ご昭和ください

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昭和の行列 PART2

2022年05月08日

昭和46年生まれ50歳、高橋裕です。
 
今週は「昭和の行列 PART2」で30分。
 
 
昭和の行列と言えば小学校の集団予防接種です。自分のクラスの番が来ると授業を中断して体育館に行き、行列になって注射の順番待ちをしていました。待っている間「インフルエンザはそれほどでもないけど、日本脳炎はスゴク痛い」とかワイワイ話し、注射が終わった人に「痛かった!?痛かった!?」と聞くのがお決まりでした。そして行列の前から伝言ゲームのように「注射してる時に横向いて針を見ないようにしてた方が痛くないよ!」と回って来たので、50過ぎた今でも、それをしています。
 
宝くじの行列。昭和62年5月のある日の日曜日、グリーン・ジャンボ宝くじを買いに福岡に行った。天神の西鉄駅構内の3つの売り場は行列が長かったので、行列が短かった天神のマツヤレディスの所の売り場で、グリーン・ジャンボ宝くじ200枚買って差し引き一万円損失になった。
 
富士山、山頂を目指す大行列を思い出します。私が学生だった昭和の頃もご来光を目指す深夜の登山道、山頂付近は大行列になっていました。その行列は大渋滞、追越すことも出来ず只々、列をなして山頂に向かう感じ。流石に標高日本一の山、道のりは長く、山頂付近になると険しく夏とは言っても寒くて…きつかった~。
 
昭和の行列と言われて思い出すのは、昭和39年の東京オリンピックの時のこと。と言っても、東京にオリンピックを見に行ったわけではありません。下松市内の当時、国道188号線、現在の海岸通りで見た聖火リレーの行列です。東洋鋼鈑の工場の前で聖火リレーの引継ぎが行われるのを見に行きました。先頭の人が聖火を持ち、その後ろに20人ぐらいの人が行列を作り走っていました。その引継ぎが行われる場所には、多くの人が見学に集まっていました。小学生だった私の記憶では、行列の皆さんは白いランニングシャツに白いパンツでした。子供心に、この行列がリレーをしながら聖火を引き継いで東京まで持って行くのだと思い感動しました。
 
昭和60年に軽井沢で結婚式を挙げたついでに、上野動物園にパンダを見に行きました。行列に並んでやっと見えたパンダは、小屋の中でその小屋が行列の位置から思ったより間近じゃなくて後ろを向いてるし、動かないし、色も白黒なのでパンダの姿はスチール写真みたいに見えました。「立ち止まらないで下さい」というアナウンスに急かされて、「えっ?これで終わり」と思いつつ、長いこと並んだのにパンダを見たのはほんの一瞬でした。
 
 
さて、次週、5/15のテーマは「昭和の外泊」で行きましょう。以前「1泊2日」というテーマでやりましたけれども、友達のうちに泊まるワクワク感、子供会のキャンプ、兄弟だけの旅行チャレンジ、おばあちゃんでのお泊りetc.昭和の頃の外泊ってチャレンジですよね~。
次週もお待ちしております!