ご昭和ください

ご昭和ください ブログ

昭和のおじさんPART2

2020年05月31日

昭和46年生まれ48歳の高橋裕です。

今週は「昭和のおじさんPART2」で30分。

ドリフターズの加藤茶さんのおじさん役や
志村けんさんの「変なおじさん」が大好きです。
おじさんは、はらまきの中からおこづかいをくれました。
耳に煙草をはさんでいました。

うちの父親も腹巻きしてました!
必ず黒の腹巻きですが、金色・銀色・紫のラメが
それぞれ入っている腹巻きでした。
その中にタバコとか挟んでいたと思います。懐かしい~!!

小学生の時、私の家から小学校まで、
父の兄=おじさんちの家の前を通って登下校していました。
夕方、学校から家に向かって歩いて帰る時、
夏場は上半身は裸に腹巻とステテコ姿で、
家の前で腰掛けに座り、私を見ると
「みきやん今帰ったかね~」と話しかけてくれましたが、
友達数人と一緒に帰っていた私は、
下半身は下着1枚だけ履いていた時は
挨拶するのが恥ずかしかった記憶があります。
お小遣いをくれる時は、腹巻の中から千円札をくれたり、
お正月は腹巻からお年玉を出してくれました。
腹巻の中にはどれだけお金があるのか?
お金が落ちないのか?気になっていました。

小学校の学校の通い道に、「さようならおじさん」と
呼ばれているおじさんがいました。
下校時になると家の部屋の窓際に座って下校する
小学校のみんなに「さようなら」と声をかけてくれていました。
下校時はそのおじさんに会うのが楽しみでした。

小学5・6年の頃、父親にお使いを頼まれ、
よくタバコを買いに行っていました。
今だと子供のお使いとは言え、
タバコを買うなんてダメでしょうね。
行き先は同級生の所で、立ち飲みもやっている酒屋さんです。
親に頼まれての買い物なので、多分日曜日の昼間だと思います。
お店には昼間から立ち飲みして、
ワイワイ騒いでいる赤い顔のおじさん達。
僕が行くと「お使いかぁ、偉いな」と言いながら、
透明の四角い入れ物から、竹串に刺さったイカの
甘辛く味のついたのをくれたりしました。

小学校の頃、児童公園でゴムまりと棒切れを使って
野球をやっていると、フラリと現れ、
いつの間にか混ざって野球をしている
「野球じっこ」というおじさんがいました。
私は直接見たわけではないのですが、
近所の子供の間では噂になり、野球じっこの正体は
バカボンのパパだとか、
野球じっこの投げた球をホームランにした後、
駄菓子屋でビックリマンを買うとヘッドが当たるとか、
今でいうアマビエと座敷童子を足して2で割ったような、
縁起のいい妖怪みたいな扱いになっていました。
それから20年。
私が今の職場で働いて数年経った頃、
同僚の一人が、同じく同僚であるおじさんと、
こんな話をしていたのです。
「こいつ、昔は近所の子供らから『野球じっこ』と呼ばれてて、
よく児童公園で子供と野球やってたんだってよ」
なんと、あの伝説の野球じっこが、すぐ近くにいたのです!
野球じっこ本人は、
確かにバカボンパパ似の顔ではありましたが、
いたって普通のおじさんでした。
しかし年齢を逆算してみると、私が小学生だった頃、
野球じっこの歳は、30歳になるかならないかぐらい。
とてもおじさんとは呼べない年齢ですが、
昭和の頃って30歳はもちろん、早いと20代ぐらいから、
おじさんと呼ばれている人もいましたよね。
子供と一緒に遊んでくれるおじさんって、
親や先生には無い独特の面白さがあって、私は好きでした。

終戦直後の地域には、
子どもの世話をよくするおじさんがいたものです。
地域では、特攻帰りの気性の激しい人として
一目置かれる人でしたが、
子ども会の世話をしたり学校帰りの我ら子ども達に
よく声をかけたりしてくれていました。
遊水地の樋門の管理をしている人で、尊敬しておりました。
田布施川の潮が引くと土管の栓を抜き、
潮が満ち始めると栓をするのです。
潮の満ち引きは1日2回、40分ごとずれるので大変です。
大潮の夕方の満ち潮に、ふんどし1丁で
土管に栓をする勇ましい仕事ぶりをよく見学したものです。
潮が満ちてきて遊水地に入り始めると、
その吸い込む力を利用して、
わらで作った栓を腰まで水に浸かりながら
器用に栓をする姿には、惚れ惚れしたものです。
この池は海とつながっているので、
「ウナギ」や「どんこ」が沢山生息しておりました。
樋門を管理する人は、ウナギを捕る為に
竹のポンポツを池に沈めておりました。
さて、隣の柿は旨いものです。
いつも集団で遊ぶ昭和20年代の子ども達が、
この池のポンポツに目を付けない訳がありません。
2~3年生の見張りを付けて、頭の黒い高学年が池に入って、
ポンポツを上げ始めたのです。
ポンポツを斜めにして、手の間から水を出すと、
「おった!でかいのがおったぞ」
と、びくの中に捕まえたウナギを入れます。
十数匹捕まえて、凱旋し、みんなで分けたものです。
ある日突然、「来たぞ!逃げろ!」と見張りが叫ぶ。
みんな、蜘蛛の子を散らしたように逃げたのです。
ところが、とうとう見張りが捕まったのです。
逃げのびたみんなが集まり、如何するか協議し、
全員で謝りに行きました。
「断りなく採るのは、泥棒だっ!?捕らせてとお願いにくれば、
いくらでも捕らせてやるよ!
いいか、卑怯なことや悪いことは、絶対にするなよ!」
と優しく諭してくれたのです。
ウナギを採る手段は他にもいくらでもあったので、
それ以降、大好きなおじさんに迷惑を掛けることは
なかったです。

さて、次週6/7のテーマは「昭和のパン」で行きましょう。
以前、「昭和のパンク」や「パンに挟んだもの」は
テーマでやったと思うのですが、
「パンそのもの」はまだやっていなかったと思います。
残した給食のパンを机の引き出しに入れっぱなしにして・・・、
おばあちゃんは甘いコーヒーにトーストをつけて食べる、
お皿が貰えるシールが貼ってある食パンを買ってこいと
母ちゃんに指示されていた、
高橋少年は中学校の近くの店「ベル」の
揚げクリームパンが手に入った時は嬉しかったetc.
皆さんの昭和のパン話、お待ちしております!