ご昭和ください ブログ
昭和の透明
2025年09月28日
今週は「昭和の透明」で30分。
ちょっと書きにくいテーマかと思いきや、そこは我れがご昭和リスナーの皆様、たくさん寄せられました。
≪昭和29年生まれのリスナーさん≫
宇部の街中がとても賑やかだった頃。銀天街のアーケード横に建っていた「中央大和」(ちゅうおうだいわ)。そこには入り口横の外向けにエレベーターが設置されていまして、これが登り降りしながら外の景色が眺められる透明。まるで遊園地の乗り物に乗ったようでした。今でこそ珍しくありませんが初めて乗った時は感激しました。
≪54才のリスナーさん≫
私にとって昭和の透明は、スーパーカー消しゴムです。当時、20円のガチャで3cmぐらいのゴム製のスーパーカーが出てくるのですが、中には、透明なものも入っていて、それを引き当てただけでもテンションが上がっていました。
そして、中に“当たりの紙”が入ったカプセルを引き当てると、長さ10cmを超える特大のマツダサバンナRX-7の消しゴムがもらえました。私も一度だけ引き当ててもらったのが緑色の透明なタイプのものでみんなに自慢したのを覚えています。
≪昭和29年生まれのリスナーさん≫
小学校低学年の時、理科でヒヤシンスの水栽培をする為に球根を育てる容器を買って来なさいと言われました。ホームセンターなんて無い時代で、友達と少し離れた種物屋さんに行って、綺麗な色の青か緑色の容器を買って帰ると、その友達の親から「透明じゃないと根の観察ができないでしょ!」と言われて交換をしにいった悲しい思い出があります。
≪昭和29年生まれのリスナーさん≫
昭和の透明、それは喫茶店で飲むアイスコーヒーの中の透明な氷ですね。昔の冷蔵庫は、今みたいに自動で氷ができなくて、冷凍室で製氷皿で作っていて、水を一度沸騰させて作るといいとか、製氷皿の下に割り箸を置いとくといいとか言われたのでやってみても透明になりませんでした。
≪昭和34年生まれのリスナーさん≫
昭和の透明で思い出すのが、カセットテープの真ん中の透明な小窓です。カセットテープの出始めの頃はテープ残量がわかる最低限度の小窓でしたが、そのうちカセットの半分位が透明になり、終いにはケースが全部透明で、オープンリールテープの様なリールが丸見えのカセットテープがありました。
≪昭和44年生まれのリスナーさん≫
昭和の子供の透明と言えば、野球で遊んでいた時の「透明ランナー」です!!
小学生の頃、友達と野球をして遊んでいました。野球と言っても1チーム3人か4人ぐらい。キャッチャーは無しで盗塁も無し、守備位置は適当。野球と言うより、投手の投げた球をとにかく振る!!みたいな「野球ごっこ」でした。
そして、攻撃の時にランナーが出ると「透明ランナー」の出番でした。その後、今のは透明ランナーがアウト!とか、透明ランナーはセーフ!とか、そんな事を言い合ってました。勿論、審判など居ないので、お互い都合の良い判定。でも、真剣勝負ではなくお遊びでやっていたので、ケンカに発展するとかは無かったですね。
さて、次週10/5も「昭和の透明」で行きましょう。山根さんが言ってた「透明人間」はありゃぁ冬は寒いで~服着たら何処にいるかばれちゃうし、高橋少年は中学の頃、透明な下敷きカードケースに平凡ソングの切り抜きを入れてたetc昭和時代の「透明」にまつわるエピソードをお待ちしています!
そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日に更新しています!
https://www.youtube.com/watch?v=8r3FsKKq3jk
テーマは「昭和の応援」
高橋がお休みさせてもらった回でして、代打渡辺さんの魚肉ソーセージのビニールの見事な剥き技をご覧ください!