死者・行方不明者あわせて322人を記録の宇部大空襲 関係者らが戦没者を追悼する献花
80年前の2日、アメリカ軍の大規模な空襲があった宇部市で戦没者を追悼する献花が行われました。
宇部市新天町の真締川そばには宇部大空襲を伝える追悼碑が建てられていて2日、篠﨑市長や市の職員などおよそ50人が花を手向けました。
宇部市は1945年4月から8月までに計8回、アメリカ軍の空襲を受けました。
死者・行方不明者はあわせて322人と記録され特に被害が大きかったのが7月2日未明の空襲です。
100機のB29爆撃機が市中心部におよそ10万発の焼夷弾を投下したとされています。
宇部市に住む84歳の女性は自宅を空襲で焼かれ、その後も、空襲のたびに母親と2人で海岸や防空壕に避難していたといいます。
藤田美津子さん(84)
「どこにいたかはっきり覚えていないですけど隠れていたところに爆弾が落とされて」「みなさんが全部亡くなられて」「私はその後も何回も死にかけてる体験をしていま生きている方が不思議なくらいですね」
(篠﨑・宇部市長)
「いま私たちのそばにある平和決して当たり前のことではなくいつ崩れてしまうか分からない」「こういう歴史を各地域、家庭で引き継いで平和の尊さを考えていただきたい」
7月5日には宇部大空襲を学ぶ集会が開かれることになっていて当時の被害の様子を撮影していたアメリカ軍のカラー動画などが上映されるということです。