ご昭和ください

ご昭和ください ブログ

昭和のアンテナ 2

2020年04月12日

昭和46年生まれ48歳の高橋裕です。

 

今週は「昭和のアンテナ」で30分。

昭和のアンテナといえば、
テレビのVHFアンテナは白黒用とカラー用とがあり、
白黒用はエレメントが白銀色で
給電部の後方にリフレクター(上下の反射器)のないタイプで、
カラー用は後方にリフレクターが付いており、
赤一色、黄色と赤のツートーンカラー、
そして特に愛知県に本社があるマスプロ電工製の
赤・黄色・青の3色のカラフルな色に目を引いたのが
幼い頃のいい思い出の一つとなっており、
今ではアンテナマニアとなって自らが屋根の上に
アンテナを設置できるまでになりました。
昭和の室内アンテナには、テレビのキャビネットの上に置く
ウサギの耳のような形状のタイプもありましたね。

記憶が不確かなのですが、
中学生のころ当時大好きだったキャンディーズの
解散コンサートがテレビ放映されたことがあったと思います。
ただ、我が家の1階にあったテレビは両親にチャンネル権があり、
当然私は見ることができませんでした。
しかし、2階には以前使っていたテレビがありました。
当然、アンテナは接続されていませんでした。
解散コンサートの情報をキャッチした時から、
どうにかして2階のテレビを映るようにできないか、
いろいろ試していました。
ラジオのように向きを変えましたが駄目でした。ある時偶然、
学研の科学についていたエナメル線をアンテナ端子につなぐと、
ぼやーっとですが映像が映ることを発見しました。
その後は、2段ベッドの階段にエナメル線をぐるぐる巻き、
一番よく映る向きを調べ、無事、
キャンディーズの解散コンサートを見ることができました。

テレビのアナログ放送時代には、
大分市内の自宅から山口のテレビ放送を見ていました。
そのキッカケとなったのは、今から50年近く前に
ウチでもカラーテレビを買う事になり、
それによって余った白黒テレビを私専用にくれる、
ということになったのです。白黒とはいえ、
自分専用のテレビが手に入るという事で嬉しかったのですが、
ただ1つ困った事が。
それは“テレビはもらえてもアンテナが無い”という事でした。
アンテナはそのままカラーテレビの方へ行ってしまったのです。
そこでいろいろと探してみると、VHFはウサギの耳のような形の
簡単な室内アンテナが出て来ましたが、
UHFのアンテナが見当たりません。
幸いUHFのアンテナはVHFに比べて小型なので
電器屋さんに行って買って来ました。
そして固定するところがないのであちこち方向を変えつつ、
ラジオのダイヤルみたいなUHFチャンネルを変えていくと、
砂嵐の向こうから今まで見た事のない放送を、
たまたまキャッチしました。
それが山口からのテレビ電波だったのです。
柳井や周東局といったところからの電波が、
強くなったり弱くなったりと不安定ながらも、
番組を見るには問題ない状態で私がもらった白黒テレビに
映し出されたのです。
この時以来、私は山口からのテレビ放送で、
大分では放送が無かったり遅れて放送される番組を
山口の放送で見たり、反対にすでに大分で放送された番組を
山口の放送で再放送の感覚でもう一度見たりして
楽しむ事が出来ました。

 

さぁ、
次週4/19のテーマも「昭和のアンテナ」で行きましょう!
ひさびさの同じテーマで3回目のテーマ突入!
いやぁ、今回のアンテナネタは、
山根さんがいつも以上に喋る喋る…、
皆さんからのメッセージもかなり多いし、
ご紹介したいネタがまだたくさんあります。
次週も昭和時代のアンテナ話でお付き合いください!