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昭和の公衆電話 PART2

2023年03月26日

昭和46年生まれ51歳、高橋裕です。
 
今週は「昭和の公衆電話 PART2」で30分。
 
公衆電話といえば私が学生の時、取り立ての運転免許で岩国市から豊北町(現在下関市)の友人の実家に行ったときの事です。
友人から「近くにきたら公衆電話から電話してね」と言われていました。始めはひたすら大きな標識を頼りに進めばいいだろう位の気持ちでしたが、山の中に入って行き始め、標識もポツポツしかなくなり、、もしか迷ったのかと不安が大きくなりました。「近くにきたら電話してね」と言っていましたが、まず公衆電話がない!!
やっと見つけて友人に電話。「電話ボックスになんて地名が書いちゃる?そっから何が見える?」そんな会話をしながら、「えー。そんなとこにおるんじゃ!」とにかく標識のありそうな大きな道を通り、海に向かう方向に走るように言われ、また次の公衆電話からかけるよう指示され、何とか無事に友人宅に着きました。
 
昭和60年、小学4年生の当時の公衆電話。当時の子供がごっこ遊びで流行っていたのは、「太陽にほえろ」ごっこでした。
近所のタバコ屋や駄菓子屋の赤い電話で受話器だけ上げて「ボス ホシはそっちに向かったのですね。」「犯人役」の子と「七曲署チーム」のメンバーに分れて展開。「警察手帳」を自分で作って、クラスの女子に聞き込み。「取り調べ」もやりました。何故か「自然にキャスト」が決まっていて、私はいつも地味な(?)「長さん役の下川辰平」さんでした。太っている奴はゴリさん(竜雷太さん)。イケメンは殿下かドック(小野寺昭・神田正輝さん)でした。
 
昭和の公衆電話で思い出したのは、コンサートチケットの予約です。大抵は日曜日の朝10時から、チケット争奪戦が始まるのですが、まぁ、電話は繋がりませんでした。
都市伝説なのか?「公共性の高い役所や病院の近くの公衆電話からは繋がりやすい」というものがあり、わざわざチケット予約電話を掛けるために、県庁近くの電話ボックスへ行ったものでした。
 
学生の頃、通っていた喫茶店にピンクの公衆電話がありました。他県から来ている常連の学生はこの電話で遠方の家族に連絡していました。男子学生は手短に話して終わりですが、女性は結構長話していました。狭い喫茶店なので、内容が周りの客にも聞こえているのですが、あまり気にしてなかったように思います。
遠距離で長電話している時には、10円玉が溜まって入らなくなるというトラブルがあり、慌てて店主が電話機を揺すって通話を続けることもありました。
 
小学生の頃、家に電話が無くて、かかって来る時は近所の家に呼び出ししてもらっていました。こちらからかける時は、近くの店の赤い公衆電話から。市内なら10円玉を入れながらかける。市外の場合は、店の人に頼み電話交換手に何番から何番へと繋いでもらい、通話が済んで受話器を置くと電話局から電話があり、店の人が料金をきいて支払っていました。一人ずつ電話を持ち歩く時代が来るなんて、夢にも思いませんでした。
 
 
さて、次週は改編後4/2。「昭和のギリギリ」で行きましょう。ギリギリセーフorアウト、ギリギリ合格、お色気ギリギリショット、ギリギリまで参考書をチェックetc.週もネタ・メッセージをお待ちしております。
 
 
“ご昭和ください”は4月で放送開始12年目のシーズンに入ります。
ご昭和リスナーの皆さん、スポンサーの皆様のお蔭でございます。感謝。
 
 
さて、ご昭和くださいのYouTube動画。
毎週水曜日に更新してます。
https://www.youtube.com/watch?v=cZ4UocSSiz4&t=317s
今回は「昭和のスキー②」
動画のラストにこのネタに寄せられた写真もご紹介しています!