ご昭和ください

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昭和の瓶 PART2

2022年06月05日

昭和46年生まれ50歳、高橋裕です。
 
今週は「昭和の瓶 PART2」で30分。
 
 
家によくあったのはインスタントコーヒーのちょっと大きなビンでした。きれいに洗って使ってました。クリープのビンは、中がみえないからかあまり使ってなかったですね。ジャムとかの小さいビンは私がもらってました。今みたいに透明なプラスチックがなかったからか、飾ったりプレゼントの小道具に使ったりしたな~。星の砂とか入ったコルクの蓋の小ビンなんて宝物でした。
 
昭和の瓶といえば、小さい頃ジュース類は瓶がほとんどで缶やペットボトルジュースは少なかったですね。特にコーラ等は缶より瓶のコーラの方が美味しいと言われてました。
ある日、悪ガキがコーラの瓶の自販機で1本分のお金で2本取り出せるのじゃないかとやってみて、結局1本しか取り出せなかったことがありました。
 
高校の購買に、牛乳、コーヒー牛乳、フルーツ牛乳、瓶入りの自動販売機がありました。1本60円でした。小さな財布に、50円玉1個、10円玉5個入れて持って行って、フルーツ牛乳か、コーヒー牛乳を買っていました。ボタンを押すと賑やかに音を立てて出てきました。一度も割れたのを見た事無かったから丈夫な瓶だったのでしょうね。残り40円は、何かあった時の電話代。携帯電話なんて、無かったから。
 
私が生まれたのは昭和22年の春。母の母乳の量が少なく、粉ミルクもなかなか買うことができなく大変だったとのこと、学校給食の瓶の牛乳、当時1年生の兄が 妹の私のために、寒い時も手を真っ赤にしながらでも、瓶の牛乳を持って帰ってくれていたと、亡くなった母から何度もききました。今度会った時、お礼を言いたいと思います
 
昭和16年生まれの母が集団就職で東京にやってきて牛乳屋で働いていたそうです。母は事務所にいたのですが、そこでも牛乳を買う事もできたので、だいたい決まった人が買いにきて、その場で飲んで空ビンを返すというのが日本人。外国人も買いに来ていたそうで、車で来て大きな牛乳瓶(外国ドラマに出てくる大きさ)を持って帰ったそうです。当時、日本では貴重品の冷蔵庫を持っていたから出来たのだろうと言ってました。
 
我が家の倉庫には巨大な瓶があります。一斗瓶(いっとびん)または硫酸瓶と呼ばれるもので、容量は18リットルです。もともと小野田市で硫酸を販売するために使われていたようで、亡くなった母はもち米を保管していました。
瓶の肩から上の部分は2つのガラスをくっつけた跡があり、下の部分と合わせて3つの部材をくっつけて作られたことがわかります。ガラスの中には空気の泡が残っており、手作業で作られた様子がわかります。
 
 
さて、次週、6/12も「昭和の瓶(ビン)」で行きましょう。久々の3回連続のネタ。
駄菓子屋のお菓子の瓶、プロレスの凶器、カルピス、瓶に入れた手紙、お尻のポケットからウイスキーの瓶etc.
次週もお待ちしております!
 
 
そして、毎週水曜日更新のご昭和くださいYouTube動画もどうぞご覧ください。
今週は「昭和のヘビ PART2」
https://www.youtube.com/watch?v=Y4VtRoOOclo
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