ご昭和ください ブログ
昭和の子供会
2022年02月20日
昭和46年生まれ50歳、高橋裕です。
今週は「昭和の子供会」で30分。
小学校高学年の時の子供会遠足。麓から萩市田床山山頂まで歩いて登りました。当時は、遠足と言えばこの田床山でした。ここは、KRYの中継所があり、山頂から米粒のようなわが家を見つけて喜んだ記憶があります。その時の遠足の目的は頂上の休憩所に「火の用心」と書いたプレートと、たばこのピースの空き缶を利用して作った灰皿を木に設置するのが使命でした。
昭和の子供会で思い出したのは「火の用心」です。夏休みの18時頃から、子供会の子供達(小4~6)だけで、
「火のよぉ~じん。マッチ一本火事の元。サンマ焼いても家焼くな!」等と叫びながら、地域を一周するんです。一周30分くらいで、週2回、雨天中止だったと記憶。
子供が小4になると、父親が拍子木を作って与えるのが地区の習慣だったようです。
油性マジックで「火の用心」と氏名等を自分で書いたmy拍子木を皆が持っていました。因みに、拍子木のサイズも材質も皆バラバラで、規定は無かったようです。拍子木をヌンチャクみたいに振り回して、ふざけてるヤツも勿論いました。
私たちの子供会では「アイウエオリババ」という児童劇を演じました。所謂「アリババと40人の盗賊」ですね。
この児童劇、実はアリババは五つ子ちゃんだったという話です。アリババ以外の兄弟は、イリババ、ウリババ、エリババ、オリババがいて、私はその中の主人公のエリババを演じました。
同級生の男の子のお父さんが、他校の小学校の先生だったので、本格的な演出・演技指導もありとても厳しかったのですが、演じることの楽しさを覚えましたよ。
小5の時、子供会の地域対抗ドッジボール大会に向けて公園で毎日猛練習がありました。練習に行かないと6年生が家まで来て連れて行かれるのですが、スポ根ドラマ全盛期の時代で、「サインはV」に影響を受けたと思われる6年生に鬼コーチのようにしごかれました。
「あんたは背が小さいからジャンプ力をつけなさい」と言われて、公園の木の枝に向かってひたすらカエルのようにジャンプをさせられました。
いま考えると、ドッジボールにジャンプ力はあまり関係ないんと思うんですが、その特訓のおかげで体力テストの私の垂直跳びの記録は、めざましく伸びました。
さて、次週2/27も「昭和の子供会」で行きましょう。子供会の遠足、演劇、清掃、ラジオ体操、海水浴、対抗ソフトボールetc.あなたの「昭和の子供会」の思い出・メッセージ・写真をお待ちしております。