ご昭和ください ブログ
昭和の塩
2023年05月14日
昭和46年生まれ51歳、高橋裕です。
今週は「昭和の塩」で30分。
いま食塩として売られているものは、塩化ナトリウム99%以上でサラサラしていますが、昭和の塩はマグネシウムなどが多かったためか、すぐに湿気で固まっていたように記憶しています。
そのため、食堂では、テーブルに置いている塩の容器には、炒ったお米が入れてあり、詰まるのを防止してありました。
主人は、スイカに塩、桃に塩、夏みかんに塩をかけて食べていました。桃、夏みかんに塩をかける人を見たこと無かったので結婚してビックリしました。
昭和の塩で思い出すのは、昭和40年代の潮干狩りです。毎年春には父母と一緒に、熊手を持ってアサリを掘りに佐波川の河口に行っていました。
ある日、スコップとビニール袋を持ったおじさんに出会いました。砂を薄く削り、見つけた穴にビニール袋から白い粉のような物を入れています。しばらく見ていると、穴からニュッと棒が出てきて、おじさんは素早く指先でつかみます。棒と思ったものはマテ貝で、次から次へと引き抜いていきます。
おじさんの話では、ビニール袋の中身は塩で、マテ貝の穴に入れると満潮と間違えて出てくるとのことでした。
19歳の頃住んでた家賃3000円のアパートは台所が共同で、そのタイルの流しに夜な夜な大量のナメクジが出ていて、毎晩、鳥肌を立てながら塩をかけていました。前の夜に塩で退治しても、次の夜にはまたたくさんのナメクジが出てくるんです。
でも、塩をかけてもナメクジが消えてなくなるわけではないので、今思えば他の住人の方が、流しに残った大量の塩とナメクジの亡きがらを片付けてくれていたんだと思います。
私はナメクジが出没する台所で料理する気になれず、毎日カップ麺ばかり食べていたら、野菜不足でニキビだらけになりました。
私が小学校の頃、通学路には盛り場がありその多くのお店の玄関に盛り塩がしてありました。親からは嫌なお客がもう来ないように塩を撒くと聞いていたので、「あっちもこっちも嫌な客が来てるんだ」と思っていました。でも、あれはきっと浄めの塩、商売繁盛の塩だったのでしょうね。
昭和36年生まれの夫の祖父は防府で塩田をやっていたと聞きました。第2次世界大戦の前の話。戦争で亡くなったので夫は詳しいことは分からないといいます。調べてみると三田尻に塩田があったそうなのでこれでしょうか?
夫曰く「おじいちゃんは金持ちだったらしい」と
さて、次週5/21のテーマも「昭和の 塩」で行きましょう。塩バター、塩むすび、汗かいて塩をふく、盛り塩、歯を磨く、いつもカチカチに固まっている食卓の塩etc.昭和の頃の「塩」話をお待ちしております!
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今回は「昭和のギリギリ」
https://www.youtube.com/watch?v=kDGFKj8z78E&t=176s
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