ご昭和ください ブログ
昭和のアーケード
2023年05月28日
昭和46年生まれ51歳、高橋裕です。
今週は「昭和のアーケード」で30分。
今はシャッターを下ろしてる店も多いですが、昭和のアーケードは両側にお店がぎっしり並んでいたので、お店から出た時、自分はアーケードの右から来たのか左から来たのかわからなくなることがありました。それくらいアーケードの下の商店街はにぎやかで買い物客も多かったのが懐かしいです。
小学校低学年の頃、近くに大きなスーパーマーケットは無くて、八百屋さん、魚屋さん、乾物屋さん、卵屋さんなど、小さな店が並んでいて、雨が降っても傘をささずに、アチコチ買い物が出来る。アーケードは有り難い物でしたね。皆、買い物籠を持って買い物をしていました。お店の人と話ながら。アーケードは皆の心を繋ぐ物だったような気がします。
アーケードと云えば萩・田町アーケード。昭和54年に嫁いできましたが、「もんかきや」と云う看板がありました。店主の女性が着物の紋を画いていて、今もその姿が忘れられません
私にとって、アーケードと言えば物心つき出した頃から20歳頃迄の「宇部銀天街」です。当時、土日になると擦れ違うのに肩が触れる程の賑わいでした。
趣味がカメラだった私。昭和59年にあった「宇部中央銀天街フォトコンテスト」に参加したこともありました。
昭和のアーケードと言えば、私の住む青森県弘前市では「土手町」という商店街にあった物が有名でした。
このアーケードが最も脚光を浴びるのは8月の初め、街の一大イベントである、弘前ねぷたまつりのシーズン。元々、雪が積もっても重みで壊れないよう、丈夫に作られているため、上に人が座ってもびくともせず、祭り見物には絶好の特等席となったのです。
しかしそこで見物できるのは、商店街の店主一家だけの特権。たまに常連客が招待されることもあったので、子供の頃は、店主と顔馴染みになって、お呼ばれされないかなぁと妄想しながら、アーケードを見上げておりました。
昭和のアーケードと言えば、産まれた街・佐世保のアーケードです。確か西日本で1番長いアーケードだったと記憶しております。母が徳山のアーケード歩いて「えっ??これでお終い??」って言ったのを思い出します。
私がアーケードといって思い出すのは大阪一の繁華街、ミナミの難波高島屋から心斎橋パルコまでの商店街のアーケードです。戎橋筋から道頓堀川に架かる通称ひっかけ橋を挟んで心斎橋筋と続く長いアーケードです。
日曜日や祝日ともなれば、びっしりと人々でうめつくされてひしめきあって歩いていた光景を思い出します。左側通行でしたが、前の人の後頭部しか見えません。私は当時、短大を卒業して心斎橋筋中程にあったBALというファッションビルで働いていました。これだけの人が何処から出て来るんだろう?と思っていました。青春時代の思い出です。
さて、次週6/4も「昭和の アーケード」で行きましょう。山根さん曰く商店街に屋根がつくとテープカットする一大イベントだった、自分の街にアーケードがあるのはちょっとした誇りだったそうな。昭和の頃の「アーケード」の思い出、お待ちしております!
そして、ご昭和くださいのYouTube動画。
毎週水曜日に更新してます。
今回は「昭和の電気スタンド」
https://www.youtube.com/watch?v=RfYfJ6REaJA
今回も皆さんネタを集めてくださってます。