえは、野球。
自転車のタイヤのリムに、常にボールを挟んで走っていました。
少年野球のチームにいたとき、
まずはカーブが投げたくて「野球入門」という本を見ると、
「風呂に入った時に湯船の中でボールを握り、
手首を振り、手首を柔らかくするようにしなさい」と
書いてありました。
軟式ボールは貴重でお風呂につけるなんてできませんから、
駄菓子屋さんで売っていた緑色のゴムボールを持ち込み、
真面目にやりつづけました。
そして、よく曲がるカーブを手に入れました。
もう20年ぐらい投げていませんが
今でも投げられる自信はあります!
私が5歳の頃、買ってもらったまりつきのボールは、
ピンク色で女の子っぽかったのに、
男の子向けのビッグエックスの絵が入っていました。
当時はまだ女の子向けのキャラクターが
少なかったのかもしれませんね。
手まり歌は「あんたがたどこさ」で、
「それを木の葉でちょっと隠す」のところで
ボールをスカートの中に入れていました。
小3の時に下関に転校したら、
「一銭切符、電車は速い、お客を乗せて、ご苦労さん」
という手まり歌で遊んでいました。
手まり歌の歌詞の通りに殺人事件が起こる映画
「悪魔の手毬唄」が上映されてから、手まり歌は
なんとなくおどろおどろしいイメージになった気がします。
昭和のボールと言えば、私が子供の頃に遊んだ
「スーパーボール」を思い出します。
私の兄が、お煎餅の入っていたけっこう大きめな缶の中に、
大・中・小の様々な大きさのスーパーボールを
コレクションしていて、私もよく一緒に遊びました。
色も蛍光色や透明で、中に金色や銀色の粒々が
入っているものなど様々でした。
縁日にもスーパーボールすくいがあったり、
子供がスーパーボールを手にすると、
不思議とワクワクしたような気がします。
そして私は、なぜかスーパーボールに鼻を近付けて、
ゴムの香りを嗅ぐのが好きでした。
私は、昭和のボールと言うとボールペンを思い出します。
昭和41年6月4日、入学したての山口市の中学校から
たった2か月で父親の転勤で広島市に転校しました。
その時に小学校の同級生10人位が
記念品に2500円位するパーカーのボールペンをくれました。
喜んだ私は、常にポケットにさして学校に通っていました。
ある日、クラスの女の子をからかったら
グランドを追いかけ回され、
逃げる内にボールペンを落としてしまいました。
職員室にも届け出ましたが、
高級ボールペン故届け出られることはなく、
私の手元には戻ってくることはありませんでした。
いやぁ、ボールって言っても、範囲は広いですね~。
いろいろあるわ~。
ということで、次週11/22も「昭和のボール」で行きましょう。
ビーチボール、手打ち野球、バンバンボールetc.
そういえば、子供の頃行ってた遊園地に
「バズーカ」という遊戯があって、
軟式ボールを詰めたバズーカから発射して遠くの的に当てる…
というのを好きで必ずやってましたね~。
次週も「昭和のボール」でお待ちしています!