ご昭和ください

ご昭和ください ブログ

昭和の 記念

2024年11月03日

昭和46年生まれ53才、高橋裕です。
今日は「昭和の記念」で30分。
 
私は、小学6年生の2月、父が埼玉に移ってラーメン屋をするという事で、もう少しで卒業という時期に転校させられました。そんな私だけのために、クラス全員が原稿用紙1枚ずつ作文を書いてアルバムにしてくれました。原稿用紙の半分にラーメンや餃子の絵を書く子もいて面白いです。これだけは、手放せないです。
 
昭和の記念で思い出したのは、観光地の記念メダルです。
厳密には、(500円玉ぐらいの大きさの)記念メダル販売機の横に併設されていた打刻機です。
小学生の時、家族旅行先で初めて記念メダルを買ってもらった時の話なのですが、
私は、初めてということもあり、打刻機のそもそもの目的等がよく分かっていなかったのだと思います。結果、『観光地を訪れた日付』や『旅にまつわるキーワード』等とは全く関係ない『自分の誕生日』を打刻しました。
 
家にありました。
昭和50年、「東京-博多間新幹線開通記念」の金盃です。夫が実家の整理の時に見つけました。
いつの間に買っていたのかなと、“実家の片付けあるある”です。ネットでも調べましたが、当時色々な記念品が発売されていたようです。
開通当初は新幹線に乗ったと学校で言えば、注目の的になるくらい、夢の乗り物でした。
皆さんそれぞれの記念となるような思い出や品物が、たくさん眠っているのではないでしょうか。
 
昭和62年、当時23歳、島根県在住の頃の話です。私の昭和の記念といえば、当時の職場の先輩の結婚披露宴と、トンネル工事の「貫通式」でいただいた『桝』であります。
日付が、昭和62年9月9日と10月10日の日で、私にとって"縁起物"として、ほこりはかぶるものの大事にしています。
 
柔道部に入った中学1年の時、3年の先輩達が県大会(柔道団体戦)で優勝した時の出来事です。
大会の次の日、柔道場に行くと、
先生から「並んで正座しろ!!」と号令がかかりました。
何が始まるのかと思ったら、先生が買ってきた大量のジュースを優勝カップに注ぎ込みました。
「さあ、3年生から飲め!!」と言われ、順番にガブガブと飲み始めました。私の番になるまでに、何度もジュースが継ぎ足され、私も飲むことができました。この時の思い出はずっと心に残っています。
ちなみに、私が3年の時は3位でした。
 
さて、次週11/10のテーマも「昭和の記念」で行きましょう。記念のアルバム、観光地での記念写真、ホームランボール、誕生記念、周年記念etc昭和の頃はやたらと「記念」が多かったと思います。昭和の頃の記念にまつわる思い出・エピソードをお待ちしております!
 
そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日更新です!
https://www.youtube.com/watch?v=nmQ7udV6-0Q
今回は「昭和の 小学生の頃に欲しかったもの③」
再編集バージョンでご覧いただきます!
「第1回梅さくちゃんと山田くん」、いよいよ対決!