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昭和の屋根 PART2

2023年03月12日

昭和46年生まれ51歳、高橋裕です。
 
今週は「昭和の屋根 PART2」で30分。
 
 
「昭和の屋根」と聞いて父から見せてもらった古い茅葺き屋根の写真を思い出しました。昔は地域みんなで4年に1度、萱をやり変える作業を行っていて、10軒、20軒もの家を大人たちが手作業でしていたと話してくれました。台風がきても飛ばないように、頑丈に作っていたとも聞きました。とても貴重な話が聞けてうれしかったです。
 
昭和52年、実家が新築されました。なぜか屋根のてっぺんに「大きな玉ねぎのような飾り」がついていました。当時、私は小学5年だったのですが、同級生男子からやたらと「うんこの乗った家」とからかわれました。母に「なんで、あんなの乗せたん?」と聞くと「大工さんの趣味」と言われ、それなら仕方ないかと思ったものです。
それから何年も経ち、爆風スランプの「大きな玉ねぎの下で」という歌を聴いたときには、武道館に親近感を感じると共にうれしい気持ちにもなりました。
 
小学生の頃、自宅の屋根に登るのが大好きでした。2階の窓から1階の屋根を歩き、脚立を使って2階の屋根に登ってゴロゴロしながら漫画を読むのが楽しみでした。ちなみに、一般的な傾斜のトタン屋根でした。
 
瓦の急な傾斜の屋根に登った事はありませんが、母が2階の窓から平たいトタン屋根に布団を干していたところに、こっそり乗って寝転がり空を見上げてぼーっとしていた記憶があります。太陽を浴びたフカフカの布団は実に気持ちいい。
 
以前は、日本家屋の建築工務店に務めていたので、屋根の上で作業していました。昔の家は赤土で瓦を固定していたので、瓦の葺き替えや解体の時は、タオル等で顔を保護しても、汗と泥ぼこりで、鼻や喉はグズグズでした。
 
田舎の昭和の屋根によくあったのは、テレビアンテナと太陽熱温水器。屋根に平たいタンクの機器を設置して水を貯め、太陽の熱で、ただでお風呂のお湯を沸かすというもの。夏は熱すぎるくらい、冬でも天気の日にはぬるま湯くらいになりました。令和の屋根には、ソーラーパネルですね。
 
 
さて、次週3/19のテーマは「昭和の公衆電話」。
たばこ店の赤電話、喫茶店のピンク電話、電話ボックスからスーパーマンが出てくる、刑事ドラマで身代金受け渡しetc.
今、街で少なくなりつつある公衆電話の思い出メッセージをお待ちしております。
 
 
さて、ご昭和くださいのYouTube動画。
毎週水曜日に更新してます。
https://www.youtube.com/watch?v=SIqcYSe8cGY&t=184s
今回は「昭和の 行きつけの店③」
山根さん曰く「行きつけの小料理屋が欲しい」と。
ぜひご覧ください!