ご昭和ください ブログ
昭和の窓
2021年06月27日
昭和46年生まれ49歳、高橋裕です。
今週は、「昭和の窓」で30分。
昭和の窓で思い出すのは、「鍵」です。
アルミサッシが普及する前、窓は殆どが木製でした。それに付いている鍵は、「クルクル回す真鍮製の鍵」でしたよね!もの凄く古い窓では、ネジが壊れていて、どこまで回しても止まらず、ただ差し込んだだけの鍵に成り下がっていました。
「昭和の窓」と聞いて小学校の教室の窓を思い出しました。当時の教室の窓は、鉄製の窓枠で粘土のような白いパテでガラスと窓枠の隙間を埋めていました。ガラスが割れるとガラス屋さんがパテを削って割れたガラスを取り除き、新しいガラスをはめて窓枠にパテを塗っていました。パテは、固まるまでに時間がかかるため先生から「さわらないように」と言われるのですが、「さわるな」と言われるとさわりたくなるもので・・・、ガラス屋さんが綺麗に仕上げてくれたパテの表面も翌日には指で押した跡や爪で付けたバッテン印等によってデコボコになってしまいました。パテは、そのまま固まってしまうため、窓枠の表面はほとんどデコボコでした。
「昭和の窓」それは列車の窓から立ち売りの人から駅弁とお茶を買っていたことですね。当時は列車の窓が開き、体を乗り出して立ち売りの人にきてもらっていました。今のように冷房はきいてなく、扇風機がまわっているだけだったので窓を開けていました。蒸気機関車の時は煙が入って手などが真っ黒になっていました。
小学校低学年の頃、母親と一緒に隣町まで行くのが好きでした。
家に車の無い時代、乗るのはバスで、窓枠の両端の下にあるストッパーを握り、窓を上に上げ、風を感じながら景色を見るのが楽しかったです。
ある日、窓を上に上げた時、ストッパーが上手く止まってなかったらしく、揺れたはずみで、まあまあの勢いで窓が下がってきました。そして、窓枠に置いていた両手の指の第二関節と第一関節の間を直撃。泣きました、大泣きです(笑)。母親は、かなり慌てたでしょうね。
窓と言えば、オート三輪。バタンコの窓ですね。窓の一部は三角。もう一部は手あげ式。穴が空いてまして、そこにボタンを押さえて合わせて止める。親父が林業をしていましたので、山のなかは三輪が小回りが効いて良いので、10年前まで乗ってました。窓も今のようにぐるぐる回すタイプではない上げ下げ。とても懐かしいです。
昭和の窓で思い出したのは、「社会の窓」。ズボンのチャックが開いてることを「社会の窓が開いてる!」と言ってましたよね。
チョコレート菓子「はりはり仮面チョコ」のオマケシールを未だに捨てられずに何十枚も持ってます。その中に「シャカイの窓あいてるよ!」というのがありました。
さて、次週7/4も「昭和の窓」で行きましょう。
ホームラン打って窓ガラスを割った、教室の窓から憧れの人を眺める、SLの窓etc.次週は「昭和の窓」でお待ちしています!
そして、今週も、ご昭和くださいのYouTube動画、絶賛UP中!「昭和の1泊2日」。
今回は山根・高橋の他に青年が一人アコーディオンを持って座っています。誰でしょう。彼の歌も聴けます。
https://www.youtube.com/watch?v=JGf8l0risKI&t=337s