ご昭和ください ブログ
昭和の方向音痴
2022年10月09日
昭和46年生まれ51歳、高橋裕です。
今回は、「昭和の方向音痴」で30分。
私が子供の頃、家族で遠出する時は父の運転でした。父は、地図を見ないので道を間違える事も多くありました。それでも、Uターンするのが嫌いで、なかなか宿まで行けず…さすがに、滝で行き止まりになった時は、引き返しました。本人は、認めませんが方向音痴だと思います。ただ、運転は上手でした。
高校生の冬休み、流行っていたコンテナ型のカラオケBOXに男友達7、8人で行きました。最新のレーザーディスクカラオケを満喫し、コンテナの外にあるトイレで用を足し戻ろうとした時、目の前には無数のコンテナが立ち並び、どのコンテナが自分達のかサッパリ分からない。仕方がないので、同級生の誰かが出てくるのを寒さに震えて待つことに。暫くして暗闇の中、同級生が出てきてトイレに。しかし、一緒に戻るはずが、そいつもどのコンテナか分からないと言い出し、結局2人で帰りました。
昔、夫と広島に行った時、夫が迷いもなくバスに乗るので、知ってるんだと思って私も乗りました。ところが、バスはどんどん人里離れたほうへ。不安になった私が運転手さんに聞くと、目的地とは全然違う方向で、あわてて降りました。
普通、知らなかったら乗ってすぐ「〇〇に行きますか?」と確認しないですかね。私も方向音痴なのでお互い様なんですが、自信満々な方向音痴は困りものだと思います。
昭和50年秋に広島から大学受験で京都に行った帰り、母親と大阪梅田の地下街に行ってみようと生まれて初めて地下に降りました。しこたま見物していざ元の降り口を探すのに、何度も中央の噴水の場所に戻ってしまい、わからなくなりました。とにかく地上に出てビルや広告塔や太陽を目印にして何とか元の場所に戻れましたが、田舎者は都会のモグラ生活には馴染めないと痛感した1日でした。
学生の頃、自分は方向音痴ではないと思っていました。しかし、社会人になって東京に行った時、地下鉄のどの出口から出てどの方向に向かって歩けばいいかが全く分からず、途方に暮れたことがあります。地元の山口市では、昼間は太陽の位置で、晴れた夜には北極星を探して方角を知ることができますが、東京では高いビルのせいで空はほんの少ししか見えず、目的地になかなかたどり着けなかったことが何度もありました。
さて、次週10/16も「昭和の方向音痴」で行きましょう。私、たまの東京出張で、地下鉄・汐留の駅から日テレに上がる時に分からなくなり、とりあえず上に出るなんてことが多々あります。
方向音痴ならではのハプニング、お待ちしています。
そして、毎週水曜日更新のご昭和くださいのYouTube動画もどうぞご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=bPyGpx3h6SM
昭和のいばるやつ①
笑ったね~。自分で出てるんですが、何度も笑った…。ぜひ。