ご昭和ください ブログ
昭和の夏の思い出
2021年08月08日
昭和46年生まれ50歳、高橋裕です。
今週は、「昭和の夏の思い出」で30分。
昭和50年代、宇部の昭和町商店街では、「十八夜」と呼ばれる夏祭りがありました。中心地のアーケード街と比べると華やかさの少ない町でしたが、このお祭りの時は大賑わいで、児童公園には夜店が並び、コンクリートのステージではアコーディオンの生演奏で、のど自慢を開催。クラスメートの女子2人がピンクレディーをリクエストしたけど、アコーディオン奏者の人が「あー、ゴメンね。弾けない」となり、2人は振り付きバッチリのアカペラで見事に歌いきりました。普段は人通りのない商店街もまさにイモの子洗い状態で、その中をオバQの着ぐるみが子供たちの頭をポンポンしながら歩いていました。いつもは店内にあるアイスクリーム冷蔵庫も、この日は通りに出ていて、アイスと一緒にラップにくるんだ冷凍バナナもありました。
昭和48年、大学2年の時は、スーパーの店頭で西瓜の販売をさせられていました。女の子はクーラーの効いた店内の仕事で、自分は店頭販売、嫌々働いていました。すると1人のおばさんが「兄ちゃん美味しいのを選んで。」と言ってきました。当時は、切り売りでなく1玉の1俵売りですから選別も難しいことでした。私が1俵を勧めると、次の日に又その人が目の前に現れたので、文句を言いに来たのかと思ったら、「昨日の西瓜が美味しかったから兄ちゃんが又選んで」とのことでした。気を良くして選んでいると回りのおばさん連中が、「私も、私も。」と次々と売れました。子供の頃から徳佐の田舎で熟れた西瓜を食べていたおかげで、いささか西瓜の選別に自信のあった私は、タオルを捻り鉢巻きにして自信満々で西瓜を売りました。
昭和の夏の思い出は、近所のこども会で行った虹が浜海水浴場での「スイカ割り」です。私は徳山の中心市街地の生まれなのですが、当時は自治会のこども会も人数が多くて、毎年夏休みにはこども会で海や山に出かけていた記憶があります。
海水浴と言えば、当時は定番のスイカ割り。テレビでも面白おかしくスイカ割りをやっていたので私たちもやってみたのですが、実際にやってみると子供たちの力では用意していた竹の棒でスイカにクリーンヒットしても表面に傷がつく程度でなかなか割ることが出来ず、ようやく割れた頃には砂まみれの見るも無残な有様。それでも海水で洗って美味しい美味しいと言って喜んで食べていました。
さて、次回も「昭和の夏の思い出」で行きましょう。
宿題、里帰り、絵日記、釣り、市民プールetc.“昭和の頃”の夏の思い出をお待ちしています!
そして、ご昭和ください、YouTube動画も観てくださいよ!今回は「昭和の窓②」。
https://www.youtube.com/watch?v=LDh9gBAN9B8
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