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昭和の臨時収入

2021年05月02日

昭和46年生まれ49歳、高橋裕です。
 
さて、今週のテーマは「昭和の臨時収入」で30分。
 
 
それは昭和63年9月に当時放送されていた土曜日正午のKRYテレビの「勝津正男のナマナマ55分」の1万円プレゼントに応募して当選したのです。確か当選者が3名だったと思いますが、私の分を含めて勝津さんがハガキに記入した住所と名前を画面に映し出したのを記憶しています。今では個人情報保護の観点からNGですが、当時はそれが許されていましたね。
それから2日後に無事我が家に現金書留で届き、中には現金1万円とともに領収書と返信用の封筒が同封されており、記名して返信しました。
 
会社に入社して、初めての配置されたのが、引っ越し作業が業務の部所でした。
今も同じですが、引っ越しは春先に集中しまして、官庁関係はありませんでしたが、民家の引っ越しに行くと、休憩時間にはお茶とお菓子、帰り際には、お礼に少しのお金をいただけました。
だいたい、3月、4月だけで、3万円ぐらいの臨時収入がありました、いい時代でした。
 
昭和44年に広島市内のバレーボール強豪の某私立高校に進学しました。1年生でアルバイトも出来ませんでしたが、クラスメイトに中国料理店の息子がいて、店で使う食用蛙を持って来れば50円で買ってくれるとのことでした。早速休みの日に釣り竿を持って広島城に行き、釣り針に赤い布を付けてお濠に居る蛙を釣りました。やかましいくらい鳴いていますが、あまり釣る人がおらず結構釣れました。
 
その名のとおり、会社から支給された臨時の金一封でした。毎月の給与・ボーナスは、全員銀行振込みでしたが、何故か、この臨時手当ては現金支給・手渡しでした。
男衆の中にはアホな奴が大勢いて、「嫁さんの知らない臨時収入ゲットだぜぇ~!」って感じで、飲みに行ったり、普段買えない高額なオモチャを買ったりしてました。
その月末の給料日、「給料明細」には、その臨時手当てがキッチリ明記されておりました。
印刷された給料明細(当時は紙)の臨時手当て欄を“砂消しゴム”で消して、何とかごまかそうとしている人もいました。
 
小学校低学年の頃、近くの理容室で散髪をしていました。動かずにお利口さんにしていたら、帰りに20円貰う事が出来ました。駄菓子屋さんで、お煎餅が1枚5円で買えたので、嬉しい臨時収入でした。
 
昭和30年代の終わり、まだ中学生だった夏休み。竹の皮を拾って集めると買ってもらえると聞き、山に入って竹の皮を拾い集めました。
当時はまだプラスチックのほとんどない時代で、竹の皮は肉や総菜、おにぎりなどの包装材料として大いに利用されていたのです。
枯れ竹や木の枝、蔦などで絡んだ竹藪の中で、やぶ蚊に攻められながら拾い集めるのは大変でしたが、毎日集めるとかなりの量になりました。
それを竹の皮の荷造り方法を知っていた父が、大きさ別に分け、丁寧に荷造りしてくれましたので、品質が良いからと業者さんに7千円もの価格で買ってもらうことができました。当時はお金の価値が今とは大きく違い、10倍くらいの価値があったのではないでしょうか。とても子供が簡単に手に入れる事の出来る金額ではありませんでした。
その後、高校に入り下宿をすることになった時、私はそのお金でFMラジオを買いました。当時FMはまだ実用化試験放送の時代で、FMラジオはかなり高価だったように思います。貧しい時代に自分で自由に使っていいと言われたお金。自分用のラジオは贅沢な買い物でとても嬉しかったのを覚えています。
 
 
さて、次週5/9のテーマは「昭和のメーター」。
山根さんは、自転車メーターをお店で後付けして貰ったのが嬉しかったそう。子供の頃にオヤジが運転する車は高速でスピードが出過ぎると「キンコンキンコン」と警告音が鳴ってたような記憶が。
次週は「昭和のメーター」でお待ちしています!
 
 
そして、
番組10周年を記念した1時間の拡大特番の日時が決まりました!
5/30(日) 11:00~12:00の1時間です。
テーマ「昭和の1泊2日」にまつわる思い出・ハプニング・メッセージ・写真も募集中!


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