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昭和の 行きつけの店

2023年01月15日

昭和46年生まれ51歳、高橋裕です。
 
今日は「昭和の 行きつけの店」で30分。
 
 
昭和が終わる1年くらい前までレコードを買っていて、CDを買い始めたのは遅かったです。
その店では年間に40枚以上レコードやCDを買っていて、好きな歌手やバンドを覚えていていつものけていてくれました。また金額によりサービス券があり、それを集めるとレコードやCDに交換してくれました。今はその土地の再開発でその店はなくなりました。
 
小学3年生の頃、そろばん塾の近くの松本商店によく行っていました。六畳くらいの土間に、アイスクリームの冷蔵庫やガラスケースには菓子パンなど、壁際にはいろんな駄菓子やスーパーカーカードのくじ引きがありました。当時、ルーレットゲームが流行し、狭い店にも一台置かれました。でも〝ゲームができるのは5年生から〟というきまりができ、3年生の私達はできませんでした。が、ある時、ゲームをしている数人の中にクラスの井上君を発見、私は学級会で手を挙げ「井上君がルーレットゲームしてましたー」と告げ口、井上君は、「俺、後ろで見よっただけじゃーや!」と反撃し、私の意地の悪~い一面が出てしまいました。
 
私が今から45年ぐらい前、よく通っていたのは京都市にある築150年超えの酒蔵を改築した老舗のライブハウス磔磔(たくたく)です。
憂歌団、上田正樹、桑名正博などお気に入りのアーティストのライブに音楽好きの友人と通っていました。あの独特の空間と曲を懐かしく思い出します。それから40年の時を超えて、今、私の息子がミュージシャンとなって時々、磔磔に出演しています。何か不思議な縁を感じています。
 
 
子供の頃、銀天街の中にあった確か1串50円のたこ焼き(3個)と100円のソフトクリームを売っていたお店によく母と姉と一緒に通っていました。当時、おじさんとおばさんと2人で切り盛りされていて、カウンターに座って甘じょっぱいこの組み合わせを食べるひととき。子供ながらに幸せを感じていました。いつのまにかお店がなくなってしまい寂しい思いをしたのを思い出します。
 
20代の頃よく行っていた喫茶店は、座ると体が包み込まれるような座り心地のいい椅子があって、缶詰めではない生のさくらんぼがパフェに入っていたことに感動しました。職場の人達に連れて行ってもらったのが最初ですが、失恋してからは1人で行っていました。
まだアパートに電話を引いてなかった頃だったので、お店の椅子に座ったままかけられるピンク電話から、実家に電話したりしていました。他のお客さんに会話を聞かれてるのに、そんなことはあまり気にならないくらい寂しかったんだと思います。行こうと思えばいつでも行ける距離なのにいつの間にか行かなくなって、その後も長きにわたって営業されていたようですが、少し前に閉店したことを知りました。残念です。
 
私が、小中の頃、よく行っていたお店は「泉屋スタンプコイン」です。そう切手屋さんです。昔は切手を売る店がよくありました。デパートの中にも切手売り場があったりしました。高い綺麗な切手もありましたが、私が買っていたのは使用済みのお安い切手。切手が入った紙袋を束ねた物があり、下に引き抜いて買うスタイル。10円、途中から20円、30円と値上がりした記憶があります。当たりの紙が入っていたら、もう1回引けました。日本切手と外国切手とあり、私は外国切手を、よく買ってましたが、どこの国なのか全く分かりませんでした。
が、そのお店にあった「世界切手地図」という国名が分かる辞書を購入。一気に世界が広がりました。例えば「MAGYAR」(マジャル)が、ハンガリー語表記でのハンガリーのことなんです。この本を買うまで分かりませんでした。とにかくハンガリー、ルーマニア、旧東ドイツに、旧チェコスロバキアと東ヨーロッパの国の切手が多かったです。外貨獲得の為に切手を輸出していたそうです。後から知りました。
 
 
さて、次回1/22も「昭和の 行きつけの店」で行きましょう。おもちゃ屋、喫茶店、レコード店、通学路沿いのパン屋etc.次週も、熱いメッセージをお待ちしております!
 
 
そして、ご昭和くださいのYouTube動画。
毎週水曜日に更新してます。
https://www.youtube.com/watch?v=4_tL24v9S3k
「ピッチャー、ビビってる、YayYayYay!」と高橋が楽しそうに喋ってます。